ロシア満州軍の作戦計画

「総督の命令は保留だ。それより兵力の集中を図らなければ」


 クロパトキンはアレクセーエフの命令を無視して暫くは兵力の集結を図ることにした。

 二十万の大軍を保有するロシア満州軍だが、東清鉄道を守るため沿線に散らばっている。

 その兵力を集中させる必要があった。

 計画では旅順を含む関東州を守る関東兵団、ウラジオストックを守るウスリー兵団、奉天に集結させ敵の主力にぶつかる野戦軍の三つに再編。

 満州に侵攻してくる日本軍を鉄道を使って野戦軍が急行し迎撃する予定だった。

 侵攻してくる日本軍を撃破した後は朝鮮半島になだれ込み朝鮮半島を確保して戦争終結というのが大まかな計画だ。

 日本軍が半島南から上陸するなら部隊が集まる十分に時間があったはずだが、制海権を奪われたためにその時間はなくなった。


「鴨緑江の守備はどうなっている?」

「ザスリーチ中将の元に二万五〇〇〇の兵力が陣地を構築中です」

「ならば二ヶ月は保つな」


 いくら兵力展開の早い日本軍でも十万以上の軍勢が整うまで時間が掛かるはずだった。

 渡河には敵の五倍の兵力が必要とされ、現状四万とされる日本軍は数的に優位であっても現状兵力渡河作戦は不可能なはずだった。

 部隊が集結するのに鉄道を使っても二ヶ月はかかるとクロパトキンは読んでいた。

 仮に渡河しても、その後の山岳地帯を進むには多大な時間が掛かると判断していた。


「少しは安心だな。問題は今後どうするかだな」


 クロパトキンは満州を中心とする地図を見た。

 ロシア軍が考える日本軍の想定進撃路は三つ。


 一.朝鮮半島を北上して鴨緑江を渡り遼陽へ山岳地帯を向かうルート

 二.遼東半島へ上陸しそこから北上し南方から遼陽へ向かうルート

 三.山海関より上陸し、新民より遼陽の西方を進撃するルート


 他にもウラジオストックや沿海州北方、カムチャッカへの攻撃も予想される。

 だが、現在は厳冬期を脱しつつあるとはいえ、まだ寒い。沿海州やカムチャッカへの侵攻は無いと判断している。

 一部攻撃を受けているが、本格的な侵攻は雪解けの後だろう。

 なので、晴までに日本軍が行動を起こすとすれば南満州方面への攻撃、事実上列挙した三つのルートとなる。

 特に三番目の山海関からの上陸は悪夢だ。

 集結予定地である奉天を側面から攻撃されるため、包囲殲滅される恐れがある。

 その場合は、奉天をも放棄して鉄嶺まで撤退する予定だった。

 日本軍の進路が確定していない現状、全ての予想に対応策を立てなければならないクロパトキンは多忙だった。

 ゲオルギー殿下は鴨緑江と遼東半島からの両面作戦に注意せよと言っているが、二方向同時対処などあり得るが考えたくもない。

 しかも、日本の第二軍一〇万が出航したという。

 この部隊が何処に上陸するかはクロパトキンにとって重要な問題だった。

 第一軍の増援か、遼東半島への上陸か、山海関への上陸か、頭を悩ましている。


「それもこれも海軍が不甲斐ないからだ」


 太平洋艦隊が壊滅し制海権を奪われたために、日本軍の海上移動を許してしまった。そのため日本軍の上陸地点を特定できず、対応する作戦計画を策定できずにいた。

 アレクセーエフ総督の情報だと鴨緑江河口への上陸作戦と言っているが、信じて襲撃しに行った海軍は罠にはまって壊滅している。

 囮作戦ではないかとクロパトキンは考えており、何処か別の場所へ、遼東半島か山海関への上陸を行うのではないかと考えていた。


「不安だ」


 増援を運んでくる完成したばかりのシベリア鉄道で運べる兵力は少ない。

 運転能力が低く一日に二、三本しか列車を運転できず、一日一個大隊の増強がやっとだ。

 ヨーロッパからの移動に一年はかかるかもしれない。

 ゲオルギー殿下が全力で整備しているが、日本軍来襲までに間に合うかは不明。いや、戦争では最悪の事態を想定しなければならないから、不可能と考えておくべきだ。

 その場合、クロパトキンは最悪、ハルピンまで遅滞戦闘を行いつつ兵力の増強を待ち、反撃する予定だ。


「とにかく、半島に上陸した日本軍を遅滞戦闘を行って止めなければ。ザスーリチ中将に鴨緑江を利用して日本軍の進撃を止めさせる。その間に増援を集結させ、それから朝鮮半島へ向かう」


 兵力集中が行われるまでの時間稼ぎを行うことがクロパトキンの当面の目的であり、そのために鴨緑江に部隊を集結させ守らせ朝鮮半島にいる日本の第一軍の頭を抑えさせていた。

 鴨緑江という天然の障害物を使って防御に徹すれば、少なくとも二ヶ月程度は持ちこたえられるはずだった。


「その間に日本軍の動きが分ければ良いのだが」


 日本を出発した第二軍の動向も気になる。

 もし満州軍が集結して朝鮮半島へ向かった直後に、背後に山海関方面に上陸されたら挟撃されてしまう。


「アレクセーエフ総督の情報では鴨緑江の河口に上陸するとの事ですが」

「信じられるか」


 襲撃に向かった海軍の艦艇は待ち伏せを受けて撃沈された。


「彼奴は罠に嵌められたのだぞ」

「しかし、上陸前の掃討作戦にやってきた艦隊に遭遇したというのが総督の見解です」

「自分の無能を棚に上げるための言い訳だろう」


 アレクセーエフの情報は徹底的に信用していない。

 だが、クロパトキンにも信頼できる情報がないのも確かだった。

 しかし、何の情報もない中でも決断し命令を下さなければならないのが指揮官であり、その意味でクロパトキンはアレクセーエフより有能だった。


「ここは慎重にゆくしかない」


 敵軍に備えるためにも、欧州からの増援を待つことにクロパトキンは決めた。

 敵の目論見が、進撃方向が分かってから鉄道で移動して迎撃しても十分に対応できる。そのような判断だった。

 何より鴨緑江という天然の防壁により日本軍を防げる計算だった。

 だが、日本軍の指揮官が黒木であることをクロパトキンは計算に入れていなかった。

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