満州軍総司令官 クロパトキン
「兵力の集中はどうなっている」
遼陽に司令部をおいたロシア満州軍総司令官クロパトキン大将は部下に尋ねた。
アレクセイ・ニコラエヴィッチ・クロパトキンは露土戦争に従軍し中央アジアで活躍した実戦経験が豊富な軍人であり、その経験を買われて開戦直前まで陸軍大臣を務めていた。
だが日本との関係悪化により開戦前日に満州軍総司令官に任命された。
陸軍大臣時代に日本を視察した経験を買われての事だった。
「はい、ご指示通り奉天へ変更するよう伝えており、集結は始まっております」
その報告を受けクロパトキンは安堵する。
初めは沿海州への攻撃を警戒してハルピンと奉天を集結地に指定していた。
だが日本軍が迅速に朝鮮半島を占領したため、満州、特に旅順との連絡線である遼陽周辺が危険に晒されていることから、奉天に変更。
集結した部隊を遼陽へ移動させ北上してくる日本軍を遼陽で撃破する計画に変更した。
遼陽を集結地にしなかったのは、最前線になると判断し、安全な奉天を後方拠点にするためだ。
今のところ、計画は順調に進んでいた。
だが次の報告でクロパトキンは起こった。
「アレクセーエフ総督から積極的に日本軍を攻撃せよとの命令です」
「できるものか」
クロパトキンは吐き捨てた。
アレクセーエフは、極東総督――極東の全権、軍事、政治のみならず極東周辺国への外交権さえもつ役職に就いている。
クロパトキンも指揮下に入っているが、軍事的には無能な人物と考えていた。
そしてその指示は支離滅裂で実行不可能なものが多く、従う気にはなれなかった。
「そもそも、旅順の太平洋艦隊は遼東半島周辺の制海権を掌握できるのではなかったのか」
当初の計画では極東の兵力を奉天に、ヨーロッパからの増援をハルピンに集結させる。最初は鴨緑江で日本軍の攻撃を受け止め、増援によって兵力優勢を確保してから朝鮮半島へ進撃する予定だった。
「制海権を奪われてしまってすべてご破算だ」
海軍軍人であるアレクセーエフ総督が自信満々に黄海の制海権を持てると言ったため、日本軍の上陸地点を半島南部とロシア軍は想定していた。
だが、開戦直後の奇襲攻撃により太平洋艦隊は半壊し旅順に封鎖されてしまった。
その後も度々出撃しては撃退される始末であり、今では出撃することさえ希だ。
黄海の制海権は日本側にあると言って良い。
支配下に置いた黄海を日本軍は自由自在に使い朝鮮半島の北部に上陸可能となった。
大軍を送り込み、あっという間に朝鮮半島は占領され鴨緑江に迫っている。
その対応に、クロパトキンは苦労していた。
「日本軍のことを総督は理解していない」
資本家ににそそのかされ――同時に日本を舐めきり簡単に制圧可能と考えているアレクセーエフ総督は朝鮮半島の利権を手に入れ、資本家から更なるリベートを受け取るため、対日強硬論を出していた。
皇帝もその意見を受け入れ、開戦前、当時陸軍大臣であったクロパトキンが日本に視察――事実上の偵察に行った。
そこでクロパトキンは日本軍の演習を観戦し、その練度、技術、支援態勢に驚いた。
中でも海援隊の武器の生産能力は驚くほど高く、日産一千発の砲弾を生産できる工場を持っている。
以来、日本軍の軍事能力を高く評価し開戦に反対する。
だが皮肉にも訪日によって日本軍をよく理解しているという観点から満州軍総司令官に任命されてしまった。
断りたかったが、ゲオルギー殿下から直接お願いされては断ることは出来ない。
最大限の支援をして貰っていることもあり、クロパトキンは満州軍司令官に就任した。
日本軍を警戒するように開戦前からクロパトキンは警告していたが、日本軍の侮っているアレクセーエフ総督は聞く耳を持たず、むしろ半島の権益を得ようと国境地帯で勝手な伐採などを行い日本の支配権を侵害し、開戦を決意させる原因となっていた。
「しかし極東総督の命令ですが」
「総督か」
極東総督という役職も気に入らなかった。
極東領域の権限をすべて把握する役職だが、そこに外交も含まれていた。
日本との外交交渉も認められてしまった。
アレクセーエフは日本を侮り挑発し権益を奪おうとしていたのは前述の通りで日本はそのような人物を相手にすることに危機感を抱いた。
それ以上に、いくら皇族であろうとロシアの一地方の権力者であろうとそこと外交交渉すること――モスクワにある外務省ではなくなることはロシアに格下、従属国として扱われていると思ってしまった。
明治以来、外国の脅威にさらされた日本は、外国からどのように見られるか心配していた。
そのため外交的地位に敏感だ。
ロシアが本格的に日本の権利を奪ってくる兆候と見て開戦に踏み切った理由の一つでもある。
日本の気持ちも理解できるだけにクロパトキンはやりにくい戦争だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます