遼陽へ進撃する理由

「参謀本部および大本営の方からも攻撃要請が来ております」

「山形候は気にせずに済むのではなかか?」


 現参謀本部総長は元老であり長州閥の首領である山縣有朋だ。

 維新やその後の明治新政権発足時は切れ者で内務大臣、内閣総理大臣、枢密院議員などの政府要職を歴任する重鎮だった。

 だが、年を追うごとに権力欲が旺盛になっており、弊害の方が大きくなっており、周囲は疎ましく思っていた。

 参謀本部総長に就任したのも陸軍軍人でありながら陸軍大臣、総理大臣を歴任して未だ軍令の最高責任者である参謀総長に就任していないからという理由からだ。

 止めて欲しかったが、これまでの山縣が打ち立てた多大な功績と彼の子飼いの部下達、他藩出身者も実力があれば積極的に登用したため陸軍内部中枢で重責を担っている者が多く、彼らの反発を考えれば、却下することは出来なかった。


「山縣候だけであれば、良いのですが」


 難しい顔をして児玉は答えた。

 長州閥だが、天才肌で人目を気にしない性格の児玉は、山縣に恩があっても、国家を優先し国の不利になることはさせない。

 先の日清戦争で外交交渉のために進軍を停止すべき時で当時第一軍の司令官だった山縣が勝手に進撃し暴走した。この時、大本営で参謀を務めていた川上操六は報告を聞くと「おやじ老いたり」と言ったことに、児玉も同意。

 川上が作成し始めた解任上奏を手伝ったほどだ。

 ただ、開戦にあたり自分を参謀次長に指名した山縣の政治的手腕、閣内に根回しして異例の陸軍大将の次長職就任を成功させたことに関して、児玉は評価している。

 時折、権力欲から暴走するのが頭痛であるだけだ。

 その程度なら、参謀本部のお目付役が止めてくれる。

 そもそも山縣を総長にしたのは日露戦争の軍事戦略に干渉してもらいたくないので参謀総長にして東京でおとなしくしてもらうためであり、総長の周りはお目付役がいるだけ――事実上、参謀本部は山縣候の暴走を止めるための座敷牢だ。

 参謀本部の下に満州軍総司令部があるが、総司令官は山縣さえ一目置く大山巌のため下手に口出しは出来ない。

 実戦派の参謀はすべて満州軍総司令部に集まっており、彼らは大山という壁によって対ロシア戦への作戦に集中できる状態になっていた。


「何かご不安が?」


 黙り込んだ大山に児玉は尋ねた。


「旅順攻略が出来なかったことに海外が不安を抱いております」

「国債ですか」


 児玉の言葉で大山はすぐに答えにたどり着いた。

 大国ロシアを相手に小国日本が戦争をしているというのが世界の認識であり、日本が負けると思っている。

 そのため開戦直後は外債が売れず、海外からの物品調達に外貨が不足する事態となっていた。

 しかし鴨緑江渡河作戦で勝利したことにより、世界は日本に勝ち目があると見てきた。

 このところの連戦連勝も追い風に乗り、国債は売れに売れている。

 金利を低くしても売れるため、低金利への借り換えさえ行われていた。

 だが、そこへ第一回旅順総攻撃失敗のニュースが飛び込んできた。

 今までは日本の奇襲が成功していただけ、幸運が連続したに過ぎないのではないかという憶測が流れていた。

 日本は否定していたが、海外の見る目は厳しかった。

 黄海海戦と蔚山沖海戦で海上補給への不安がなくなったことで、継戦への不安は多少薄らいだ。

 だが、第二回総攻撃失敗、旅順陥落せずという報道は再び日本軍への能力に疑義を与えることとなった。


「ここで勝たなければ今後の戦いは難しいでしょう」


 出来ればハルピンまで攻め入り、戦後もロシアが南下して朝鮮半島を狙うことを阻止し日本の安全を、幕末以来、海外の侵略におびえる日本を明治を終わらせたい。

 これは児玉の目標であり、大山や山縣をはじめとする明治の元老の悲願であり維新を起こした理由だ。


「それは生半可な作戦では難しいでしょうな」

「実は海援隊の才谷中将から作戦案が一つ出ておりまして」

「どのようなものですかな」


 出された作戦案を読んで大山は珍しく驚いた。


「大胆でごわすな」

「海援隊の才谷という長官は若いですがかなりの才能を持ちます」


 川上操六が生きていた頃、多数の改革案を出して帝国陸軍を大変革させた。

 各連隊に留守大隊、訓練大隊、予備大隊を編成し適宜補充中隊を編成させ送り込むことで人員の補充を円滑にする制度の創設。

 予備士官および短期での兵士育成制度。

 山岳師団、海兵師団および外人部隊の創設とその人材の供給、育成。

 新装備の開発、鉄道の本土および半島への敷設計画。

 上陸用舟艇の開発配備、専用母艦の建造。

 コンテナ導入による軍需品の迅速な補給と輸送。

 他にも数え切れないくらいある。

 才谷と川上が作り上げた制度はどれも当初は驚いたが、今では帝国陸軍に数限りない恩恵をもたらしている。

 児玉自身も台湾への投資や教育財団の創設で世話になったし、進めていた電信網も才谷の支援でより拡充している。

 才谷の提出した計画に二人は大きな信頼を寄せていた。


「旅順の攻略を途中で切り上げたのはこのためでごわすか。実行できますか」

「海援隊が全力で支援するそうです」

「よいでしょう。やりもうそう」


 大山は才谷の作戦案を了承した。

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