満州軍総司令部

「旅順は落ちずでごわすか」


 先日設けられたばかりの満州軍総司令部で総司令官の大山巌は第三軍からの報告を読み静かにつぶやいた。

 西郷隆盛の従兄弟でどことなく隆盛に似ていた。

 それもそのはず、有名な西郷隆盛の肖像画のモデルの一人が大山巌だった。

 隆盛が写真嫌いで一枚も残っていないため、一番よく似ていると言われた弟の従道と従兄弟の大山巌がモデルになったのだ。

 ただ、描き方が悪かったのか、あの肖像画の出来は知っている人からは隆盛本人に全然似ていないという評価だった。

 ただモデルに選ばれただけあって、大山の言動は西郷に似ていた。

 どっしりと構え温和な雰囲気を出す姿は西郷の近くで薫陶を受けただけあって大将の器と風格を醸し出していた。

 人の上に立つために生まれてきたような人物だった。

 一癖も二癖もある明治陸軍の将帥を纏めるには、特に血気盛んな野戦軍を纏めるには大山以外には無理であった。


「第三軍には攻撃中止と現在位置の確保を命じております」


 総参謀長の児玉源太郎が答えた。

 長州藩出身で幕末より東北戦争に従軍し陸軍に入隊し国内の内乱を収める。

 補給と衛生の問題を痛感し研究を続け日清戦争の勝利に貢献する。

 そのとき知り合った後藤新平の才能を見いだし台湾総督時代に民政長官に抜擢し台湾発展の基盤となった。

 特に後藤新平が技術官僚としての第一歩を踏み出し日本の発展に貢献したことは歴史に残すべき功績であり、抜擢した児玉の手柄と言って良い。

 人を見る目がある上に政治家としての才能もある児玉は開戦前は内務大臣を務めていた。

 だが、日露戦に備え、対ロシア戦戦略と軍事改革を行うために抜擢し自分の後継者とみていた川上操六が開戦直前に病死。

 その後任である田村怡与造も在任中に過労で亡くなった。

 ロシア戦を担う実力派の若手が相次いで死亡したため、台湾総督、文部大臣を兼任する大将であった児玉は、当時参謀総長だった大山巌に乞われて少将職の参謀次長――参謀本部の実務責任者に就任。

 開戦前の準備の総仕上げを行った。

 今は実戦部隊の前線最高司令部である満州軍総司令部のまとめ役、総参謀長を務めていた。

 その児玉にとっても第三軍の第二回総攻撃の失敗、遼陽会戦への参戦が不可能である事は痛手だった。


「致し方ありますまい」


 大山は静かに頷いた。

 どっしりとして鈍そうな雰囲気だが、児玉並みに明晰な頭脳を持っている。

 若い頃は身体に似合わず優秀で弥助砲という大砲を自ら設計製造したほどだ。

 だが、そんなことはおくびにも出さず、知っていることでも知らないふりをして若手を自ら動くように仕向ける大将向きの才能と性格があった。

 児玉の報告も第三軍の報告を元にやむを得ないと判断した上で相づちを打っていた。


「第三軍なしで戦うことになりもうすな。いま遼陽を攻撃せねばなりもはん」


 満州軍目下の問題は遼陽での会戦だった。

 遼陽にいるロシア軍は援軍の集結地点だったこともあり、総数は二二万。

 日本軍も第一軍、第二軍、第四軍の三つを合わせてほぼ同数の二二万だ。

 本来なら日本軍は各軍一〇万の合計三〇万となるはずだった。

 だが、日本軍の進撃が順調すぎて、補給線が構築できず、前線に兵力を送り込めないでいた。

 無理矢理送り込んでも、貧弱な補給の為、食料が供給されず、勝手に現地調達、略奪を起こしかねない。

 それでも食料が足りず餓死者が発生する可能性が高いので、多くが後方に置かれていた。

 後方警備や補給線確保のため兵力を残しているのも理由だが、内陸に戦場が移った結果、陸上輸送能力の限界により前線の兵力が制限されていた。

 急ピッチで補給線の確立、鉄道の復旧、敷設、道路の整備、馬車などの運搬手段確保を行っているが、時間を掛けられない。

 ロシア軍の兵力増強が予想以上に早く、時間が経つほど兵力を増強し、いずれ日本軍を上回ってしまう。

 今すぐ攻撃を掛けなければ日本の勝機はなかった。


「第三軍がここにいてくれたら」


 児玉は嘆いた。

 ここに第三軍が後詰めか予備として出てきてくれるなら日本軍がロシア軍を兵力で圧倒していた。

 旅順へ送る資材も不要となり、補給線の構築はもっと簡単に済むはずだ。

 今まで遼陽を攻撃しなかったのも、補給線構築が遅れていた事もあるが、第三軍の旅順攻略終了と満州軍本隊への合流を願い、待っていたのも理由だ。

 だが、旅順攻略に失敗した今、第三軍は来られない。

 旅順を放置しておけないし、旅順要塞攻略を強行しても損害が多すぎる。

 無理して旅順要塞占領できたとしても損害が大きく軍としての機能は失われ、満州軍主力に合流しても兵力が少なく戦力にはならない。

 第二回総攻撃で第三軍が受けた損害の回復のために遼陽に展開する軍への物資を割く必要も出てきた。

 そのため満州軍総司令部は第三軍へ旅順要塞攻略中止命令を追認した。


「勝たねばなりませんな」


 以上の状況により今、遼陽で戦わないという選択肢は、満州軍にはなかった。

 これ以上遅らせればロシア軍はヨーロッパからの援軍を受けて増強され、兵力差が出来てしまい勝てなくなってしまう。 

 日本側の兵力が互角な今こそ攻撃に出て行かなければならない。

 今以外に勝機は無かった。


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