見舞い
「失礼します」
ロジェストヴェンスキー提督が収容されていた個室に入った。
戦闘時に頭部を負傷し、以後は意識不明だった。
頭部の負傷が激しく包帯で巻かれていたが、それ以上に気落ちしているようだ。
「具合はどうですか?」
「……多少は良くなりました」
言葉が少ないのも無理もない。
元々、無謀な計画であり、しきりに中止するよう皇帝に訴えたにも関わらず、回航するよう強いられ、そのなかで最善を尽くしたにも関わらず、史上希に見る大敗北を喫したのだ。
しかも自分は、海戦の初めのうちに負傷し、意識不明。
気がついたら捕虜になっていたのだ。
まるでブラック会社の従業員だ。
気落ちしない方が変だ。
「待遇や生活でご不便はありませんか?」
「背中と左足がやられ動きにくいですが、看護の方の献身で不自由はありません。食事も我々の為に特別職を作ってくれております」
海援隊から、ロシア料理の専門家を送り込み、捕虜達への食事を指導していた。
お陰で不満などが出ずに済んでいる。
「閣下は、私の作戦を見抜いていたようですね」
「対馬海峡以外に向かうとは、考えられませんでした。しかし、予想した、去年八月頃、出港した後も、三月下旬頃にやってくると予想していたより遅くて焦りました。海戦直前でも、対馬に入る時間が遅く動揺しました」
「各地で燃料補給が遅れた上、聞きの消耗、将兵の疲労が重なり、航海計画が遅れました。最後は、対馬海峡突破を夜間に行うために時間を調整しました」
「あれには、参りました。報告がありましたが、予想より遅く誤報かと思いました」
「ですがまさか空から発見されるとは思いませんでした」
「ここにいる、才谷中将のお陰です。彼がいなければ飛行船は導入できず、発見することは出来なかったでしょう。皇海級も存在せず、日本が負けた可能性が高いでしょう」
「インペラトール級を分離させたのは間違いでしたな」
「いえ、意表を突かれました。海軍戦力の集中は原則ですから、全艦が纏まってくると思っていました。まさか、分離してウラジオストックへ向かうとは予想外で焦りました」
「ウラジオストックへの入港が目的でしたから。一隻でも入れればと思い、命じました」
「その点では、あなたの判断は正しかった。危うくインペラトール級を取り逃がし、ウラジオストックで攻めあぐねる事態になりかねませんでしから」
「いえ、この計画は無謀でした。失敗して当然です。成功の見込みはなかった」
「ですがあなたは、一隻の脱落もなく、対馬海峡までやって来ました。他にこのような偉業が出来る人間がいるというのですか」
若い頃英国へ留学し海軍に奉職してきた東郷には、いかに洋上を航行することが困難なのかを身を以て知っている。
「私が同じ命令を受けても、実行しても多くの脱落艦を出したことでしょう。戦わざるを得ませんでしたが、同じ船乗り、艦隊指揮官として閣下には賛嘆を惜しみません」
「……東郷閣下。戦った相手があなた、東郷長官だったことだけが私の慰めです」
ロジェストヴェンスキーは涙を流しながら東郷に感謝を述べた。
七ヶ月、三万キロの航海の果てに、一六〇〇〇名の将兵の大半が戦死、負傷、捕虜とない、艦隊も九割が喪失した。
その間、このまま赴くのが無謀である事はロジェストヴェンスキーが一番良く知っていた。
だが、それを皇帝や宮廷は理解せず、続行を命じた。
ロジェストヴェンスキーの苦しみを理解してくれたのは東郷だけであり、敵将ながら理解者がいたことにロジェストヴェンスキーは涙した。
その後は、和やかな雰囲気の中で会話を行い、最後に、カメラマンが入ってきて写真を一枚撮ったときには両人とも笑顔だった。
新聞記事のために、ピューリッツァから乃木の時のように会談の様子の写真が欲しいと依頼されており、東郷に頼み込んで一枚だけという条件で撮影された。
この一枚は、日露戦争を象徴する一枚となり、後の絵画のモデルにもなった。
そして、日本海海戦が終わったことを示す、象徴となった。
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