第一六部 ロシアの反攻 日本の反撃
満州の戦況 明治三八年八月末
「それでどうにかなるの?」
アメリカ大陸横断鉄道の車内で沙織に問いかけられた鯉之助は、厳しい顔で答えた。
「非常に厳しいね」
正直に戦況を分析した結果を伝える。
誰かに聞かれる事はない。何故なら、この列車には交渉団の他に乗客はいない。
特別列車を借り上げ、最短のダイヤで進めるよう鉄道会社に依頼していたからだ。
ハリマンは快く承諾し、特に早い機関車を接続し、鯉之助達を乗せたプルマンを牽かせた。
お陰で一般人と紛れ込んだスパイを気にすることなく分析が出来る。
列車には交渉団を乗せたプルマンの他に通信車も連結している。
通信車では東京と満州から最新情報を受信しており、通信はすぐに鯉之助の元へ届けられていた。
東京と満州から入ってくる大陸の戦況は厳しい物だった。
あまりにも暗い内容に他の随員が自室に引き返して寝込んでしまう程で、補佐してくれる沙織以外は鯉之助の側に人はいなかった。
「前線は崩壊した。目下南へ向けて退却中だ」
既存の防衛線、鉄嶺方面に構築していた日本軍の前線は、後方の予備戦力が大韓帝国の反乱に対応するため引き抜かれたため、瓦解し、後退している。
仕方のないことだ。
下手に守っていても孤立してしまう。
それに元々、限界を超えて進出しているため、補給の状況は良くなかった。
兵員に大損害が出る前に、後退しただけ良しとしなければ。
だが、奉天も奪回され、ロシア軍は遼陽に迫っている。
今は、奉天会戦前の防御線を使い粘ろうとしている。
「けど戦力が少ない日本軍には難しい。早々に、撤退するしかないだろうな」
「奉天どころか遼陽防衛も諦めるの?」
「というより、下手に指示を出せない、戦場の様子なんて分からないから」
幾ら無線技術が飛躍的に進化し、満州と直接通信が出来ると言ってもタイムラグと通信容量の少なさにより戦況を判断するなど不可能だ。
現地の事は現地に任せるほかない。
「せいぜい、戦力が拮抗する場所まで撤退して粘って貰うよ。僕らが出来るのは最悪の事態を想定して、準備をすることぐらいさ」
「最悪の事態?」
「満州軍が後退中にロシア軍主力に捕捉され包囲され殲滅される事」
大陸でロシア軍と戦っている主戦力である満州軍。
日本陸軍の過半が投入されている主力軍が消滅すれば、大陸どころか朝鮮半島さえ確保することが不可能になる。
「その前に撤退して満州軍の温存さえして貰えれば何とか出来る。最悪兵員だけでも残して貰えれば何とかなる」
「その代わり、これまで占領した地域が奪回されるけど」
「それは仕方ないよ。主力軍がなくなれば占領した地域の確保なんて不可能だし」
「そうね。けど、大韓帝国の反乱が響くわね」
「仕方ない、予想外だったんだから」
史実でも起きていないことだったので、鯉之助も警戒していなかった。
まさか臆病で他力本願な大韓帝国の高宗が反乱を起こし、日本軍の補給線が寸断されるなど予想外だ。
「でも反乱に対して、あれだけの兵力を派遣する必要は無かったんじゃないの? 脆弱な大韓帝国軍相手なんだし。半分の十万で十分でしょう。残り十万を今回の反攻に対する対応兵力として使えれば、ロシア軍の突破は防げたんじゃ?」
「その場合、反乱を鎮圧するのに時間が掛かった。ロシア軍の反攻があった場合二正面作戦を強いられ、対応出来なくなった可能性がある。結局、朝鮮半島に兵力を取られ、満州軍も突破はなかっただろうけど、大損害を受けた可能性が高い。それに」
「それに?」
「長期戦になったら、大韓帝国経由の補給線を寸断されている分、日本軍が不利になる」
大連や山海関方面の港を確保し海路から補給を行える体制を整えているが、日本から鉄道連絡船で列車を積み替えなしに輸送出来る朝鮮半島経由のルートも絶対に手放せない。
それに朝鮮半島確保の為に戦争を始めたのだ。
講和交渉においても、領土、賠償金の上位に朝鮮半島の確保が政府からの訓令で命令されていたくらいだ。
ロシア軍だろうが大韓帝国の反乱だろうが日本の手から滑り落ちるのは避けなければならない。
「朝鮮半島の確保は絶対だ。先ずはそれに集中する。ロシア軍は放置だ」
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