ニコライ二世の翻意
「流石我がロシア帝国陸軍だ!」
攻撃成功の報告を受けたニコライ二世は、大いに喜んだ。
戦争が始まって以来、ようやくまともな勝利を、大成果を上げたのだ。
「リネウィッチ大将には追撃を命じるんだ。日本軍をことごとく殲滅し、大陸、いや半島から叩き出せと」
「分かりました」
侍従武官が頷き、直ちに指令を送りに行く。
入れ替わりに入ってきたのはゲオルギーだった。
「陛下、どうか攻撃を中止してください。講和交渉中に攻撃するなど世界から顰蹙を買います」
「先に手を出したのは日本だ。ロシアの名誉が回復されるまで攻撃は続ける」
「攻撃に先立ち、外務省に最後通牒『最良と思推する独立の行動』という文言を含めた文章を送っています。先制攻撃されても文句は言えません」
「だが、ロシア軍は敗退を良しとしない。それに講和交渉を優位にする材料になる。おお、賠償金も領土も譲ってはならないといったが、開戦前の権益の確保と賠償金と戦費の負担を日本に求めよう」
「陛下!」
とんでもない言葉にゲオルギーは声を荒らげた。
騙し討ちした上に、条件をふっかけるのではこれでは悪役だ。
日本が勝利しすぎたため、欧米の間では、日本の増長、ドイツの山東半島の利権、フランスの仏印の利権にも手を出して来る事が懸念されており、ロシアの追い風になっていた。
交渉前のロシアの住民虐殺疑惑で小さくなったが、アジアに利権を持つ諸国は日本の増長を警戒しており、ロシアを支援する動きもあった。
だが今回の行動で、ロシアも信用出来るか疑念を持たれてしまう。
義和団の乱での蛮行を含めて、ロシアには悪評が立ってしまう。
国際的な信用は地に落ちてしまう。
「陛下、どうか、攻撃中止を」
「良いぞ、日本が大陸と朝鮮から撤兵するならばな」
「ですが、国内が不穏な時期に戦争を続けるなど」
「国民の不満など、戦勝で吹き飛ぶ。おお、この素晴らしいロシアの戦果を早く国民に大々的に知らせなければ」
「お止めください」
戦勝報告で調子に乗って勝てると考え、期待したら戦争を止められなくなる。
日本もそうだがロシアも戦費は逼迫しておりこれ以上戦えない。
それに今は勝てているが、負けた時、国民の失望は大きくなり、ロマノフ王朝への支持もなくなる。
それだけはどうにかして止めたかった。
「ツァーリ、どうか戦争を止めてください」
「くどい。日本が賠償金を支払うまで許さん」
「そのような兵力はありません。日本を下すにも日本本土へ攻める艦隊などありません」
「海で負けたが、陸ではまだ負けていない。我がロシア帝国は陸軍国だ。バルチック艦隊を破った日本海軍も海から離れていてはロシアの陸軍を止める事は出来ない。日本の陸軍を破るまで進撃を続けよ」
「ツァーリ」
「くどいぞゲオルギー! 下がれ!」
命令され、ゲオルギーは下がるざるを得なかった。
「おお、そうだ。ポーツマスのウィッテに新たな訓令を出せ。日本には戦前の権益を全て返すように。また戦争責任として戦費の負担と被害の賠償金を求めよ。これでごねるようなら朝鮮半島も全て貰うぞ」
「陛下、英仏から攻撃を止め、講和交渉につくよう要請が」
「他国の指図は受けない。それに口先だけだ。日本の増長に怯え、アジアの権益を守れるか心配していたのだからロシアの進撃に内心安堵している事だろう」
「ですが、英国が強い口調で言っています」
「構う物か。だが五月蠅くもある。おお、ならばドイツとの同盟を再び進めよう。フランスも巻き込めば英国に対応出来る。日英同盟を結んでいても十分対抗出来る。仏印の利権も守られ、ドイツとの対立もなくなり、フランスも喜ぶことだろう」
ニコライ二世の勢いの良い言葉だけがゲオルギーの耳にも響いている。
それを止めようとする人間などいない。
ロシア軍劣勢で旗色の悪かった対日強硬派がここぞとばかりに口を開いているのだ。
だが、何時まで続けられる。
英仏は簡単には方針を変えないだろう。それに快進撃は何時までも続けられるモノではない。
確かに朝鮮半島の反乱は予想外で好機だった。
しかし日本軍が立ち直って反撃して負けたら不味い。
勝ったとしても講和交渉をどうするのだ。
今回の一件で間に入る国などいないだろう。
日本と直接交渉しても纏まるとは思えない。
かといってこれだけの勝利で有頂天になっているニコライ二世が耳を貸すことはないだろう。
「自国の勝利がこれほど疎ましいとはな」
ゲオルギーは長い溜息を吐くと自室に戻っていった。
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