ツェザレーヴィチの称号

 アレクセイ・ニコラエヴィッチ

 ニコライ二世とアレクサンドラ皇后の間に生まれた第五子であり初の男子であった。

 史実では十年後の第一次世界大戦でおきた露イア革命により一四才の誕生日を迎える前にボルシェビキ――ソ連共産党によって超法規的に銃殺された悲劇の王子である。

 だが、生まれた当時はそのような運命は勿論、知らされることはなく、人々に祝福された。

 戦争での敗北の知らせが多かったこともあり、人々は次世代の皇帝の誕生を喜んだ。


「諸君ありがとう」


 誕生を祝う言葉を受け取ったニコライは久方ぶりに心からの笑顔を見せた。


「これでロシアも安泰である。我が息子アレクセイがロシアの未来を作るであろう」


 ニコライの言葉に貴族から歓声が上がった。


「朕はここに我が息子アレクセイをツェザレーヴィチとする」


 ツェザレーヴィチは皇位継承者を現す称号であり皇帝の最年長の息子に与えられるのは普通だった。

 だが、このときまで皇帝ニコライ二世には息子がいなかった。

 そのため、皇帝ニコライ二世の弟ゲオルギーが息子が生まれるまでの間という条件で、ツェザレーヴィチの称号を得ていた。


「これまでツェザレーヴィチだったゲオルギーにはロシア大公の称号を名乗るよう。では諸侯よ、私は息子に会いに行く」


 そう言ってニコライは退出していった。


「くっ、なんてことだ」


 ゲオルギーは焦った。

 これまではツェザレーヴィチとして国内の改革を進めることが出来た。

 だが、アレクセイが生まれツェザレーヴィチの称号が失われた今、ゲオルギーは皇族の一人にすぎない。

 摂政への就任――未成年の時、万が一父である皇帝ニコライ二世が死亡したとき、幼い皇帝を支える人物に指名されることもなかった。

 これでは、何の命令権もない。


「このままでは、無闇で無謀な戦闘が行われる」


 積極攻勢を主張する人物がいなくなったことによりクロパトキン率いるロシア満州軍はさらなる攻勢を求められるだろう。


「兵力補充の時間を稼がなくてはならないのに」


 日本は決して侮れる相手ではない。

 十分な兵力が整った後、攻撃を仕掛けるべきだ。

 だが、旅順が包囲され再度総攻撃を受けようとしている。

 旅順を救うためにも出来るだけ早い攻勢が必要だった。


「旅順か、呪われた要塞だな」


 北方の大国であるロシアにとって、不凍港は必要だった。

 南の海へ行ける凍らない港、列強の影響を受けない航路が必要だった。

 ヨーロッパから離れ、太平洋へ進出できる旅順は何としてもロシアは欲しかった。

 旅順を出ても日本列島が囲んでいるが、開国したばかりでロシアに屈する日本など物の数ではないと見ていた。

 しかし、日本は急速な勢いで国力を増し、ロシア軍を圧倒する状況だ。

 しかも、海援隊の活躍により史実より国力が充実している。

 決して侮れる相手ではない。


「いっそ、旅順を捨てられたらな」


 旅順を助けるために無理な状況で攻撃を仕掛けなければならない。

 ならば、旅順を見捨てるか始めから捨てていれば良かった。


「いや、無理だな」


 ロシアにとって貴重な不凍港であり、アジア進出の拠点である旅順を放棄するなど出来ない。

 したらロシア貴族の反発は必至。

 日本へ配慮した、屈したとみられロシア帝国の権威も落ちてしまうだろう。

 多民族国家であり、図体だけがやたらとデカいロシア帝国にとって強権と権威で保っているだけに権威が落ちようものなら、反乱や外国から戦争をふっかけられる事は目に見えている。


「簡単には足抜けできないか」


 露日戦争も、大国ロシアの威信がかかっている。

 戦争を仕掛けてきた日本を撃滅しなければ、ロシアの威信は地に落ち、ロシア革命が起こってしまう。

 ロシア帝国は滅亡への第一歩を踏み出してしまう。


「何としても避けなければ」


 何処かで一勝して講和に持ち込む。

 それしか方法はなかった。


「良いのは旅順総攻撃と、遼陽の戦いだな」


 史実の戦いでは、日本が攻撃を仕掛けてきた。

 ロシアから攻撃するには現状では兵力が足りない。

 だが、攻め込んでくれば遼陽と旅順の防御力の前に日本軍は撃退できるはず。

 そこですかさず日本に朝鮮半島の権益を認め、ロシアの満州での権益を認めさせる条件で講和すれば何とかなるはずだ。


「クロパトキンには何とか勝って貰わなくては」


 ツェザレーヴィチとしての称号はなくなったが、できる限りの支援をしようとゲオルギーは決めた。

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