ロシア宮廷の戦争指導
「久方ぶりに気分の良い報告だったな。旅順が日本軍を追い返したのは」
宮廷でニコライ二世が少し不機嫌そうに言う。
二ヶ月程前、第一回旅順総攻撃を撃退したという報告は連敗続きだった露日戦争で初めてもたらされた勝利の報告であり、宮廷は狂喜した。
この勢いに乗って日本軍を追い落とそうという話が出ていた。
「しかしゲオルギーよ。お前の意見の為に進撃ができなかった」
だがゲオルギーの反対により実現できなかった。
「旅順の軍は、もう少しで大連を奪回できそうだった。もし満州軍が攻勢に出ていたら挟撃出来たのではないか」
旅順要塞の軍は日本軍に押し返され再び要塞に引きこもってしまった。
しかも第三軍は兵力を増強し包囲網を敷いており出撃は不可能になっている。
そのことをニコライ二世はなじっているのだ。
「しかもウラジオストックへ撤退しようとした太平洋艦隊は撃退され旅順に逆戻りし、迎えに出てきたウラジオストック艦隊は全滅。敗北の知らせばかりだ」
ロシアの威信を見せつけるロシア海軍の艦艇が相次いで撃沈されたことは衝撃だった。
「お言葉ですが陛下」
ゲオルギーは理由を説明した。
「満州軍は緒戦の攻撃で一個軍団を失い、更に二個軍団に大損害を受けています。しかも日本軍は、遼東半島のみならず朝鮮半島からも軍を進めており、旅順奪回の為に攻勢に出れば側面を突かれます」
遼東半島から上陸し日本の第二軍と朝鮮半島から北上する日本第一軍が遼陽を目指しており、旅順に向かおうにも第二軍に足止めされ、そこを第一軍に側面あるいは、背面に回られ退路を断たれる恐れがあった。
しかも日本軍は、海上輸送の優位を利用し大軍を迅速に輸送し、上陸した各軍はそれぞれ一〇万を数え、総計で四〇万に上ろうとしている。
しかも第四軍の編成に入ったという情報もあった。
遼陽周辺にいるロシア満州軍は緒戦の損害もあり一〇万少しに低下している。
極東ロシアの総計でも二〇万はいるが、ウラジオストックや度々日本軍、特に海援隊が襲撃してくる沿海州やアムール川周辺に守備の兵力を置いておく必要がある。
結果、現在の野戦軍の戦力は一〇万を超えた程度。
欧州からの増援により増強中で八月末には二〇万を超えるが、日本軍に対して兵力で劣勢だ。
そのため、無理な攻撃は行うべきではないと進言し攻勢を取りやめていた。
「海軍については、我がロシアは海岸の多くを氷で塞がれており戦力を集中できておりません。個別に海軍を整備する必要があります。また太平洋艦隊を上回る艦隊を日本は持っています。不用意に艦隊を動かすのは危険です」
ロシアは広大で長い海岸線を持っているが大半は北極海に面しており氷に閉ざされ船が航行出来ない。
使える海は北極海、バルト海、黒海、太平洋と四箇所に分散しており、それぞれに防衛の艦隊を建設する必要があり、集中運用できず、島国で四つの島にまとまった日本海軍の攻撃の前に各個撃破されてしまう。
これはロシアの地政学的な宿命だった。
「欧州から兵力の移動、増援を行い、満州軍の戦力を増強するべき時です」
「十分な兵力が集まったのではないか?」
「少なくとも日本軍に対して倍の戦力が整うまで待つべきです。日本軍は新兵器を投入しており、決して侮れません」
「ゲオルギーよ。お前の冗談は面白くないぞ。極東の猿に新兵器など発明できるはずがないではないか」
「ですが、我がロシア軍を撃退していることは確かです」
「……小国にこれ以上大国ロシアが後退することは許されん」
欧米の列強、ドイツかオーストリア、イギリスなら後退しても恥ではない。
だが小国日本相手に下がっては大国ロシアの名誉が傷つく。
これは宮廷の共通認識だった。
「これ以上の後退はロシアの名誉に関わる」
「日本を侮り、負け続けるこのような戦いを続ける事こそ、止めるべきです。極東の果てで戦うなど愚かなことです」
ゲオルギーの言葉にニコライ二世は黙り込んだ。
強く叱責したいが出来なかった。
旅順要塞の勝利はゲオルギーが戦前、旅順要塞の強化を訴え兵力の増強を行ったからだ。
そして満州軍が度重なる敗北で兵力を減じても軍を維持できるのはゲオルギーがシベリア鉄道の設備改善を行ったことにより満州軍へ迅速な増援を送れたからだ。
そのためニコライ二世はゲオルギーに対して強く反対できなかった。
「講和か、日本軍に対して兵力が倍以上になった時に攻勢に出るべきです」
ゲオルギーの意見は無視できないが、ロシア皇帝としてはここでロシアの力を見せつけなければ、威信に関わる状況だった。
「陛下、おめでとうございます」
その時、侍従が駆け込んできた。
「王子がお生まれになりました」
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