秋山の不安

「バルチック艦隊の位置が不明だ」


 旗艦三笠を訪れた鯉之助は早速、秋山から悩みを聞かされた。


「バシー海峡を通過したことはフィリピン共和国海軍の報告を受けて判明している。だがその先が分からん」


 台湾沖をバルチック艦隊は通過していた。

 台湾は日本の領土だったが、大艦隊が入港できるだけの設備も物資もない為、なにより、攻略する余裕などない為通過していた。

 そのため、ロシア艦隊の動向は不明だ。


「対馬に向かうなら間もなく哨戒線に触れても良いはずだが、全く報告が無い」

「洋上で給炭作業を行っているんじゃないのか?」


 史実でも、石炭を各艦に補給するため琉球諸島沖の太平洋上で停船しスケジュールが遅れていた。


「いや、一刻も早くウラジオストックへ向かいたいはず。もしかしたら津軽海峡へ向かったために、哨戒線に接触して居ないのでは」


 だが疑心暗鬼に囚われた秋山は、ロシア艦隊が対馬海峡へ向かったのでは無いかと疑い、鯉之助の言葉に耳を貸さない。

 いや、自分の考え、最短コースは対馬経由であり軍事的に最も、合理的である事にさえ疑念を生じている。

 疑い始めると全てが疑わしくなるものだ。


「ウラジオストックにバルチック艦隊は一隻でも入港してしまえば日本はお終いじゃ」


 だが、日本の命運が掛かっている、重責を担っているだけに無理も無かった。


「また旅順のように封鎖する余裕など我が日本にはないし、輸送船を沈められたら仕舞いじゃ」


 たった一隻、戦艦か装甲巡洋艦がウラジオストックへ入ったら通商破壊を行うだろう。

 そうなれば封鎖のためにウラジオストックを旅順のように囲む必要がある。

 そのために艦隊を動かす余裕など日本には最早無かった。

 かといって封鎖線を緩めたら、常陸丸のように鎮められる輸送船が出てきてしまう。

 あのときは国民が上村長官の家まで押しかけてきて投石していった。

 国民の支持が無くなれば戦うどころでは無くなる。


「大丈夫だ。バルチック艦隊は対馬沖を通過する」

「そう思っているが連絡が無い。他の幕僚も津軽に行くのでは無いかと不安に思っている。東郷長官も津軽海峡への移動命令を出そうとしていらっしゃる」

「それは心配しているだろう」


 史実でも、東郷長官は対馬来航を確信できず、情報無く時間が過ぎていくことに焦り、対馬海峡へ移動することを命じようとしていた。


「なら、我々海援隊の艦隊が対馬海峡へ向かうことにしよう」

「だめじゃ、それだと兵力の分散になる。バルチック艦隊を撃滅する事など出来ない」

「戦艦四隻と巡洋戦艦、いや海軍の言葉で言えば装甲巡洋艦二隻だけだぞ」


 日本で進められていた皇海級の三番艦と四番艦が就役し、戦列に加わった。

 練度は低いが、アウトレンジで砲撃できるようになっており、次の戦いでは活躍が見込まれる。


「だめじゃ、我が連合艦隊の二隻戦艦が失われている。海戦までの戦列復帰は絶望的じゃ」


 先のロシアの通商破壊艦が襲撃してきたとき、館山に停泊していた戦艦初瀬が雷撃され大破沈没した。

 幸い浮揚に成功しドック入りできたが、修理に時間がかかる。

 また、もう一隻、八島が停泊中に爆発沈没していた。

 こちらは石炭庫の火災で弾薬庫に熱が伝わり、爆発したためだ。

 当時、石炭を使う船舶は軍艦であろうと商船であろうと石炭の自然発火に悩まされていた。

 石炭を多く積み込むと、石炭の重量により、圧縮され熱が発生し、自然と発火するのだ。

 実際、事故が多く沈没した船も多い。

 あのタイタニック号も出港時、石炭庫で火災が起こり、船体が膨張するほどの規模――現代の画像解析で指摘されており、あっけなく沈んだのは火災により、船体強度が低下したためでは無いかと言われている。

 それほどまでに石炭庫での火災は恐ろしいし頻発していた。

 鯉之助が、北樺太の油田があるとはいえ輸入途絶の危険を冒してまで重油専焼缶にこだわったのも、石炭火災の危険を恐れるが故だった。

 しかも軍艦で起きると、事故で戦闘前に喪失になりかねない。

 日本海軍は戦力劣勢に追い詰められた。


「ただでさえロシアの新型戦艦、ボロディノ級に続くインペラトール級が厄介なのに。戦力が劣っていたら負けてしまう」

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