上陸作戦
島国の日本は大陸へ行くには海を渡り上陸しなければならない。
戦時中だと港が使えず浜辺へ上陸することになる。だが上陸専門、敵前上陸を前提とする部隊はいなかった。
では、敵が待ち構える浜辺への対処はどうしていたのか?
答え:そんな浜辺は迂回して敵が待ち構えていない浜辺に上陸する。
大陸の長い海岸線全てに兵隊を貼り付けておくことなど、どんな陸軍国でも出来ない。畑から兵隊が採れるならともかく陸軍国でも動員できる兵力は限られる。
出来たとしても兵力分散となり、各個撃破されてしまう。
だから、これまでの上陸作戦の先例は全て敵の警戒が薄い海岸への上陸だった。
上陸地点が限られている箇所へ出血覚悟で上陸する必要性が無かったのだ。
太平洋戦争でアメリカが海兵隊を増強して敵前上陸を行ったのは、太平洋の小さい島は上陸箇所が限られるため、強固に防御を固める日本軍の正面に上陸する必要があった。
猛烈な事前の爆撃や艦砲射撃を行ったのも強固な陣地を破壊するためだ。
しかし日露戦争まではそのような必要は無かった。
敵軍のいない海岸に上陸すれば良かった。
だが、ここで上陸専門の部隊の必要性を説いたのが鯉之助だった。
鯉之助も損害の多い敵前上陸に否定的だったが、上陸後の迅速な作戦展開に上陸になれた部隊が必要だと訴えたのだ。
大発動艇を導入し、それを使う部隊の編成の必要性を感じていた陸軍は同意し、海援隊に対抗するため海軍に残されていた海兵隊を増強、師団編制化して志願者からなる特殊な部隊、海兵師団を設けた。
志願制としたのは特殊な技能が必要であり、常の訓練が必要という考え方からだった。
海兵隊が海軍指揮下のため海軍の下に設けられたため一部で管轄権争いが生じた。
しかし良くも悪くも薩長がは幅を効かせた当時の陸海軍上層部そして坂本との個人的繋がりがあった日本軍は軍の垣根を越えて海兵師団の編制に同意し、実現した。
良くも悪くも明治の気風がまだ残っており、これまでの戦い、日清戦争と義和団の乱で上陸専門の部隊が、島国であり大陸へ向かうには常に上陸という過程を経なければならない日本には必要、という認識が出来つつあり陸軍上層部は海兵師団編制を許した。
実際、上陸能力の卓越性を、この初陣で海兵師団は証明した。
母船だけでなく徴用商船にも積み込んだものを含む一〇〇隻の大発動艇は海兵師団第一波五〇〇〇名の兵員を乗せて向かっていた。
定員六〇名なのに人員が少ないのは、大砲や物資を搭載していたという理由もある。
上陸した第一波は直ちに展開し橋頭堡を確保した。
「進むでごわす」
だが、それで済まさないのが海兵師団師団長を務める西郷隆行だった。鯉之助の従兄弟であり西郷隆盛と坂本乙女――龍馬の姉の間に生まれた男子だった。
隆盛の血を色濃く残していた隆行は、薩摩隼人のように勇猛果敢だった。
橋頭堡が一応確保できると部隊を率いて前進してしまった。
部下達は止めるどころか、黙って後に続く、中には遅れを取るなとさらに先に行こうとする連中までいた。
そして鉄道線まで進むとおもむろにレールと枕木を剥がし始めた。
「敵の退路を断ち、我らの陣地作りに使うでごわす」
この先の南山に展開するロシア軍を撤退できないようにするために、鉄道を不通にして障害物を構築する一石二鳥の作戦だった。
あとで日本軍が大連を積み下ろし港に使うときにも使用するが、後で敷設し直せばよいという考え方、ロシア軍に破壊されることとロシア広軌のため敷設し直す必要性もあったので、壊しても問題は無かった。
鉄道破壊を始めていると、周辺で爆発が起こった。
「敵襲!」
「敵ながら素早い対応でごわす」
上陸に気が付いたロシア軍が反撃の為に部隊を送り込んできた、と隆行は思いにやりと笑った。
「応戦するでごわす」
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