斉射

「長官、東郷長官からは偵察を命じられているはずですが」


 砲撃を命じようとする鯉之助に参謀長の沙織が意見具申してきた。


「だが、敵艦隊の誘因も命令されている。そのためには攻撃を加えることも許されている」

「そうですが、そのまま攻撃に移るのは命令の範疇を超えるのでは?」


 威力偵察――敵を攻撃して反応を見る偵察方法を行うと偽って、そのまま攻撃に移るのは古今東西の軍隊で良くある事だ。

 同じような軍令違反を行うなと、参謀長は言ってきている。


「敵の反応を見るだけだ。それに迎撃してきたら東郷長官の前に誘引できる」

「そこまでおっしゃるのなら」


 参謀長はそれ以降黙った。

 鯉之助が敵艦隊に大打撃を与えトドメを刺そうとしているのは分かっている。

 だが、命令の範疇であり、状況は攻撃に最適だった。

 そして、この状態の鯉之助に注意しても、聞き分けがないことも沙織は理解していた。


「おうっ」


 沙織の許しを得た鯉之助は晴れ晴れとした表情で命じた。


「全艦突入! 右砲戦! 交互打ち方!」

「右砲戦! 交互打ち方用意!」


 鯉之助は砲撃命令を下し艦長が復唱して準備が始まる。

 遮風装置のお陰で風が穏やかな露天艦橋がにわかに活気づく。

 伝令が伝声管に向かって大声で各所に連絡し命令を伝える。

 白地に両端が赤い二曳きの海援隊旗がマストに翻り、雄叫びを上げるように激しく揺れる。

 敵艦を打撃するべく皇海は進む。

 だがその攻撃は、今までの戦いのような敵艦隊に接近するのではなかった。


「取り舵! 敵艦隊を右に捉えろ」


 一万メートル以上の遠距離をで、鯉之助は舵を切りロシア艦隊に右側面を見せつけた。


「主砲旋回! 狙え!」


 そして四基の主砲が敵艦隊に向かって旋回し空に高々と砲身を上げる。


「砲撃開始!」


 号令はマストに作られた射撃指揮所に伝わり、綾波から移乗して皇海でも砲術長をしている金田秀太郎海軍大尉に届く。


「了解!」


 金田大尉は測距儀をのぞき込み、浮かび上がる敵艦の像を合わせることで距離と方位を導き出す。


「距離一一〇〇〇、方位二九〇」


 数値を読み上げ、部下達に砲塔の旋回角と仰角を割り出させる。

 その情報は全て砲塔に伝えられ、指示通りの角度に砲塔を旋回させ、仰角を合わせる。


「砲撃準備完了」


 全ての準備が整い砲員が報告した。


「南無八幡大菩薩」


 金田は日本古来からの弓の神様、明治になって大砲が流入し火砲類の神としても見なされるようになった八幡菩薩に願掛けを掛けると部下に命じた。


「撃てっ!」


 四基の主砲から右の砲身より合計四発の砲弾が飛び出した。

 砲弾は一万一〇〇〇メートルの距離を跳びロシア艦隊に降り注ぐ。

 さすがに距離が遠すぎて命中弾は無く、敵艦隊の手前後方に水柱が上がる。


「修正! 仰角二増せ! 旋回角三増せ!」


 だが、立ち上がる水柱を元に金田は射撃データを修正する。

 手前に落ちたのは距離を短く算出していたため、敵艦隊の後方に落ちたのは方位を間違えたため。

 すぐさま修正し射撃方位盤に入力し各砲塔を旋回させる。

 第二射が放たれた。砲弾は飛翔し、ロシア艦隊を襲う。

 敵艦の両舷に水柱が上がり夾叉した。

 命中弾こそ無いが、敵艦を砲弾で囲った。

 後は砲弾を撃ち続ければいずれ命中する状態になった。


「斉射!」


 金田は発射速度を上げるべく、全門同時に撃たせる。

 命中するようになった今は短時間で敵艦に砲弾をたたき込むのが勝負だ。

 斉射を始めてから二射目、ついに命中弾が出た。

 敵戦艦の艦首に命中した砲弾は大きな破壊を見せる。

 いかに強大な戦艦でも船体全てに装甲を張ることは出来ない。

 しかも装甲は横にしか付けておらず甲板にはない。

 このときまで、海戦での砲撃戦は水平射撃、砲口を敵艦に向けて直接狙いを付ける方式だった。そのため、横方向から襲いかかる砲弾に対して装甲を張れば良かった。

 しかし、一万メートルを超える遠距離では遠くへボールを放り投げるように放物線を描く。そのため、落ちてくるとき地面に対して垂直に落ちてくる。

 砲弾も同じで横では無く縦方向から落ちてくるため、装甲の無い甲板を打ち抜く。

 無防備な甲板を打ち抜かれた戦艦は容易に砲弾の侵入を許し爆発を受けた。

 内部に充填された下瀬火薬の爆発によって艦首は吹き飛び焼夷効果によって周辺は大火災を起こしていた。

 その後も次々と砲弾が飛び込み、戦艦の喫水線より上の部分――水面より浮き出ている部分は破壊されていく。

 迎え撃とうとするが、距離が遠すぎて狙えずにいた。

 それでも主砲の仰角を上げて射距離を伸ばそうとした。

 やがてロシア艦隊から反撃の射撃がやってくる。

 しかし、砲撃はまばらでろくに距離を測定していないため、皇海の周囲に落ちる砲弾は無く、皇海の後方に落ちた。


「ふむ」


 遠くに水柱が落ちたのを見た鯉之助は命じた。


「取り舵」


 命中しなかったが砲弾が飛んできたことに変わりは無く、鯉之助は沖合へ進路を変更させた。

 だがこれは撤退では無かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る