日本の石油事情
「ふむ、これはタカラガイの一種だな。非常に珍しい」
鴨緑江での戦いを終え円島の泊地に戻った皇海。
その長官公室のソファーに座った男は 小粒だが陶磁器のような光沢を持つ貝殻に見惚れ満足そうに頷いた。
「是非購入したい」
「毎度ありがとうございます」
「なに、貝も好きだが日本はそれ以上に好きだ。何しろ三浦海岸で見つけた貝殻が美しくて集めて売ったお陰で商売が出来たんだ。息子達に経営を渡した今でも綺麗な貝を取引している。ところでこれは何処で手に入れたんだ」
「フィリピンからもたらされた貝です」
「あのフィリピンからか。さすが太平洋商会だな」
「ええ、我々は手広く商売をしているので」
海龍商会は、フィリピンの独立闘争にスペイン時代から手を貸していた。
日清戦争で清軍から得た鹵獲品の外国製小銃を弾薬込みで布引丸でフィリピンの独立革命軍に送り出したのを皮切りに軍事顧問団、義勇兵、傭兵などの人的支援を始めた。
米西戦争以降も支援は密かに続いており、今でこそ日露戦争の為に経験豊かな隊員を引き抜いているが、長年の闘争の結果フィリピン人の中にも優秀な軍人が育っており、正規軍並みの装備と練度を誇る部隊を保有するまでに至っている。
鯉之助が手に入れた貝殻は、フィリピン独立革命軍から代金代わりに輸入したからだ。
「他にもマニラ麻を売ってくれてありがとう」
マニラ周辺で育てられた麻は水に浮き太陽や風雨に対して非常に強い耐久性を持っている。
そのため船舶用のロープに最適だ。
品質の良いマニラ麻は世界中で求められている。フィリピンと友好関係を結んでいる海援隊の主力商品であり、各国が手に入れようと必死だ。
今回の契約は主にマニラ麻で貝殻はおまけみたいな物だ。
「それで、この代金として私は何を売れば良いのかな?」
「今まで通り石油を安定的に売って下さい」
サミュエル商会会長マーカス・サミュエルに鯉之助は頭を下げた。
「こちらとしても当然のことです。何しろ海龍商会様は大口のお客様どころか大恩がありますから」
サミュエル商会傘下のシェル・トランスポート&トレーディング・カンパニーは蘭印ボルネオ島の石油採掘で急成長を遂げている会社だ。
その採掘に投資をしたのが海龍商会であり、産出した石油の多くを海龍商会に売っている。
同じくオランダのロイヤル・ダッチが掘り出した石油の販売、運搬業務も一部委託されており、そちらの石油も海龍商会が購入していた。
海龍商会はシェルおよびロイヤル・ダッチの大きなお客様だ。
「ですが現在はロシアと開戦し戦時下にあります。中立義務の履行を盾に石油供給がストップすることを恐れています。勿論値上げも。ですから私はこれまで通りの量と値段で購入したいと言っているのです」
開戦でオランダがロシアからの圧力で日本への石油を止めることを鯉之助は恐れていた。
海龍商会は石油事業に多額の投資をしており、既に新造船および新造艦は重油専焼缶に変えている。
海援隊は樺太のオハとアラスカのクック湾から原油を手に入れているが、戦争となれば消費量が桁違いに多くなる。
供給が途絶えるのは防ぎたい。
「ご心配なく、寧ろロシアは石油を日本に売らせたい考えのようです。バクーの油の価格が吊り上がるように」
一九〇四年現在、世界最大の油田はロシアにあるバクー油田だ。世界中に輸出されておりロシアの外貨獲得手段となっている。
ここで日本への輸出が滞り、石油がだぶついて市場価格が下がることをロシアは恐れていた。
そのためオランダの日本への石油輸出に関しては妨害していないらしい。
一応海龍商会の情報網でオランダが石油輸出を中断しないという情報は得ていたが、オランダ石油会社の意思を直接確認したかった。
石油がこれまで通り獲得できる事に鯉之助は安堵した。
「ありがとうございます」
「いえいえ、商売人ですから。どうせでしたら追加をご購入なさりますか? 重油、経由、ガソリンなどの石油製品も用意していますよ」
「原油の追加はあり得ますが製品は自前の製油所で十分です」
「我々の製品に不満でも」
「いえ、たんに効率の問題です。原油の方が色々と作れますから」
石油は連産品で精製すると様々な製品、天然ガス、ナフサ、ガソリン、灯油、軽油、重油、アスファルトなどの製品が出来る。
消費地近くに製油所を置いて生産した方がそれぞれの商品を輸送するコストが少なくて済む。
もし原産地近くで精製したら遠くの消費地まで多様な商品をそれぞれの方法で運ぶ事になりコストが掛かる。
もっとも長い距離を運ぶのは原油という単一商品のほうが楽だからだ。
「分かりました。しかし問題があります」
「何でしょう?」
「貴国は交戦状態にあります。輸出をすれば戦争に加担することとなり国際法違反に問われる恐れがあります。それと近海でロシア軍に拿捕される恐れも」
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