第一二部 ロシア革命
ロシア革命前史――ロシアの農奴制
農奴は、ロシア帝国の前身であるモスクワ大公国時代からの制度で、農奴は奴隷と違って私有財産は認められているが、領主に負債がある場合、土地から移動出来ず、縛り付けられた半ば奴隷のような存在だった。
負債の返済のあてなど貧しい農民にはなくほぼ一生をその土地で終える。
他の領主が負債を肩代わりすることはあったが、むしろ農奴の負担を更に重くした。
ロシア帝国になって状況は変わらず、むしろ悪化した。
帝国の領域がモスクワ周辺から、周辺諸国、シベリアなどへ拡大したのに伴い、生活の困窮から多くの農民が移住していった。
農民がいなくなり収入を経るのを嫌った貴族達はあ農民の移動を禁止。ここに農奴制が確立した。
あまりに負担に逃亡することもあったが逃げ出した農民は処罰された。逃げ場を失った農奴達は時に大規模な暴動や反乱を起こしたが軍隊によって鎮圧された。
また帝国の領土は帝国と領主などに区分されていたが、時の皇帝が気まぐれに帝国の領土を領主へその土地の農民と共に下賜される事もあり、領主が変わり統治が過酷になるもあった。
時代を経るにつれて農奴の苦難は続く。
海への道を求めたピョートル大帝はロシアを強大化するため西欧化を強く勧めた。しかしそのための莫大な費用を徴税、農奴からの課税強化により得ようとした。
結果、農奴は更に困窮する。特に重かったのが軍隊の維持だ。
強大化するために必要な軍備を農村で維持することととし農民達に兵舎の建設などを命じた。
これが負担となり更に農民は逃亡したり反乱を起こしたが、捕まって処罰されたり鎮圧された。
エカテリーナの時代になり英国と貿易が活発になると、英国へ輸出する原材料の生産に農奴が多く使われ労働強化がなされた。
権利も制限され、移動の禁止、出稼ぎでさえ許可書と旅券の携帯が必要である事に加え、職業選択の自由はなく、結婚も領主の許可が必要だった。しかも農奴は売買され、新聞に「裁縫の出来る娘売ります」「コックとして使える少年売ります」という広告が出るほどだった。
農奴は奴隷のような存在で在り、領主の考え一つで売却も厳しい処罰も何もかも出来た。
使えなくなった働けなくなった農奴をシベリアへ追放する権利さえあり、家族と引き離されシベリアへ送られた農奴の嘆きが記録に残っている。
そして多くの作物を集めた領主は、上等のものを高く買ってくれる英国へ売却し、得た金で豪勢な生活を営む。
一方、小麦はロシアの主要な産物であったが、それを生み出す農奴達は育てた作物の殆どを奪われ、自分たちの口に入ることは殆ど無かった。
こうしたこともあり、領主が自分たちを搾取し得た商品を英国へ送る構造は、農奴に領主と英国への不満を高め、ナポレオン戦争時代、一時ロシアが連合国から脱退しフランス側に付く原因となった。
勿論、ロシアの地理的要因、作物を得るには短すぎる夏、時に寒波がやって来て冷え込む春と秋、そして長すぎる厳しい寒さむさに覆われる冬。このような過酷な環境では農民の生活改善など見込みはない。
またロシアの農業は中世の三圃制から発展しておらず、生産性は低いままだった。
一方、貴族の方はロシア唯一の自由な身分で在り完全な特権階級と化した。
広大な帝国を纏め上げるためには貴族の力が、各地を統治する貴族の力が必要であり、生産を高めるため、帝国への忠誠の証という名目で様々な特権、農奴を完全な私有財産と見なしたり、貴族が重大犯罪を犯したとき課される所領没収の罰さえ排除された。
環境と政治制度により農奴はより一層厳しい生活を強いられる。
状況が変わったのはナポレオン戦争以降だった。
民衆による革命はロシアにも衝撃的だった。
一時フランスと同盟することもあったが、帝政を維持する為、王政を廃止したフランス共和国とナポレオンを潰すため、ロシアは戦った。
パリまで遠征したロシア軍、特に士官はフランスの先進的な文化と思想、特にフランス革命の精神である、自由、平等、人民主権に触れ、自分たちの後進性を痛感する。帰国した彼らは改革、特に農奴の解放、専制政治からの脱却、憲法制定を目指した運動を展開。
強硬手段としてデカブリストの乱を起こすが一日で鎮圧される。
しかし、彼らの動きは無駄ではなかった。
その後のロシアの革命思想及び革命運動に大きな影響を与え、多くの知識人が農奴解放を訴える。
これは時の皇帝ニコライ一世により弾圧され多くがシベリア送りとなったが、一方で農奴への土地支給、家族から分離しての売買禁止など農奴の生活改善の道筋を付けた。
クリミア戦争が起こるとロシアに近代化の必要性を痛感させた。
国力を増強するため、農奴を有用な臣民にして国力を増強するため農奴を解放する農奴解放令を出した。
農奴解放令により、農民には自由と土地が与えられ制度的には農奴の身分はなくなった。
しかし無償ではなかった。
政府が地主に対して寛大な価格で買い戻し金を支払う事になっており、解放された農奴も国家に対して負債を支払う義務を負わされた。
しかも与えられた土地は、貴族の手元に残った土地もあり、狭く痩せこけた土地が割り当てられた。
更に与えられた土地は農村共同体――ミールが集団的に所有した上に、財産に関する様々な監督を行ったため、農奴の生活は一時困窮した。
貴族も土地を奪われ不満が残る結果となった。
しかし、多くの制限がなくなり、余剰労働力となった彼らが一九世紀後半においてロシアが工業化するときプロレタリアート――労働者として流入し工業化を促進する要因となった。
勿論、そこには影もあった。
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