第四師団 吉田3

「あーしんどい」


 吉田は自分が所属する第四師団と共に歩いていた。


「先日まで旅順に向かっていたのにどうして回れ右して、歩かなあかんのや」


 吉田達、大阪第四師団は先日大出血して占領した南山を越え、更に北に向かって歩いていた。


「南下してくるロシア軍を迎え撃つために北方へ向かう」


 とは、中隊長からの訓示で聞いていたが、わざわざ敵が来るのを迎え撃つために歩いて行くのは徴兵されただけの吉田には理解できなかった。


「ああ、腹が痛くなってきた」


 不安から来る胃痛と大陸の水合わない。

 煮沸され消毒液を入れて飲用可能になっているが、消毒液の匂いがきつい。

 だが生水を飲めば、たちどころに腹を下してしまう。

 そのまま寝込んだら、置いて行かれ周りを得体の知れない住民に囲まれて過ごすことになる。

 だから我慢して進むしかない。


「なんだ吉田。腹が痛いのか?」


 吉田の呟きを聞いていた上官の軍曹がいう。


「毎日これを飲むんだ」


 そういって征露丸を渡された。

 下痢を防止するために軍から支給される薬で毎日一つ飲むように言われている。


「でもこれ不味いですよ」


 効能はあるのだろうが、味も苦く強烈な匂いのする丸薬のため仲間の殆どが、飲んでいない。


「腹を下して歩けなくなった置いていくぞ」


 敵地に置いてかれるのは死も同然だ。

 仕方なく吉田は飲む。

 強烈な匂いに吐き気がこみ上げてくるが堪えて飲み下す。

 食道を不愉快な物体が通過するのを我慢しながら腹に押し込んでいく。


「ふう」


 胃の中に無事納めた事にホッとして吉田は一息吐く。

 無事に飲み込んだのを確認した軍曹は満足げに見た後、吉田に命じた。


「予防を兼ねて毎日飲め」

「毎日ですか」

「戦場に居る兵士は必ず征露丸を一日一錠服用せよ、との陛下のお言葉である」


 天皇を持ち出されては仕方なかった。

 これにはいやがる将兵も従うしかない。

 だから強烈な匂いを放つ征露丸など殆どの将兵は本当は飲みたくなかったが、皇国教育が行き届きつつある明治日本では、天皇の命令では従う事を教えられており、言いつけに従い服用していた。

 だが神に御利益があるのだろうか、と吉田は疑問だった。

 高い金を払って神社で行った徴兵忌避の祈祷は通用しなかったのに征露丸が本当に効くのだろうか。

 しかし、吉田は飲むことにした。

 お陰で、腹を下すことは少なくなったし、痛みも和らいで歩き易くなった。


「しかしワイらも前進する必要があるのやろうか。名古屋の師団だけでなく熊本や善通寺からも師団が到着しとるのに」


 旅順方面に前進していた第四師団だったが、遼陽方面よりシベリア第一軍団が南下しているという報告を受けた第二軍が慌てて北上を命じた。

 名古屋第三師団が南山で陣地を再構築していたが、間に合わない可能性があると判断した第二軍が第四師団を引き抜き、迎撃に回したのだ。

 大連には金沢第九師団、熊本第六師団、善通寺第一一師団が来着しており彼ら埠頭に降り立つ様子を見た吉田達が疑問に思うのも当然だった。

 だが彼らの揚陸が遅れており、船から下りた部隊だけでは戦力にはならず、彼らが戦闘態勢を整えるまでの時間稼ぎのため、第四師団が出て行くことになったのだ。


「えらい貧乏くじやな」


 下手をしたら敵の大軍にもみくちゃにされるのではないかと吉田は恐れた。

 南山の時のように堅い陣地に籠もって抵抗されたらひどい目にあう。

 ロシア軍の逆襲も怖い。

 あの巨体で襲いかかられては勝てる気がしない。


「戦いにならんで欲しいわ」


 幸いなことにシベリア第一軍団の南下は遅れており、後から揚陸した師団は間に合った。第四師団単独で戦闘する恐れは無くなり、吉田は安堵した。

 だが、後続の師団が続々と北上している状況で、第四師団が後退するのは混乱すると判断され旅順へ引き返すのはシベリア第一軍団撃退後、とされた。

 そのため吉田は、この後に起こる得利寺の戦いに参加することになって仕舞った。

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