沿海州租借
ゲオルギーの言葉に鯉之助は苦笑した。
もしロマノフ王朝が倒れ、史実のソ連のような政府が現れ、帝政時代の条項は無視とか言われたら結んだ条約が無意味になる。
特に利益をもたらす領空通過の約束が反故にされる。
その意味ではロシア帝国の、ロマノフ王朝の維持が日本には絶対不可欠になる。
つまり百年後の利益のために日本はロシア帝国を支えなければならなくなるのだ。
ある意味、日本はロシアに奉仕しなければならない立場になる。
「結局、ロシアの為に日本が尽くすことになるのか」
「共存共栄と言って欲しい。ロマノフ王朝が倒れてこの条約が反故にされるのは日本に執っても不幸な事でしょう」
「たしかにそうだ」
ゲオルギーの言葉に鯉之助は頷かざるを得ない。
日露戦争後の日露関係は友好的なもので、問題はなかった。
双方とも戦争で痛手を被ったこともあるが、対立する要素はなかったのだ。
だがソ連が出来てから仮想敵国として警戒しなければならない相手となって仕舞った。
革命輸出のためにテロ輸出さえ、行うソ連より、国際法を守るロマノフ王朝のロシア帝国の方がマシだ。
「分かりました。それなら仕方ない。しかし、日本国内が納得するかどうか」
未来を知っているのは鯉之助とゲオルギーだけであり、実際起きるか分からない。
というより、ソ連が生まれる事を防ぎたい立場だ。
「なら先ほどの件だが沿海州は割譲出来ないが租借という形で日本に渡すと言うことにしてはどうでしょう?」
「良いのか?」
いずれ返還する事を約束しているとはいえ、領土割譲に限りなく近い。オホーツク海沿岸部やカムチャッカでも揉めるだろうに、沿海州まで取り返す事を諦める形になる。
しかしゲオルギーは平気だった。
「万が一の時、ソ連が出来上がった時、沿海州が租借地なら亡命政権を樹立することが出来る。日本にとっても不利な条件ではあるまい」
確かに万が一共産主義革命が起きた時、ロマノフ王朝の生き残りを連れてきて租借地を使って大陸に緩衝国家を作ることは可能だ。
失敗しても日本が借りているため、共産主義政権も手出しは出来ないはず。
悪い条件ではなかった。
「まあ、租借期間は短く、そうだな三〇年と言ったところでどうだろうか? 沿海州をどうするかはその後決めると言うことで」
ロシアの内戦を収める必要がある。
そして、この戦争の痛手を回復する必要もある。
三〇年という月日は妥当な期間だと言えた。
その時までにロシアがヨーロッパ方面で復興を果たせばシベリア開発を進め、沿海州を取り戻す切っ掛けとなる。
出来ないのなら沿海州を統治するだけの力も無いから不要、という計算も働いていた。
「租借期間は認めます。詳細は後日詰める必要があるでしょうが」
「出来るだけ早急に決めましょう。認めて貰えれば、我がロシア軍はすぐにでもここから、安達から撤退しよう。それで日本が地下資源を自由に使えるようになる」
「いいのか?」
莫大な石油資源があるこの土地、安達、のちの大慶から撤収すると言うことに鯉之助は驚いた。
「ロシアがここを開発して日本やアジアに石油を売りつけることも出来るが、首都サンクトペテロブルクからは遠すぎる。バクーの油田を開発してヨーロッパに売った方が儲けになる。むしろウクライナなどを開発してヨーロッパへ売った方が良いだろう」
大消費地であるヨーロッパ方面の資源を開発した方が、コストも安く開発しやすいのでロシア復興の役に立つ。
「それに百年後はともかく今はアジアは貧しすぎる。原油など日本程度しか売れない。その時は日本から恨みを買うだろう。ならば日本に譲った方が良い。日本が援助してアジアを発展させてからロシアが進出するだけで十分だ」
日本にアジアの開発を任せ、十分に市場になってから進出する。
非常にしたたかな考え方だ。
「それにここは清国の領土だ。開発するには非常に手間がかかる」
日露両軍が激突したので忘れられがちだが、満州は一応清王朝の領土だ。
ロシアの外交攻勢により勢力圏となっているが、清国のものだ。
もしここに石油があると分かれば、富をもたらすと知れば清王朝が出てくる。
場合によって他の欧州列強、特に進出の遅れているアメリカを巻き込んで市場開放を求めて来るだろう。
そのような厄介ごとに巻き込まれている暇はロシアにはない。
ここで労力を使うくらいなら、ヨーロッパロシアを開発した方が建設的だ。
安達からの撤退は妥当だった。
「もし、拒絶したらどうする?」
「いや、それは出来ない。私にも対抗手段がある」
「どんなだ?」
「ここに油田がある事を公表する」
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