監視されるバルチック艦隊
「艦長このままロシア艦隊を見送るのですか」
フィリピン共和国海軍防護巡洋艦ホセ・リカルドの乗員が艦長であるピラールに意見具申をした。
彼も独立戦争のとき海援隊から多くを学び戦い抜いた一員だった。
その恩を返したいと強く思っていた。
「フィリピン政府の方針は中立だ。日本側に立って参戦することはできない」
フィリピン政府の方針は妥当だった。
参戦したところで日本に協力できることは多くはない。
日本に対する好意的中立、日本に対して便宜を図り物資を提供するのが最大の貢献となる。
だから宣戦布告などできるはずがなかったし、ロシアと交戦状態に入ることも良しとはしなかった。
「だが可能な限り協力する。ロシア艦隊の進路と編成その他の詳細な報告をフィリピン政府に送るんだ。平文でな」
「了解しました」
ピラールの命令で直ちに電信室からホセ・リカルドが得られた情報が発信された。
通信は当然フィリピン政府に送られたが、仏印にある海援隊の施設――貿易の拠点として建設されていた商館の通信設備でも傍受され日本へ転電された。
こうして日本はバルチック艦隊の動向を逐一受け取ることができた。
「またフィリピンの軍艦が通信を行っています」
フィリピン艦の追跡と打電していることはロシア艦隊の方でも把握していた。
そして日本側が傍受しているであろう事も予測していた。
「沈めますか」
度重なる追跡にバルチック艦隊側も神経をすり減らしていた。
「いや攻撃して沈めてしまってはロシアの立場が悪化する。フィリピン政府に強く抗議するように言え」
中立国の艦船を攻撃することができなかった。
そんなことをすればロシアの立場はさらに悪くなる。
「仮装巡洋艦ウラルより電波妨害を実施する用意あり、と言ってきてますが」
バルチック艦隊に配備された仮装巡洋艦ウラルは元は大西洋横断の為に建造されたドイツの客船カイザーリンマリアテレジアだ。
1890年に建造され、当初の名前はシュプレー。
排水量は七八〇〇トンで二〇ノットを出せる優秀な客船で大西洋横断航路に使用された。
だが、次々建造される大西洋横断客船の前に旧式化し99年に改装されカイザーリンマリアテレジアへ改名した。
そして日露戦争が始まると、仮装巡洋艦を欲しがっていたロシアに買い取られ、ロシアへ改装され改装。
名前も仮装巡洋艦ウラルに改名しバルチック艦隊に随伴することとなった。
その改装の際に最新の通信機材を搭載したウラルは強力な電波を発信することが可能であり、六〇〇海里先の相手とも通信することが可能とされていた。
その能力を生かして相手の通信を妨害することは可能であり、ウラル艦長はロジェストヴェンスキーに意見具申していた。
「不要だ」
だが、ロジェストヴェンスキーは止めさせた。
自分の艦隊も通信が傍受できなくなるしフランス領の近くで何を言われるか分からない。
それに電波妨害の効果がロジェストヴェンスキーには分からないし理解できなかった。
二〇世紀は通信とその妨害が戦いの主役に躍り出てくることになるのだが、登場したばかりの無線機に対して知識、認識が共に不足しているのは仕方なかった。
殆どの人間が無線機の有用性を知らないのだ。
また新たな報告も在り、ウラルの進言は顧みられることはなかった。
「新たな艦影を確認。防護巡洋艦です」
「どうせまたイギリスかフィリピンの艦艇だろう。無視しろ」
ロジェストヴェンスキーも何度も中立国艦船へ誤射したことでナーバスになっていた。
一刻も早くウラジオストックへ駆け込みたくて、先を急がせた。
そのため新たに見つけられた艦艇は無視されることになった。
だがその艦艇はバルチック艦隊から離れると日本本国に向けて打電した。
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