旅順艦隊出撃

「日本軍が大規模な船団を編成している情報が入った」


 旅順の臨時極東総督府――ゲオルギー殿下の洞穴奥深くに避難して指揮を執っていたアレクセーエフは呼び出した太平洋艦隊参謀長ヴィトゲンシュタイン少将に言った。

 マカロフ提督戦死後はアレクセーエフが艦隊司令長官を兼任し直接指揮していたが、事実上の指揮は参謀長のヴィトゲンシュタイン少将がとっていた。


「船団は日本の第二軍を積み込み、ヤールーの河口に運び、上陸させるつもりだ」


 ヤールーとは鴨緑江の英語読みであり、ロシアでも同じ発音で呼ばれていた。


「上陸してくる総兵力は三個師団、十万近い兵力だ。これが上陸すれば満州は危うい」

「確かなのですか?」

「日本に放った情報網の報告だ。上陸兵力の大半が門司と下関に集結している」


 平時から日本の情報収集を行っていたロシアだが極東の知識が少ないため情報収集は活発ではなかった。

 だが百隻以上の大船団となれば、港で目立たないわけがなく、中立国の船などから情報が入ってきていた。


「既にザスーリチ中将率いる第二シベリア軍団二万四〇〇〇が鴨緑江の日本第一軍一〇万と対峙している。その側面に上陸されるのは、危険だ」


 ヴィトゲンシュタイン少将は海軍軍人だが軍事の常識は知っている。

 防御側は三倍の戦力を相手に出来る。陣地を構築して更に強固に固めた場合は五倍。

 川などの障害物があれば、それ以上の防御力を誇る。

 鴨緑江を防御線としたザスーリチ中将の第二シベリア軍団は、十分に日本第一軍と戦える。

 しかし、その側面に更に一〇万が上陸されると厄介だ。

 無防備な上陸時を襲撃するとしても、残存兵力と第一軍の挟撃で殲滅される危険がある。


「そこで太平洋艦隊には、遼東半島へ上陸する日本の船団攻撃を命じる。船団は出航して四日後、明後日にはやってくるだろう」

「確かなのですか?」

「我が方のスパイからも情報が流れている直ちに準備しろ」

「しかし、情報が確定してからにしては? 敵の上陸が行われてから出撃した方が確実です」


 敵が何時何処に上陸しているか確定していない状況で封鎖されている艦隊を危険にさらしたくなかった。

 だからヴィトゲンシュタイン少将は日本軍の上陸が確定してから艦隊を送り出したかった。


「ダメだ。満州には一歩たりとも日本軍をいれてはならない」


 満州に多大な利権を持つアレクセーエフにとって満州は自分の財布であり日本が一歩でも踏み入れることは我慢ならなかった。

 また海軍軍人として、自分の海軍が一方的に日本軍に圧倒されている状況が我慢できなかった。

 一矢報いたい気持ちが強く、アレクセーエフは出撃を強要した。


「洋上において撃滅せよ」

「しかし」

「これは命令だ」

「分かりました」


 無能だが上官であるアレクセーエフの命令にヴィトゲンシュタイン少将は逆らえなかった。


「やれやれ、どうしたものか」


 対一四インチ砲防御の地下掩体壕を出てきたヴィトゲンシュタイン少将は考え込んだ。

 旅順の外は日本艦隊が警戒している。

 その警戒網をくぐり抜けて襲撃部隊を送り込むのは容易ではない。


「潜水艇を警戒しているようだが、日本艦隊の見張は厳しい。ならば、艦隊を出して囮にするしかないか」


 旗艦であるツェザレーヴィチに戻ったヴィトゲンシュタイン少将は部下の幕僚と共に作戦を練った。

 艦隊主力の戦艦が夕方、外港へ出撃し旅順砲台の援護下で日本艦隊を撃退し、監視に穴を開ける。

 その間に闇夜に紛れて巡洋艦と駆逐艦で編成した襲撃部隊を送り込もうというのだ。

 二隻ある潜水艇も予め送り出し、あわよくば日本の戦艦を撃沈しようとしていた。

 だが、潜水艇は新兵器にありがちな初期故障――ガソリン漏れが二隻とも発生し出撃不能となってしまった。

 仕方なく、ヴィトゲンシュタイン少将は出撃日当日、戦艦を連れて出撃した。

 監視艦艇の無線による迅速な報告と閉塞船を迂回するために時間を取られたため戦艦が外港に集結したときには既に旗艦三笠を先頭にした日本艦隊が待ち構えていた。

 日本艦隊は、予想通り開戦前の改装で仰角を上げ射程を伸ばしており、ロシア戦艦の射程外から一方的な砲撃を行っていた。

 だが、これもヴィトゲンシュタイン少将の作戦通りだった。

 ロシア艦隊が反転し、旅順港へ逃げ込もうとすると東郷長官は一斉回頭を命じ、ロシア戦艦に近づこうとした。そして、全艦が回頭した直後、初瀬の左舷艦尾で爆発が起こり水柱が上がった。

 前夜、ロシア艦隊が密かに沈めた機雷によるものだった。

 日本艦隊の射程から進路を予想して敷設していたのだ。

 そのうちの一つがロシア軍には運良く、日本軍には運悪く引っかかってしまったのだ。

 幸いにして、触雷と同時に潜水艇の攻撃を警戒して残りの戦艦五隻を離脱させた。さらなる触雷はなく、初瀬も随伴艦である防護巡洋艦の救援を受けて離脱した。

 その作業にかかりきりになり、ロシアの襲撃部隊は日本艦隊の妨害を受ける事無く出て行った。

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