乃木邸への訪問
「失礼します閣下」
「閣下はよしてください。今は院長です」
少し顔色を昏くしながら乃木希典は、答えた。
第三軍が解散した後は廃兵院長官――負傷し四肢を欠損した兵士を収容し慰労する機関の長を務め上げた後、学習院院長に任命され皇族華族の子弟教育を行っていた。
半ば厳しい教育で、自らの発案で中等科と高等科は全寮制にして六棟の寄宿舎を建設させ、該当生徒を住まわせた。
乃木も月に一回か二回、自宅に帰るのみで、生徒と共に寝泊まりし寝食を共にする生活だ。
今日は珍しく自宅に戻っており、それを鯉之助は聞いて訪れた。
「少し宜しいでしょうか」
「うむ」
妻である静子にお茶を入れるよう伝えると客間に通した。
「明日、大喪ですね」
「そうですね」
桃山に向けて特別列車が原宿の宮廷駅から出発する予定だ。
「生徒の指導も大変でしょう」
「概ね、親しんでくれますが、。私のやり方に反発する生徒もいます」
生徒と寝食を共にしてるため、希典は生徒の輪に入り時に冗談を言うなどして交流を深め、多くの生徒から「うちのおやじ」と言われて慕われた。
だが、それまでの学習院とは違う教育のため、志賀直哉を初めとする学習院卒業生などから反発を受け、文学同人誌「白樺」で反発を受けていた。
「それでも正しいと思う教育をする事以外、出来ません。近衛のご子息は、夜中歩くのが怖いというので、面を入れて強くなるよう指導しています。なかなか上手くいきませんが、ひとかどの人物にはなるでしょう。臆病ですが感受性が強いからです。私もいろいろな事を感じて怖がって泣き虫でして妹に虐められてお泣きしたものです。ですが、太子を抱き目標を立てれば、進んで学び、多くを体得できるでしょう。上手くいけば、彼は大成します」
乃木は嬉しそうに言った。
「親王の方々は?」
「三人の殿下がご入学され教育に力が入ります。幸い裕仁様はご聡明であられる。山鹿素行先生の『中朝事実』と三宅観瀾先生の『中興鑑言』を渡し、熟読するようお伝えしました。少し早いかもしれませんが、きっとご理解なさるでしょう」
皇太子殿下、いや大正天皇の三人の男子を受け入れ、教育にあたっていた。
「殿下は何かおっしゃいましたか?」
「……閣下はどこかへ行かれるのですか、と尋ねてまいられました」
史実では自決の前日、『中朝事実』と『中興鑑言』を乃木から渡された昭和天皇が、尋ねたとされる。
「思えば遠くに来ましたな。あれほど厳しかった日露の戦いが、未だに鮮明に覚えている戦いから、大分経ちましたな」
「ええ、来てしまいました。多くの兵卒に……助けられながら」
乃木はぽつりぽつりと言いながら答える。
「若気の至りとはい軍人を志してしまった。少佐に任官された時は生涯愉快な日であり、後悔はありません。しかし、陸軍に泥を塗り、多くの親や子供を死なせてしまった。それが申し訳なくてならない」
日露戦争で多くの兵士を無くしたことを乃木は生涯悔いていた。
戦争の技術が発達したため動員数が増えた上に、機関銃や大砲などにより死傷率も上がり、死傷者の数が文字通り桁違いに増加したのだ。
また、乃木は小倉第一四連隊連隊長心得の時に、士族の反乱鎮圧のため出動した。龍馬が西郷隆盛を海援隊に引っ張り込んだため西南戦争は無かったが、職にありつけない不平士族は多く反乱を幾度も起こした。
その反乱の一つを鎮圧するべく乃木は出撃したが、奇襲を受け軍旗を奪われてしまった。
軍旗は、天皇から親授される連隊の象徴だ。
基本、好感されることはないため、布が全て解けても布地の端を彩る房だけが残っても、古参連隊の証として残すほどだ。
そのため、奪われる事は連隊の恥とされた。
南西戦争時代は帝国陸軍が創設されて間もなくそのような慣習や考え方はなかった。
だが、時代が経るにしたがい、海外の考え方や慣習、軍旗を重視する見方が帝国陸軍内に入ってきた。
特に徴兵制のため部隊の団結を重視すると天皇より親授された軍旗を神聖視する動きが高まり、乃木を一層苦しめた。
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