広瀬武夫

「実際長官でしょう」


 鯉之助の言葉に広瀬は、首を傾げながら言う。


「歳は広瀬の方が二歳年上の筈だよ」


 真之の友人である海軍少佐広瀬武夫。

 東京にいたとき、真之からも紹介されたが、静岡の清水で輸出用の茶の買い付けをしているとき、清水次郎長に気に入られていて滞在していた広瀬を紹介されもしていた。

 その時広瀬は測量艦海門の甲板士官を務めており、沿岸測量及び警備の為、清水港に入港していたが、講道館仕込みの柔術とその豪胆さを次郎長に気に入られていた。

 縁とは不思議なものだ。


「友人だからハッキリ言わせてもらうけど、無駄な作戦を行うべきじゃ無いと言っているんだよ」

「何処が無駄なのだ!」

「成功の見込みの無い作戦だ」

「失敗を恐れていては何も出来ない! 成功すれば旅順艦隊を無力化できる!」

「その成功が見えないと言っているんだ!」


 二人の会話はヒートアップしたが、そこへ体から気体が出てくる音がした。


「おう、すまん」


 二人の脇に座っていた真之だった。

 実行部隊の次席指揮官広瀬少佐と共に鯉之助率いる義勇艦隊の協力を要請するために派遣されていた。


「既に連合艦隊において作戦は決定され、実行するだけじゃ。長官の裁決も出ている」

「作戦の欠点を指摘するのも参謀の役目だぞ。サンチャゴ・デ・キューバで見ただろう」

「勿論じゃ。だが、他に手が無いのも事実じゃ。既に全艦隊に知らせ志願者も出ている既に千人をこえている。中には乗組員全員が志願した艦さえある。血書で熱望してくる者もいる。止める訳にはいかん」


 決死的な作戦にも関わらず、志願者が殺到してきた作戦だ。

 ここで止めたら指揮は消沈するだろう。

 史実の日露戦争でも旅順閉塞作戦は失敗しても日本海軍の士気を高め団結を強くし、後々まで語り次がれる作戦となった。


「作戦中止となり士気が崩壊して艦隊がバラバラ、いや動かす事が出来なくなることは避けたい」

「だが、危険すぎる」

「そのために協力を頼んでいる。その目でサンチャゴ・デ・キューバを見た鯉之助に」


 真之が言うと、鯉之助は黙り込んだ。


「……分かった出来る限りの事はしよう。さしずめ閉塞船だが」

「既に五隻用意している」

「旧式の老朽船だろう。敵の射程内をゆっくり航行したら長時間砲火に曝されて命中弾多数で湾口前で撃沈されるのが落ちだ。海援隊の軸流丸型三隻を使うぞ」

「一万トンを超える高速大型貨客船じゃないか!」


 真之が叫ぶのも無理が無かった。軸流丸は太平洋商会所属の貨客船でサンフランシスコ~ハワイ~横浜~上海を結ぶ太平洋航路に就航していた船だ。

 特徴的なのは蒸気タービンを使用したことにより二〇ノットの速力を出せることだ。このため太平洋航路の航海日数を短縮することに成功していた。

 だが開戦により物資輸送の支援を行うために徴用船として使用されている。

 その性能は素晴らしく、大陸への輸送に大いに活躍している。


「軸流丸は輸送の要だ。投入できないだろう」


 鯉之助の提案に真之は狼狽えた。

 旅順閉塞作戦を進める理由の一つに制海権確保による海上輸送路の安全確保がある。

 海上輸送路が安全で確実に機能しなければ朝鮮半島に上陸した陸軍は撃破されてしまう。

 それを妨害する恐れのある旅順艦隊を封じ込めるのが作戦の狙いだ。

 だがその輸送路の主力であり貴重な輸送手段である海援隊の大型高速貨客船軸流丸を閉塞船に使用したら輸送路が機能不全に陥ってしまう。

 だから影響の少ない廃船寸前の老朽船を閉塞船にしたのだが、鯉之助の提案はそれを粉砕してしまう。


「大型の方が確実に水路を塞げるだろう。それに高速だから射程内の航行時間を短く出来る。成功のために提案しているぞ」

「それはそうだが」


 真之も鯉之助の提案が有効である事は理解している。

 敵の射程内を航行するのだから、速力を増すことで攻撃を受ける時間を短くしようというのは当然だ。

 しかし、肝心要の輸送力、それもダイヤより希少な高速大型船舶が減ってしまうことに躊躇いがあった。

 狼狽する真之を見て鯉之助は勝ちを確信した。

 迎合する振りをして作戦を根底から揺さぶるような提案をして撤回させようというのが鯉之助の腹だった。


「成功させるために必要な事だろう。しないのか?」


 更に鯉之助は追い打ちを掛ける。

 艦隊決戦を提唱するマハンに師事した真之だが、米西戦争で補給の重要性を実地で見たため戦務、輸送を含む後方支援が重要である事を確信している。

 その輸送の要が無くなるは避けたい。


「仕方ない撤回を……」

「ありがとう鯉之助!」


 だが真之の言葉は広瀬の歓声によって遮られた。

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