第五部 旅順攻略編

旅順の重要性

 旅順は遼東半島先端部にある軍港都市である。

 二つの半島によって囲まれた旅順湾は天然の防壁であり軍港として良い。

 ロシア軍が軍港を建設したのも当然だった。

 黄海と渤海の間にある要衝で、北に向かえば天津に上陸して北京へ、南に下れば、南西諸島を通り過ぎ太平洋にも進出できる便利な場所にある。

 なにより一年中結氷しない港であり、ロシアが長い間、持つことを念願していた不凍港であり、絶対に手放したくなかった。

 一方日本にとって旅順は日清戦争で一度は手に入れたが三国干渉によりロシアから奪われた因縁の地である。

 そしてロシアと戦うとき、この旅順は厄介な拠点となる。

 ロシア太平洋艦隊の基地であり、ここから艦隊が出撃し対馬海峡に進出すれば日本は大陸との補給路を断たれ、陸軍は戦わずして敗北する。

 無理に上陸しようとしても太平洋艦隊が出てきて陸軍の上陸を邪魔するため上陸地点は制限される。

 だからこそ連合艦隊は開戦と同時に奇襲攻撃を敢行し、打撃を与えると共に海上封鎖を実行。

 太平洋艦隊を閉じ込めたのだ。

 これで輸送路は確保できた上に、朝鮮半島のみならず遼東半島にさえ上陸できた。

 だが、問題はここからだった。




「旅順を早急に攻略して貰いたい」


 海軍の軍令部部長伊東祐亨海軍大将が大本営の席で陸軍側に申し入れた。


「急に攻略をして貰いたいとはどういうことじゃ?」


 参謀本部総長の山縣有朋大将が首を捻った。

 長州閥のボスとして事実上陸軍を支配するボスである。

 軍人としての能力は無いが、維新の頃からの抜きん出た政治的手腕と人材発掘能力により陸軍を発展させた功労者である。

 各界への影響力も大きく、慕う配下も大勢居る。

 毀誉褒貶激しい人だが、到底、排除することは出来ない人物だった。


「旅順が健在では太平洋艦隊は健在であり、近くの大連への襲撃が行われます」


 大連を占領した日本軍は、設備良好な大連港を手に入れた。

 お陰で部隊の上陸と補給が順調に進んでいる。

 しかし、大連近くの旅順要塞は健在。

 ここから大連に入港する船団へ太平洋艦隊が襲撃してくる可能性がある。


「根拠地を破壊し通商路を確保するべく艦隊を貼り付けております」

「それは理解しておる。陸軍も第三軍を配備して警戒にあたり、旅順攻略を進めている」

 

山縣の言葉に嘘は無かった。

 下手をしたら旅順要塞から陸上部隊が進撃し、大連を攻撃するかもしれない。

 一応、第一師団および第九師団、それに第二軍にいた第四師団を呼び戻し三個師団からなる第三軍を乃木大将を司令官に編成し、大連西方に展開して警戒していた。

 だが、何時までも旅順を放っておくことは出来ない。

 決戦場は旅順ではなく、北の満州平原。シベリア鉄道で送られてくるロシア軍増援を迎え撃つ必要がある。

 そもそも、朝鮮半島を確保するために満州のロシア軍を撃破するのが戦争の目的であり、旅順に構っていられない。

 しかも日本はロシアに対して兵力で劣っているため、封鎖している第三軍さえ、満州平原の決戦に使用したい。

 しかし、旅順を放っておくと大連を攻撃されてしまう。

 ただでさえ兵力が少ない日本陸軍は兵力を満州平原と旅順二分されることを強要されていた。

 海軍の方も、太平洋艦隊が撃滅できたか分からず、封鎖線を強化。

 ロシア艦隊の出撃を不能にしていた。


「しかし、艦艇は開戦以来ずっと海上におります。艦艇の整備が必要です」


 艦艇は長期間洋上にいると期間の故障などが起きるためドックに入って整備する必要がある。

 船底にもフジツボなどが付着して抵抗になり速力を落とす。

 開戦して二ヶ月以上が経っており、そろそろ根拠地に戻してやりたかった。


「また、バルチック艦隊の極東回航が発表されました。最短で三ヶ月でやってくる恐れがあります」


 だが、ロシアからバルチック艦隊の出撃が発表されたことで焦るようになる。

 もし、旅順封鎖中にバルチック艦隊に後方から挟撃されれば連合艦隊は敗北してしまう。

 バルチック艦隊を迎え撃つためにも万全の状態でありたい連合艦隊は、日本へ帰還し艦船の整備を行いたかった。

 だが旅順が健在では、太平洋艦隊が出撃可能であるのならば、日本に戻ることが出来ない。


「愛好するバルチック艦隊を迎え撃つためには事前準備として一月は必要です。今日出撃されたとして到達するのは三ヶ月後。そのため最悪の場合今から二ヶ月以内に旅順を落として貰いたい」

「それは無理じゃ」


 軍事的能力の無い山縣だがそれでも優秀なブレーンがおり、戦況は把握している。

 旅順が到底二ヶ月で落ちる要塞ではない事も知っている。

 だから断った。

 だが、伊東も諦めない。


「もし、バルチック艦隊が来航した場合、ロシアの海軍戦力は日本を上回ります。海軍が勝てる見込むは少なく、鎚魔壊教の海上輸送路を確保する確信はありません。ウラジオストック艦隊の数倍は損害が出ると覚悟して貰いたい」


 海軍側の言葉に陸軍は息をのんだ。

 現在、陸軍兵力の大半が大陸に送られており補給の殆どは日本本土からの船舶輸送によるものだ。

 ウラジオストック艦隊の襲撃の悪夢がまだ残っている。

 数倍となると大陸の日本軍は攻勢どころか維持するだけの物資しか与えられない。

 これでは勝てない。


「……分かりました。できる限り早急に攻略するよう第三軍に命じましょう」


 海上補給路の重要性は日清戦争で山縣は理解していた。

 バルチック艦隊に対抗する為、海上輸送路の確保の為に海軍には勝って貰いたい。

 そのためには旅順を攻略する必要がある。

 それに早期に旅順が落ちれば、北の遼陽で想定されている会戦に間に合うはずだった。

 それに第三軍の司令官は長州の乃木希典。勝利を収めれば、長州閥に箔が付く。

 政治家としてのそろばんを山縣候ははじいて同意した。

 ただ、安全策として旅順攻略は海軍側の強い要望から、という形になるよう記録させた。

 かくして、大本営において旅順攻略が決定し、関係各部隊に指令が伝えられた。

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