マカロフ出撃す
「ゲオルギー殿下が極東総督であれば」
コンドラチェンコは天井を見て嘆く。
「せんのないことだ。今の状況では赴かれても危険すぎる。それにペテロブルクで心強い支援を行って貰えることがありがたい」
「確かに、アヴァストゥマニで病気が快癒してから名君であらせられる」
皇帝ニコライ二世の弟であるゲオルギーは家族から愛されていたが、結核の持病があった。
兄の世界視察旅行に参加したが、途上で気管支炎を発症し帰国。以後はカフカースの保養地アヴァストゥマニで療養していた。二八才の時吐血し意識不明の重体となったが、奇跡的に意識を取り戻し、回復した。
それ以降は、人が変わったように熱烈に政務をこなし、ウィッテと協力して宮廷内の改革を行っていた。
かつての社交的な振る舞いは少なくなり改革を巡って時に激論を兄に――皇帝にぶつけることもしばしばだった。
しかし、あまりに革新的な制作は反発を生み出し、対立勢力を生み出すことになった。
特に日本への気遣いぶり、戦争回避の動きは弱腰とみられ権威主義、覇権主義のロシア帝国において惰弱と見られもした。
だが、その政策は理知的で合理的であり、マカロフもコンドラチェンコもクロパトキンも信頼していたし、ゲオルギーにも重用されていた。
「しかし、我々も無策では無い。緒戦の失敗はあったが、損傷した戦艦は復旧しつつある。それに新戦力も準備は出来ている。ロジェストベンスキー閣下もボロジノ級の他新戦艦の建造を進め、必ずバルト海艦隊を救援に向かわせると言っている。出撃まで一月の準備と三ヶ月の航海で極東にたどり着ける。旅順あるいはウラジオストックから出撃し、日本の海上連絡線を撃破することは可能だ」
「陸軍も殿下の増援が降りますし新兵器の投入も進んでおります。欧州の援軍が迅速にやってくるよう全力を尽くしてくださるはず。シベリア鉄道の改良も行って貰っており、一日一四本の列車を通せるように準備を進めています。夏までには反撃できるようになるでしょう」
「何としても耐えきらないとな」
二人は旅順は味方から切り離されるであろう事。欧州からの増援を受け反撃に転じたロシア満州軍が救援に駆けつけるまで籠城し維持することで一致した。
「海軍は、私の艦隊は出来る限り出撃し、輸送船団を攻撃する。出撃する姿勢を向けるだけで艦隊をこの旅順に張り付かざるをえず日本艦隊を釘付けに出来る。そこをバルト海艦隊が背後を攻めてくれるだろう」
「来てくれますか?」
はるばる地球を半周して艦隊を送り込めるかコンドラチェンコは疑問だった。
しかしマカロフは信じていた。
「バルト海から派遣される艦隊司令長官はロジェストヴェンスキーに内定している。私が地中海艦隊司令長官を務めていた時艦長をしていたが、優秀な男だ。困難な任務だがやり遂げてくれるだろう」
「陸軍も同じです。日本の陸軍は我が旅順の二個師団、殿下の命令により南山に配備した一個師団を以て半年以上籠城し、日本軍を引きつけて満州軍を援護いたします」
緒戦で受けた損害と戦争準備が整わず用意周到な日本軍に対して劣勢にもかかわらず、二人の戦意は高かった。
「長官、監視所より報告。日本艦隊が接近中!」
「迎撃に出る。本艦ペトロハブロフクスを出撃させろ」
「長官自ら出撃するのですか?」
「戦艦が出撃できることを示さなければ連中も艦隊を引き上げてしまうかもしれん。それに一方的に殴られるのは性に合わない」
「殿下から出撃を禁止すると言われていませんでしたか?」
「緒戦の敗北で艦隊の士気は低下している。私が自ら出て行かなければ、示しがつかない。殿下には申し訳ないが、ここは私が前に出ないと誰も行かない。例え死ぬとしても、必ずや後に続く将兵が出てきて旅順を守るだろう」
「ですが」
「安心したまえ。殿下は日本軍の機雷に機を付けろと言った。だが私も機雷や水雷に関しては多少たしなんでいる」
たしなんでいるというレベルでは無かった。
1877年の露土戦争の時、蒸気船「コンスタンチン大公」の艦長だったマカロフはこの巻を水雷艇母艦に改造。試行錯誤と幾多の失敗を乗り越え黒海のスフミ港外でオスマン帝国海軍の装甲艦「アーサール・シェブケト」を撃破した。
このときは外装水雷、舳先に爆薬を付けて敵艦に突き立てる方式だったが、自走式の水雷、魚雷も注目しており、バトゥミにおいて砲艦「インティバフ」へ雷撃を観光し撃沈。史上初の魚雷による敵艦撃沈という記録を打ち立てている。
水雷のみならず、海軍戦術の第一人者としてマカロフは経験も知識もある熟達した海軍軍人であった。
「お気を付けて」
マカロフの強い決意と艦隊の置かれた状況を鑑みてコンドラチェンコはこれ以上止めることは出来なかった。
「ご心配なく、旅順の砲台の援護もあるし、新兵器を用意している。これで連中を一泡吹かせてやりますよ。それより、早く下艦を。陸軍の指揮官が海戦に付き合う必要はありません」
「ご武運をお祈り致します」
「君にもな。これからこの要塞を守る戦いが始まるだろう。私が言える立場ではないが、君も殿下に死ぬなと言われているんだ。お引き立てしていただいた殿下のためにも無駄死にしないように」
コンドラチェンコの激励を受けてマカロフは、礼を言いながらペトロハブロフクスを出撃させた。
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