ロシア軍の戦略

「出来れば、戦争は回避したかった」


 ウィッテを待つ間、報告書を読んでいたゲオルギーは愚痴らずにはいられなかった。

 戦争が起きなければ敗戦はない。

 その間にロシア帝国を改革し、近代化を果たして、軍備を増強し、日本を上回る兵力を持った上で、極東へ進出、あるいは交渉するべきだった。

 現状、シベリア鉄道が所々断線し単線という不完全な状態で、満州に配置した軍備も中途半端な状態でモスクワから九〇〇〇キロ以上離れた極東地域に大軍を送り維持し戦闘をさせるなど悪夢に近い。

 自ら敗北を呼び寄せているようなものだ。

 できる限り開戦を遅らせようとしたゲオルギーだが、アレクセーエフをはじめとする対日強硬派により押し通されてしまった。

 日本を小国と侮っているロシアの大国特有の偏見もあり、日本への譲歩など軟弱とみられる、日本が攻めてくることはない、という声もあり強硬論がまかり通ってしまい露日関係は断交、開戦に至った。


「開戦してしまったからには仕方ない。この上は全力を尽くすしかない」


 万が一の開戦に備えてゲオルギーは軍備の増強と戦争計画の策定を進めていた。

 旅順要塞の防御力強化、人事の刷新などはその一環だ。

 だが、ツェザレーヴィチに転生して記憶が戻った時期が短すぎた。

 実質僅か三年で出来る事など殆ど無い。


「せめてイギリスから戦艦、イタリアと南米から装甲巡洋艦を購入できれば良かったのだが」


 日本との戦争が切迫し、ボロディノ級の就役が間に合わないと判断したゲオルギーは次善策として、諸外国で就役中あるいは建造中の主力艦の購入を目論んだ。


「これらの艦があればどれだけ戦力になったことか」


 だが、日英同盟とロシアの官僚組織が資金を出してくれなかったため、日本と海援隊に横取りされてしまった。


 しかし、現状で全力を尽くすしかゲオルギーには無かった。


「……よそう、こぼれたミルクを嘆くより残ったミルクをどう使うか考えよう」


 後悔を振り払い、改めて戦局をゲオルギーは眺め直し戦略を考え始めた。


「できる限り、旅順を維持し日本軍を引き寄せる。その間にヨーロッパから艦隊と陸軍兵力を移動させ反撃兵力を作り上げる。日本の主攻方向が分かり次第、反撃に転じる」


 史実でもクロパトキンが採用した戦略だった。

 最初は遅滞戦闘――戦いながら後退し時間を稼ぎつつヨーロッパ方面から増援が揃うのを待ち、日本軍に対して倍以上の圧倒的兵力になってから反撃し日本軍を殲滅する。

 軍事的常識に合致した王道と言える戦い方だ。

 だが、史実で失敗したのは、それが大国相手のロシアの戦い方であり、小国相手に行う方法ではない、とされていたからだ。

 小国相手に引きながら戦うのはロシアの面子が潰れる、といって日本軍より少し多い程度の中途半端な戦力で戦いを挑んだからだ。

 それでも日本軍の五割増しの優勢な兵力だったが、日本軍の粘り強さとクロパトキンが日本を過度に恐れたのと本来の計画――撤退して増援が来たら反撃にこだわった為に早い段階で撤退を命じ、それが敗北に繋がることを何度も行ったからだ。

 初めから軍隊を動員できれば良かったが、アレクセーエフをはじめとする強硬派が日本を恐れているように見られるとして戦時体制への移行を拒絶したからだ。

 そのため満州軍は鉄道沿線沿いに分散配備され、一箇所に集まっておらず各個撃破されてしまう。

 開戦した今はさすがに動員令――予備役兵を集め武器を渡し訓練し戦場へ移動させている。

 二一世紀の軍隊なら全ての部隊が即応体制になっているが、二〇世紀初頭の軍隊は平時は少数の基幹兵力と徴兵による現役のみにしておき、戦時になってから予備役を呼び寄せ部隊の兵数を満たすやり方を採用していた。

 これにより平時の軍事費は抑えられるが、動員が終わり戦闘状態になるまで一月以上の時間が必要だった。

 満州軍の主体となる現地の東シベリア部隊でも同じような状況だ。

 何よりヨーロッパから部隊を移動させる時間を、少なくとも史実で遼陽会戦が行われる八月頃まで日本軍の進出を抑えたかった。

 それ以降は、会戦においてロシア満州軍が日本軍の兵力を上回るはずだ。

 圧倒的多数、倍の数を用意すれば日本軍を包囲して殲滅する事も可能。

 大軍を使い横綱相撲を行えばロシアは確実に勝てるのだ。

 だが、そのためには軍隊を移動させ準備する時間を稼ぐ必要があり、極東に配置した少数の兵力、日本軍に対して劣勢な兵力で稼ぐ必要があるのだ。


「ヤールー川で抑えれば満州進出を抑えられる」


 史実を知っているゲオルギーは、最初の大規模会戦であるヤールー川の戦い――鴨緑江の戦いがロシア軍連敗のきっかけであった。

 最も防御に優れる鴨緑江を破られ、山間部に雪崩れ込まれて、陣地を奇襲され続け、後退していったのだ。

 伝統的に防御に優れるロシア軍だが、平原の軍隊であり山岳部の戦い方に弱い。


「日本軍の兵力集中を何としても妨害しなければ」


 ゲオルギーは御付武官を呼び出し、ウラジオストックへ命令を下すように命じた。

 ウィッテが来たのはその直後であり、ゲオルギーはウィッテと戦費調達と軍隊輸送に必要なシベリア鉄道の改良について話し始めた。

 同時に日本軍への攻撃が始まった。

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