敵前大回頭

 発動直後、三笠の操舵手は左へ舵輪を大きく回した。

 取舵一杯。

 急激な旋回のため右へ向かう遠心力が働き、艦が大きく傾く。

 大回頭によって連合艦隊は速力を大きく落とした。

 そこをロジェストヴェンスキーは見逃さなかった。


「東郷は気が狂ったか。それとも神の加護か」


 射程内で敵が旋回、しかも横腹を晒している。絶好の機会だった。


「敵の射程内で展開するなど愚かだ。このチャンスを逃すな。攻撃しろ。連合艦隊を沈めろ」


 すぐさま旗艦スワロフが攻撃を開始した。

 スワロフの発砲を見て後続するロシア戦艦もチャンスとばかりに攻撃を開始した。

 たちまちのうちに三笠の周辺に水柱が立ち上がり、水霧の中に三笠の姿が一瞬消えた。

 三笠が消えたことに他の連合艦隊艦船は肝を冷やした。だが、やがて水霧が鎮まり三笠が再び姿を現すとほっとした。


「いかんの。試射せずにうってくるとは」


 攻撃を受け、水しぶきを浴びる中、参謀長の加藤は冷静にロシア軍の攻撃に演習の審判官の如く評価していた。

 いくら速力を落としていても、すぐに命中させられるほど砲撃が上手くはない。

 戦闘隊形への変換も、試射も行わず撃ってきたため、命中弾を得られなかった。

 周囲に砲弾が降り注いだが、水柱が上がっただけで、三笠に被害は無かった。


「無駄玉ばかり撃っているな。指揮が混乱しているおかげで我が艦隊はかすり傷で済んだが」

「しかし後続の味方は、三笠が水柱に消えて肝を冷やしたでしょうなぁ」

「だろうなあ。しかし秋山、長官がこんなに近づいて回頭し打つとは思ったか」

「いいえ、昨年の黄海海戦で敵艦隊を取り逃したしました。その戦訓に鑑み、出来るだけ近づいてから回頭、交戦したほうがよろしいと進言はしました。ですがここまで長官が接近して旋回させる、とは思いませんでした」


 話をしている間にもロシア軍の攻撃は続いていた。

 やがて三笠は大回頭を完了し直進を始めた。


「砲撃開始。試射始め!」

「砲撃開始。試射始めます」


 東郷長官の命令で砲撃を始めた。敵艦までの距離を計るため、攻撃のため、砲撃のデータを集めるためだ。

 前後の砲塔が交互に僅かに距離を変えながら砲撃を行う。


「距離六四〇〇、近」

「距離六六〇〇、遠」


 砲撃の結果がもたらされた。


「長官、初弾から夾叉となりました。次は至近弾を出せます」

「各艦に、射撃結果を旗旒信号で伝え」

「はい」


 直ちにマストに射撃結果を伝える信号旗が掲げられ、旋回を終えた艦から、射撃を始める。

 だが、その間にもロシア艦は砲撃を続けている。

 しかし日本艦に向けて進撃しているため、前部の砲塔、二基ある内の片方しか砲撃ができない。

 そのため攻撃力は半分だ。

 しかも後方の艦は射程距離外のため、砲撃できない。

 それでも多くの砲弾が三笠の周辺に落ち、ついに被弾した。

 激しい衝撃が三笠を襲う。

 前部マストに直撃弾を受け、桁が落下する。


「前部マスト大破! 切断! 戦闘旗も落ちました」

「後部マスト戦闘旗掲揚! 急げ! 前部マストの跡に仮マストを立てるんだ!」


 舵を切り回避しようかという衝動に三笠の一同は駆られる。

 しかし露天艦橋で海水を浴びながらもバルチック艦隊を睨みつけ、凛然と立っている東郷を見て皆、姿勢を正し攻撃に耐える。

 そしてついにその時が来た。


「第一艦隊、旋回開始完了」

「攻撃データ揃いました」

「敵艦までの距離六四〇〇!」

「撃ち方始め」

「撃て」


 連合艦隊第一戦隊は東郷の号令と共に一斉に攻撃を開始した。

 第一戦隊六隻の全主砲二四門がバルチック艦隊に向けて放たれる。

  特に先頭走っていたスワロフに多数の砲弾が集中する。

 三笠からの射撃データを提供されたこともあり第一戦隊の射撃は正確を極めた。


「各艦に通達。スワロフまでの距離六三〇〇。砲撃は第一目標として先頭を走るスワロフ、第二目標はオスラビア。目標選定の判断は各艦に任せる」

「了解」


 先頭を走るスワロフを狙ったのは旗艦であったため、指揮系統を分断するため当然だった。

 オスラビアを狙ったのは、第二戦艦隊の旗艦だったためと、ロシア艦で唯一、三本煙突だったため、目標として識別しやすかった。

 たちまちのうちにスワロフとオスラビアは多数の命中弾を受ける。

 整備が行き届いた連合艦隊は、一五ノットの速力を出す。

 一方、長期間の航海により整備不良のバルチック艦隊は速力が一一ノットと低い。

連合艦隊は、バルチック艦隊の正面を横切るように進み、先頭を走るスワロフへの砲撃を集中させる。

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