皇国の興廃 この一戦に在り
「バルチック艦隊発見!」
「第三艦隊の情報通りですね」
第三艦隊の報告を受けつつ航行していた連合艦隊はバルチック艦隊に接触した。
「今、敵艦隊の正面を通過しました。敵艦隊の針路は報告通り北東微北、訂正の要なし」
バルチック艦隊の針路を確認するため、一度東側に着いてから戻り、観測した。
第三艦隊の報告を信じていないわけでは無かったが、通信手段が能力不足なため情報共有が思うように出来ず、しかも得られる情報にも多くの誤りが多い。
情報は自分で確認するのが、当然だった。
東郷も、敵艦隊の動きを見定めて、指揮を執りたかった。
「取り舵!」
「取り舵宜候!」
東郷は、左に舵を切らせ、南西の方角へ向ける様にした。
これでバルチック艦隊とは反航戦の形となり、両艦隊の距離は急速に縮まる。
「全艦に通達。Z旗を掲げよ!」
「はっ、Z旗を掲げよ」
信号旗には、本来の文字の他にも、各部隊毎に意味を付けることがある。
連合艦隊では、Zに「皇国の興廃、この一戦に在り、各員一層奮闘努力せよ」という訓示が書かれていた。
決して、誇張ではない。
バルチック艦隊を撃滅できるかどうかに、日露戦争の結末、大日本帝国の命運がかかっていたのだ。
「皇国の興廃! この一戦に在り! 各員一層奮闘努力せよ!」
各艦では三笠からの信号を乗員に大声で通達した。
三笠でも、乗り込んだ士官候補生堀悌吉が、大声で艦内を走り回り伝える。
「長官、ここは危険です。下の装甲塔へお移りください」
参謀長の加藤が、進言する。
砲弾の雨が降り注ぐ中、指揮するのは難しいし、万が一、負傷したら指揮系統が混乱する。
露天甲板の二つ下にある装甲塔で指揮を執るように薦めた。
「ここでよか」
「ですが危険です」
「ここのがよく敵が見えもうす。おいはここで良か。お主らが下に下がりもうせ」
東郷が拒絶しては加藤は何も言えなかった。
「ここは私と秋山が残る。他の者は装甲塔へ」
他の参謀に加藤は命じる。
さすがに各所への連絡や状況確認など司令官一人では出来ない。
作戦の中心となった秋山と、参謀長の自分が残り、東郷を補佐する事にした。
「敵艦隊までの距離一万!」
司令部幕僚が下がった直後、三笠砲術長安保少佐が測距義の数値を読み上げる。
「砲術長、敵艦隊までの距離は?」
参謀長の加藤少将が尋ねる。
「観測したばかりですが」
「再度観測しろ!」
「はっ!」
再び測距義を操作し、敵艦隊との距離を計る。
「距離九五〇〇!」
先ほどよりも距離は近づいている。
仰角引き上げにより、三笠以下主砲の飛距離が伸びたため十分射程内に入っている。
だが、射撃指揮装置がないため、命中率が低く、一万メートル以上では十分な打撃を与えられない。
交戦距離は一万メートル以下と事前に定めてあった。
敵と同じ、射程で戦う事になるが仕方のない事だ。
だが、近づきすぎている。
反航戦にしても相手と距離を取るため、進路変更を行うべき時だ。
同航戦だと、敵の射程内で回頭することになり、敵の砲撃を受けながら旋回すれば被弾してしまう。
「長官! 左で撃ちますか、右で撃ちますか」
参謀長が痺れを切らして尋ねる。
「距離九〇〇〇」
敵艦との距離が近づく。
だが、長官は何も言わずバルチック艦隊を見ているだけだ。
「長官! どちらで撃ちますか!」
「距離八五〇〇!」
「長官! ご指示を」
「距離八〇〇〇! 長官、もう距離八〇〇〇です! 右ですか! 左ですか!」
砲術長の安保少佐も焦り、独り言の態で聞いてくる。
その時、東郷が手を上げ右を指した。
「全艦砲撃戦用意! 右砲戦!」
「右でありますか……」
怪訝に加藤が尋ねる。
「さよう、右砲戦」
東郷は堂々と答えた。
バルチック艦隊は左にいて反対側だ。
「右ですと回頭しなければなりません」
「その通り、左一六点、順次回頭」
「敵の砲撃を浴びます」
既に敵艦の射程内だ。
これから信号を出して各艦に伝え、回頭するには時間が掛かる上に、旋回中は敵艦の良い的となって仕舞う。
回頭中は敵艦をよく捕らえられず射撃精度が低下。
一方の敵艦は回頭中の針路に砲撃を浴びせれば良いだけだ。
そのことは常識であり、敵の前で針路を変更するなど危険すぎる。
だが東郷はあえて命じた。
「構わない。かかれっ!」
「はっ! 全艦左一六点順次回頭用意!」
怪訝に思いながらも加藤は命じた。
マストに信号旗が翻り、各艦が受信。
応答するのを確認し加藤が報告する。
「各艦の受信を確認しました。回頭準備完了!」
「かかれっ!」
「はっ! 発動!」
東郷の命令と共に、加藤が復唱し信号旗が下ろされ、左旋回が発動。
世に言う、敵前大回頭が始まった。
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