八甲田事件と日本陸軍

 八甲田事件前、二〇〇人規模の演習を行う前に少数で先行研究と演習を行って成功したが、荒天に恵まれただけであり、成功理由を第五連隊は把握していなかった。

 結果、観測史上希に見る低気圧に襲われ猛吹雪に巻き込まれ部隊は遭難。

 しかも連絡体制の不備により連隊は部隊の遭難を把握していない状況だった

 運良く新設されたばかりの山岳部隊の会合が青森で行われており、柴崎をはじめとする山岳地行動経験者がいなければ、二〇〇名全員が死んだとしてもおかしくなかった。

 山岳部隊の彼らが進行していた第五連隊の演習内容を聞いて危険を察知して迅速に出動したこと、特に当時大尉だった白瀬矗の半ば独断専行した献身的な行動で、生存者を救出し生還させることが出来た。

 その救出者の大半が一日遅れれば死亡していたとされるほどの極限状況だった。

 以上の理由から日本陸軍の冬季山岳戦の研究は進むことになる。

 特に山岳部隊は、それまでの大隊が連隊に拡大され、日本各地に置かれる。

 山岳部隊の連隊長をはじめとする基幹要員も雪中行軍事件で指揮系統の混乱と冬の山に対する知識経験不足からくる誤断によると判断され、冬季山岳活動を知らない人間ではなく経験者を連隊長にあてることにしたのはいたしかたなかった。

 陸軍人事も事の重大性を認識し、人事の特例を認めざるを得なかった。

 徴兵制と国会そして日本社会に浸透しつつあった新聞社の存在も無視できなかった。

 多くの生存者が出たため、事件を隠すことは不可能だった。

 凍傷により手足の指を失った者が多く、彼らの治療が残された家族の大きな負担になっており、新聞が特集を組んで報道し、議員に支援を嘆願する者が多かった。

 負傷者の大半が徴兵された兵士だったため、軍の命令次第では平時でさえ大量死するという思いを国民は抱いてしまった。

 徴兵反対、血税一揆の余韻が残る世間で再び徴兵制に反対が沸騰した場合、緊張の度合いを増す日露関係――実際今戦っている日露戦争に多大な影響、数的主力を占める徴兵者の士気が崩壊してしまう。

 日清戦争での大勝利でようやく国民の信頼と尊敬を勝ち得た陸軍にとって、国民の心が離れる事が問題だった。

 後年ならまだしも創設して間もない明治三〇年代の帝国陸軍の影響力および存在感、信頼は非常に低かった。

 総力を挙げて戦わなければならない日露戦で国民の心が陸軍から離れる事は戦い以前の大問題であり、天皇の軍隊と喧伝し何とか信頼を勝ち得ようとした陸軍のこれまでの努力を無にしかねない事件であった。

 いっそ全員凍死してくれれば死人に口なしで隠せた、などと失言し新聞に書かれた高級将校もいて国民の反発は更に大きくなった。

 下手をすれば窮乏した家々が第二の秩父事件――明治一七年に困窮した秩父の農民が起こした武装蜂起事件と同様の事件が起きかねず、事を重大視した政府によって早急な対処を陸軍は迫られた。

 陸軍は失言した将校を左遷した後、冬季山岳戦の必要性を――万が一ロシア軍の侵攻が冬季に行われた場合の連絡方法確立などを国会で答弁し理解を求めた。

 一応の効果はあり、陸軍が設立した山岳部隊を拡大し冬季作戦能力を持たせ、彼らが中心となって戦いつつ歩兵部隊にも指導し、全体の冬季山岳戦の能力を高めることになった。

 そのため専門家を、お飾りではなくある程度、国民の間に名前が知られていて冬季山岳地帯での活動実績のある人物が必要だった。

 その人物こそ、千島列島の占守島越冬とアラスカ探検で名を馳せた白瀬矗であり、剱岳に登頂を果たし、アラスカでの測量を成し遂げた柴崎だった。

 こうして山岳第一連隊の連隊長柴崎中佐は生まれた。

 とはいうものの測量官として日本で残雪期や積雪期の初めの冬山を経験しているが、厳冬期は天候不良、視界不良のため測量が不可能な上、危険なので行っていない。

 だが、全く経験の無い人間よりマシ、何よりデナリでの夏でも氷点下を下回る地域の測量を行った事から十分な能力があると判断され、昇進の上、連隊長に任命された。

 創設されてから日数は浅いが徐々に伝統ができはじめている帝国陸軍の中では異例の人事だが、諸事情によりやむを得ない部分があった。

 しかし、諸事情を理解しつつも、いや理解しているからこそ、この人事に不満を持ち、不平を口にする士官、特に柴崎より年上の士官学校出身の大隊長や幕僚――既存の陸軍の軍事部門は勿論、組織システム、兵站や輸送、事務などを処理するためにどうしても士官学校出身者が必要であり、部下として配属された彼らには不満は多い。

 ただ、柴崎は正式に任命された連隊長であり彼らの上官であるため、陰口程度だ。

 それに山に詳しいことは確かで彼らも無視することは出来ない。

 嫉妬の視線は無くならないが、剱岳登頂後、登れば死ぬとされた剱岳から下りてきた柴崎を熱心な立山信仰の信者達から現人神のように思われ投げ銭を浴びたことより、部下達の陰口程度など柴崎にはマシな方だった。

 そう思えば孤立も一人心静かに船酔いに対処できる素晴らしい時間であった。

 少し船酔いが収まったら、最近豊富に支給されるようになったアルゼンチン産牛肉大和煮の缶詰を食べようかと思っていた。

 ブリッジの見張が叫ぶまでは。

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