国民の戦争支持 その理由と欠点

「よくもヌケヌケと言ってくれるな」


 内地から送られてきた新聞を読んでいた鯉之助は溜息を吐いた。


「しかし、事実でしょう。ロシアの南下を食い止めなければ、アジアの平和が脅かされます」

「そうだね。だから勝ち目もあるんだけど」


 ロシアの満州進出は、申告に権益を持つ列強諸国に自分たちの権益をロシアに奪われるのではないかという懸念を生じさせた。

 そのため日本は英国と同盟を結ぶことが出来たし、他国からも支援を受けられる。


「だけど、国内が沸騰しているのは問題だよ」

「戦うのに支持が必要でしょう。大量の武器弾薬の調達や労働力の確保が困難なのは知っているでしょう」


 近年は技術革新が激しく、兵力の動員数が著しく増加傾向にある。

 戊辰戦争の時の鳥羽伏見の戦いが新政府軍五〇〇〇、旧幕府軍一万五〇〇〇の合計二万とされている。

 史実の西南戦争は西郷軍三万、政府軍十万の合計一三万。

 日清戦争では日本軍だけで二四万の兵力が動員されている。

 これだけの人数を動員すると食料だけでも大変だ。

 そして集めた物資を輸送するのにも手間が、多くの労働力が必要となる。

 日々海援隊で貿易と商売を行っているだけに沙織も物資の調達と輸送に頭を悩ませている。

 国民の支持を得られて協力が得られるのなら労働力を集める事はたやすい。


「そうだけど、問題は終わらせる時だよ」

「戦争が始まったばかりなのに終わらせる事を考えているの?」

「何時までも戦い続けられるの?」

「……無理ね」


 樺太での戦いでロシア軍の執拗な攻撃を受け続けた時の事を思い出した沙織は認めた。

 戦い続けるというは非常に辛いことであり、何年もモチベーションを維持することは出来ない。


「士気もそうだけど金が足りないのも問題だよ。戦費は恐らく一年程度しかもたないよ」


 何ら問題なく独力で戦おうとすれば半年から一年が限界だろう。

 無理をすれば二年くらいは行けるが、後始末、膨大な国債、多大な死傷者とその遺族の支援、戦後復興などの問題が山積し、例え勝ったとしても赤字である。

 史実の日露戦争でも赤字なのだから、兵力が更に増える予定のこの戦争では戦費が掠い掛かり赤字は確実だ。


「戦争を早く終わらせる必要がある。その時、国民にも支持して貰う必要がある」

「国民は戦争を支持しているでしょう。戦争を終わらせることも支持するんじゃ?」

「領土獲得なし、賠償金なしで済ますとしても?」

「無理ね」


 国民の支持は、この戦争が日本の圧倒的勝利で終わること夢想、より強く言えば妄想している。

 日清戦争のような圧倒的な勝利が得られると考えているのだ。

 確かに当時の日本に取って清は大国だったが、時代遅れの後進国だった。

 それに勝てたのだから、列強であるロシアと戦っても勝てると考えている。


「日本がロシアに勝てると思う?」

「ほぼ無理ね」


 参謀長の職務を務めているだけに沙織は日本の現状をよく知っている。

 確かに鯉之助は日露開戦に備えてここ数年、準備の為に東奔西走し、戦備は整いつつある。

 しかし、勝利を収められるかというと難しい。

 技術では無く国力、国の自力が明らかに違いすぎる。

 総人口だけで日本は五〇〇〇万人に対してロシアは一億二〇〇〇万人。

 生産力も倍はあるし、兵力の動員可能数もロシアの方が上だ。

 このような状況で日本が勝てるという人間は、何も知らないか、物事を知らない馬鹿だ。


「引き分け、いや負けた状態で条約を結ぶことにもなりかねない。その時、国民はどうすると思う? 終戦に反対して暴動なんて事にもなりかねないよ」

「まさか」


 言い過ぎ、あるいは自説を補強するためのはったりだと沙織は思った。

 だが鯉之助の目を見て本気である事を悟った。

 鯉之助は時折素っ頓狂な事をするが、成功させる時は何時もこんな確信に満ちた目をしている。

 鯉之助が本気で起こると信じており、その対策、夢想では無く実効性を持った計画を考えているようだった。


「少なくとも講和の時、混乱が少なくなるように、しないとダメだ。熱狂しすぎて暴動なんて終戦をご破算にしかねない。いや、下手をすれば戦争目的を破壊しかねない」

「負けたら目的も何も無いでしょう」

「でも負けたとしても出来る事はあるしやるべき事はやらないと行けない。それが、熱狂で頓挫されたら、元も子もないよ」

「そうね」


 沙織は父親達から聞いた大政奉還の事を思い出した。

 当時将軍だった慶喜を初めとする幕府が朝廷へ政権を返上した。

 これは全面降伏と同じと考えられたが、実際には朝廷にも倒幕派にも統治能力がなく、実務者を多数擁する徳川幕府の参加が必要だった。

 実際、明治維新を達成した後も、明治政府は実務者が足りず旧幕臣から多数の官僚を採用せざるを得なかったのは史実でも同じだった。

 大政奉還の後、出来た新政府に徳川も参加することで平和的に日本は生まれ変わるはずだった。

 だが、倒幕派の強硬派が満足せず辞官納地――官位と領地の返上を求めた。また幕府側にも納得出来ない強硬派がいて薩摩の挑発に乗って武力衝突、戊辰戦争が発生した。

 このことに龍馬は自分の計画が頓挫したことを深く悔いていた。

 幾ら素晴らしい計画を立てても、周り、周囲が別の方向へ熱狂して暴走していては破壊されてしまうのだ。


「でも、最初から負けることは考えていないのでしょう」

「勿論、まずは勝つことを考えよう。幸い、緒戦は上手くいっている」


 旅順での奇襲攻撃が成功し、朝鮮半島も確保しつつある。

 不安材料はあるが、今のところ戦争計画に支障を来すほどでは無い。

 上手くいっているという安堵感が鯉之助には、このときはあった。

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