第47話

 なんらの波乱が起こることもなく、朝がやってきた。

 あなたは眩しい朝日と共に目覚め、他の面々が目覚める前に日課を行う。


 あなたが懐から取り出したのは丁寧な装丁の施された本だ。

 その本を割れ物でも扱うかのように繊細な手つきであなたは開く。

 そして、職人が精彩な技巧を凝らした本の世界へと耽溺するのだ。


 じっくりと本の世界を愉しみ、あなたは冷静さを取り戻し、その思考は冴え渡った。

 本の世界に耽溺した心地よい疲労感を溜息と共に吐き出すと、あなたは本を閉じた。


 そうしたところで、もぞもぞと寝袋が動く音がした。

 そちらへと目をやれば、フィリアが目を覚ましているところだった。


「ふぁぁ……あ、お姉様……お早いんですね」


 そう言うフィリアも随分と早い。夜明けと同時に目覚めている。

 やはり、冒険には疲労がつきものであるから、レインもサシャも眠る時間は長い。

 フィリアは冒険者としての年季の差からか、幾分か疲労が軽いのだろう。


「本を読まれていたんですか? すてきな時間ですね」


 たしかに、実にすてきな時間だったとあなたは頷いた。


「どんな本なんですか?」


 問われ、あなたはフィリアに見た方が早いと本を渡した。


「わぁ……すてきな装丁の本ですね。すごく丁寧な作りで……」


 わくわくした表情でフィリアが本を開き、そして顔を顰めた。

 ぺらりとページを捲ると、眉根に刻まれた皺は寄り深くなる。


「あの……お姉様、この本は……だ、男性向けの本では?」


 そう言って本のページを見せて来るフィリア。

 そこには見目麗しい少女たちのあられもない姿が写実的なタッチで克明に描かれていた。

 絵が9割、字はほんのオマケ。絵を楽しむタイプの本であり、俗にエロ本とか言われる。

 たしかに、こうした本は男性向けであると一般的にはそう言われる。ところであなたは女が大好きだ。

 そのように述べると、フィリアはフッと笑った。諦めたような笑顔だった。


「そうですね。お姉様にはとてもお似合いの本かもしれません」


 納得いただけて幸いだ。あなたはそう言って笑うとフィリアに本を返してもらった。

 本を丁寧に『ポケット』へと仕舞いこむと、あなたは手を組んでお祈りをした。

 本式のものではない、簡素な旅路の中で行うお祈りだった。



 しばらくして、サシャとレインも目を覚ました。

 寝起きと言うのは総じて人をブサイクにするものである。

 そのため、あなたはサシャとレインの目を覚まさせるためにお茶を淹れた。


「あら……飲んだことのないお茶だわ。ハーブティーかしら?」


「おいしいです。前のお茶とは違いますね?」


 あなたはサシャに対し、いつも食べてるアレで淹れたお茶だと教えた。


「えっ。アレが、コレに……!?」


 あのクソマズイハーブがなんでこんな美味しいお茶になるんだとサシャが凄い顔をしている。

 残念ながら、このハーブティーは作るのが中々に難しい。準備が必要とかそう言うことではないが、かなり難易度が高い技術を必要とする。

 そのため、ちょっとお茶でもしようと淹れるようなものではない。ちょっと軽食にサンドイッチを、と言ってパンから焼き始める人間は早々いないのと同じようなものだ。

 加えて言うと、単にお茶にしただけでは普通にマズイ。あなたの持ちうる神業級の腕前と知識、そして設備があって実現される美味なのである。


「そうなんですかぁ……」


「ええと、なに? あなた、ハーブティーのハーブをそのまま食べてるの……?」


「ええ、まぁ、はい……」


「美味しいの?」


「まずいです」


「ああ、やっぱりそうなの……」


 まぁ、ハーブと言うのはそのまま食べてもおいしくないからハーブと名付けられて区別されているのだ。

 そのまま食べてもおいしかったら香味野菜と呼ばれているのが自然だろう。


「一体どんなハーブなのか興味あるわね。見せてもらえない?」


 あなたは頷くと、手持ちにあったハーブをズラリと並べた。


 セルベン、ゴシオラ、リー、セイマス、スト=ガス、サマンの6種である。

 薬草として持っているものを含めるともっとあるが、一般にエルグランドでハーブと呼ばれるのはこれだ。

 エルグランドにおいて、ハーブと言うのは肉体的な増強を及ぼす強力な薬効を持った薬草に用いられる。

 毒を解毒するとか、傷を癒すとか、そう言ったものは肉体への増強ではないため、薬草と呼ばれる。


 セルベンは肉体全般を満遍なく増強する。強烈な辛み。

 ゴシオラは筋力を主に増強する。渋みと青臭さ。

 リーは感覚を鋭敏に研ぎ澄ます。恐ろしく酸っぱい。磨り潰すと虫よけにも使える。

 セイマスは頭脳を活発化させる。死ぬほど苦い。

 サマンは脳に作用し、精神を研ぎ澄ます。味は殆どないが、突き抜ける独特の香りが吐き気を催す。

 スト=ガスは肉体全般を増強するセルベンと同種のハーブ。美味だが、胃の中で凄まじく膨らむせいで常人は吐く。


 サシャに食べさせているのはゴシオラである。肉体を増強し、筋力を強化し、さらには体も丈夫になる。


「そんなに顕著な薬効があるの?」


 味は保証しないが効果は保証できる。あなたは頷いた。

 少なくとも、サシャが熊を捻り潰せるようになったのはそのハーブのお蔭だろう。


「熊を捻り潰す……?」


「あ、はい。そのままの意味です……いえ、さすがに武器は使いますけど。熊くらいなら油断しなければ倒せます」


「熊ってそんなに簡単に倒せるものだったかしら……」


「普通は倒せないと思います。ハーブの効果自体は凄いと思います」


「なるほどねぇ……サシャには食べさせるのに、あなたは食べないの?」


 あなたは頷く。あなたは肉体を鍛え抜いているので、もはやハーブの効果がない。

 ハーブは物理的に鍛え抜いた肉体を更に鍛え上げてくれるわけではないのだ。

 あくまで修練の過程を劇的に短縮してくれるものに過ぎない。


「ふうん。じゃあ、あなたの身体能力って相当なのね」


 もちろんである。エルグランドにおいては肉体を鍛え抜くのは当然のことだ。

 ある程度の領域に至った冒険者は極限まで肉体を磨き抜いている。

 あなたもそう言った領域に至った冒険者であるからして当然と言えよう。


「さすがに魔力を鍛えてくれるハーブはないわよね」


 普通にある。サマンにその薬効がある。


「あるの!?」


「あるんですか!?」


 レインとフィリアが同時に驚いた。なにを驚くことがあるのだろうか。


「え、いえ、だって、魔力って肉体由来じゃないでしょ」


 死ぬことを覚悟で生命力をゴリッと削れば大魔法だって使えるのだ。

 なら、魔力だって肉体由来の力に決まっている。そうでなければおかしいだろう。


「え、えー? 言われてみれば……たしかに、そうなのかも……?」


「う、うーん……漠然と、魂とか精神とか……なにかこう、そう言ったものから溢れ出していると思ってたのですが……」


「でも、魔法使いを腑分けして魔力がどこから出てるかを確認したわけでもないのよね……それに、生命力を削って魔力を捻出できるのもたしかだし」


「禁呪ではありますが……まぁ、ありますね。そう言われると、たしかに肉体由来の力……なのかな?」


「危険過ぎて、生命力を魔力に変換と言うこと自体が滅多に行われないから、あまり詳しく分かっていないのよね……あなたは使い慣れてるのよね?」


 大変使い慣れている。魔力の反動で血を吐く経験はエルグランドあるあるだ。

 まぁ、熟練した魔法使いはきちんと魔力量を把握し、正確な配分をして滅多に魔力の反動を起こさないのだが……。

 あなたは生来の恵まれた肉体に物を言わせ、ちょっと足りないくらいなら無理やり魔法を使っていたので経験が多い。


 また、中には戦士から魔法使いに転向した者もいるので、そう言った者はよく無理やり魔法を使う。

 何分、それまでずっと戦士をやってきたのだから魔力は鍛えられておらず、魔力がちっとも足りていない。

 しかし、生命力は有り余っている。そのため、殴り合いしたのと同じ程度のダメージだからノーカンと言って無理やり使う。


「戦士から魔法使いに転向と言うのも凄いわね」


 エルグランドではよくあることだ。と言うより、エルグランドでは基本的に魔法剣士しかいない。

 なにしろ手軽に魔法が使えるので、使用頻度はともかくとして、使える者は数多い。って言うか殆どが使えるのではなかろうか。

 手軽に使えるからと乱用していると手軽に逝けるので、戦士が調子に乗って魔法を使い過ぎて爆散するのはよくあることだ。


「そう言う文化も違うのねぇ……勉強になるわ」


「エルグランド……なんだかすごいところなんですね」


 まぁ、行くことはおすすめしないが。

 あそこは常識と倫理の墓場だ。


「常識と倫理の墓場て」


「とんでもない異名が出て来ましたね」


 あなたからすると普通のことなのだが、別大陸から来た人間はみなそう言う。

 父も別大陸から来た人間なので、当初は戸惑ったという。

 今ではすっかりエルグランドの民となって、ハイレベルな生活をしている。

 人は染まるものなのだ。

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