18話

 イロイが産まれ、あなたが親バカを極めんとしているこの頃。

 サシャもまた姉バカを極めんと、読み書きの教本の作成を進めている。

 選定ではなく、作成、である。自分で作っているのだ。


「読み書きの素早い習得には当人の努力も必要ですが、よくできた教本も必要です! 私に言わせれば……この国の教本はどれもこれもダメ!」


 力強い全否定だった。

 だが、言わんとするところは分かる。

 読み書きの教本に聖典は微妙だ。

 たしかに重要な知識ではあるが……。


 しかし、日常で頻出しない単語が多いし。

 それこそ聖典内でしか使われないような単語も多い。

 そんなものを教本にしてもしょうがないだろう。


 まぁ、貴族は家庭教師が教本を作ったり用意したりする。

 聖典で読み書きを会得するのは、それこそ庶民くらいのようだが。

 聖典にもいろいろあるが、印刷品の聖書ならまだしも手に入りやすい。

 母数が多いので、中古品の数も多く、値段も手ごろなのだ。


「貴族向けの専用の教本は筆記の流派みたいなのも絡むので、あまりいいものとは言えませんけどね……」


 そこでサシャは聖典や貴族向け教本を使う案を破却。

 既存の教本を凌駕する至高の教本を作ろうとしているわけだ。

 なるほど、どこまで上手くいくかは分からないが……。

 少なくとも、挑戦する価値はありそうだ。


「ですよね! まずは、複数人の子供に教えて、いくつかの案を選出してみたいと思います。幸い、ご主人様の救児院と言う格好の実験場がありますし」


 子供たちを実験体扱いである。

 まぁ、得体の知れない薬品とか。

 根拠のない手術とかではないし。

 孤児たちにも益になる実験だ。


 特に拒否する理由もないし。

 子供たちに文字を教えることは許可する。

 ただし、教えるにあたって体罰は禁止する。


「えーと……はい」


 なんとも言えない顔でサシャが頷いた。

 本当になんとも言えない顔だ。

 これはどういう気持ちの顔だろう?


 まぁ、どういう気持ちの顔であっても体罰は禁止だ。

 エスカレートしたら子供が死ぬし。

 うっかり加減を間違えても死ぬ。

 殊にサシャは度を越したサディストなので……。


 我慢が出来なくなることもあろうが。

 その時はあなたを殴るといい。

 可愛いペットの拳だ。

 甘んじて受け止めようではないか。


「薬師様は殴ってはダメですか?」


 同意があるなら許可する。


「ですか」


 結局、体や心に傷を負うのが問題なのだ。

 あなたならば恐ろしく頑丈だから問題ない。

 体はいくら強く殴られても掠り傷だし。

 心も早々簡単には傷を負いはしないはずだ。


 クロモリは体には負うかもだが……。

 あの調子だと、心はむしろ満たされる。

 よって、あなたかクロモリなら問題ない。


「ご主人様は剣技を教えるんですよね。私と同じような感じですか?」


 奇をてらう必要はないだろう。

 ごく順当に真っ当に教える。

 そこからアレンジを加えるかは当人次第。

 剣技と言うのはそう言うものだ。

 基本を会得したら、後は自分で工夫するもの。


 流派と言えるほど体系だったものなら違うかもだが。

 あなたの剣技は体系だった種類のものではない。

 実用性の高い技の集合体みたいな剣技だ。

 アレンジしないとむしろ実用性が低い。

 人間、それぞれに手足の長さや体格が違うのだから。

 アレンジをしないと自分に適したものにならないだろう。


 実際、サシャも相当アレンジを加えている。

 基幹部分……それこそ握り方や振り方。

 そう言った部分こそ原型は残しているが。

 防御系の技の多くをうっちゃっていたり。

 攻撃系の技をより先鋭化させていたり。

 そう言ったアレンジを十分に加えている。


 小手先程度のアレンジと言えばそうではあるが。

 その小手先程度のアレンジでも剣技の性格は大きく変わる。


「イロイに教えるようになるのが楽しみですね……文字を教えるのって何歳くらいからでしょう?」


 あなたはたしか、文字を覚え始めたのは5歳くらいからだ。

 基本の文字を覚え、身近な単語を覚える感じだった。


「なるほど、5歳。救児院の子供は年齢層も幅広いので、その辺りの実験も必要ですかね……」


 その辺りも許可しよう。ただ、さすがに3歳以前は不許可だ。

 1歳や2歳では、会話を半分理解できているかも怪しいのだし。


「それもそうですね。3歳以降からと言うことで」


 そのようにして欲しい。

 剣技についても、どれくらいから教えるか悩みどころだ。

 3歳からではさすがに早い気がするが……。


「誰か、参考になる人とかいませんかね?」


 幼少期から剣を学んでいた人間……。

 アキサメは3歳から剣を学んでいたと聞く。

 アキラも3歳から訓練をしていたと聞いたような。


 アキサメは今回同行しているセクションにはいない。

 だが、アキラはセクションBに所属している。

 となれば、アキラに話を聞きに行くのがいいか。

 あなたはアキラを探しにいこうと提案した。


「いきましょうか」


 いこう。

 そう言うわけで、あなたはアキラを探すことにした。



 少し探し回って、あなたたちは練兵場に来ていた。

 庭に作られている広い運動スペースだ。

 あなたもここでよくよく剣の訓練などをしている。

 アキラがここで訓練していると聞いたのだ。


 その練兵場に放り出されている木箱にアキラが座り込んでいる。

 なにかの訓練をして、休憩中のようだ。

 半透明の不思議な水筒からガブガブと中身を飲んでいる。


「ぷはぁ……あっ。これは、失礼しました。何かご用事でしょうか」


 あなたに気付き、アキラが勢いよく立ち上がる。

 それと同時、ポケットに突っ込んでいたらしいベレー帽を被る。

 そして、流れるような動作で指3本をそろえた敬礼。

 ひどく手慣れた、洗練された所作だった。


「おつかれさまです、アキラさん。えと、いまお話よろしいでしょうか?」


「はい、もちろんです。なんでしょう?」


「えっとですね……」


 あなたとサシャはアキラに幼少期の訓練方法について尋ねた。

 3歳から訓練をしていたというアキラ。

 その経歴から、どのような訓練をどんな順序で受けたのか。

 そんなメソッドが得られれば、と言う目論見だった。


「うーん……まず、ご期待に沿えず申し訳ないのですが、私はそれはもう凄まじく特殊な例なので、参考になりません」


「そんなにですか」


「まず、私は極めて強力なサイキックであり、外界の認識方法が常人とは異なります」


「えっと、はい」


「私の時間分解能は、サイキックの高度発現時は常人の数百倍にも及びます。エルグランド流に言えば、時の針の速度が思考限定で数百倍です」


 なるほど、それはすごい。

 それほどの超スピードで思考しているとは。

 たしかにそれだと参考にならないかも。


 肉体運動はそのまんまなのだろうが。

 思考が伴う座学の進歩速度が次元違いだ。


「そして、私はサイキック特性がサイコメトリに強く偏っています。体感、クオリアまでも伴う記憶の追体験が出来るのです」


 なるほど? よく分からない。

 クオリア? を伴う記憶の追体験?

 ものすごく正確な記憶の回帰ができると言うことだろうか?


「うーん。カル=ロスのお母さん。私を受け入れることって出来ますか?」


 もちろん可能だ。あなたは自信満々で断言した。

 可愛い女の子を拒むことなどありえない。


「まぁ、1割でも受け入れられれば十分でしょう。私の記憶を追体験させてあげます」


 そう言って、アキラがあなたの手を握って来た。

 そして、ぞわぞわと何かが入り込んで来る感覚。

 不思議な感覚だ。アキラから入って来ているのは分かるが。

 これがサイキックによる、なにかの干渉なのか。

 あなたはよく分からないなりに、女の子のやることだからしょうがないね、と自分を納得させた。



 ………………………………


 目が覚めた。

 いつも通りの時間。

 定刻の起床。

 身に沁みついた習慣。


 体を起こせば、見慣れない部屋。

 品よくまとめられてはいるけれど。

 私たち、現代日本人の感覚では豪華な部屋。

 洋室、と言うのもやや慣れない。


 私たちの家。私たちの第2の故郷。

 つくばの築70年の古民家ではない。

 そして周囲に愛すべきバカたちの姿もない。

 魂の姉妹の姿がないことに、思わず頭を掻く。


 ベッドから降りて、水場へと。

 なんとも古式ゆかしく感じる水道で顔を洗う。

 さっぱりしたら、身嗜みを整えて、最低限のスキンケア。


 それを済ませたら、まずは朝の一杯。

 今日はリッチショコラ味でいこう。

 なにはともあれプロテインだ。

 そう言うわけなので、よろしくカル=ロス。


「ミルクを搾り取ろうだなんて、私に乱暴する気でしょう? エロ同人みたいに」


「しねーよ、さっさと出せ」


「プロテインもあくしろよ」


 うちの酒保担当、歩くPXことカル=ロスにプロテインを出させる。

 『四次元ポケット』とか言うクッソ無法な魔法による冷蔵庫いらず。

 賞味期限も気にせず、セールの時にプロテインを買い込める。

 4人揃ってシャカシャカやって、プロテインを1杯。


「うーん、うまい! もう1杯!」


「飲み過ぎだから却下」


「ロードワークいくぞ~」


「へんたーい、すすめ!」


 さぁ、朝のトレーニングをはじめよう。

 やっぱり走らないと1日始まった気がしないしね。



 ………………………………



 あなたの意識が突如として覚醒する。

 そして、周辺の状況が掴めずきょろきょろしてしまう。

 さっきまで、カル=ロスたちと朝のランニングをしようとしていたはず……?


「あ、あっぶ……あっぶな……はぁ、はぁ……お、溺れ、溺れるかと、溺れるかと思った……!」


「あ、あの、大丈夫ですか……?」


 アキラがなぜか荒く息を吐いている。

 いったいどうしたのだろうか?


「サイコメトリの応用で……サイコダイブと言うものがあります。精神融合を引き起こし、記憶を追体験する高度サイコメトリ。相手の人生を暴く技です」


 先ほどの光景は、思うにアキラの記憶だったような気がする。

 推定で今朝、起床してから、トレーニングをするまでの記憶。

 その時、アキラがなにを考えていたか、なにを思っていたのか。


 水道から流れる水のぬるさ、呼吸によって感じる空気の匂い。

 小鳥たちの鳴き声、踏みしめた地面の硬さ……そう言う身体感覚までも伴っていた。

 そして、それだけではなかったのだ。恐ろしいことに。

 アキラが、それを見た時に、どう思うのか、どう感じたのか。

 そう言った感覚までもがすべて十全に感じ取れてしまった。


 あの時、あの瞬間、あなたはアキラだった。


 それほどまでにすさまじい体験をしたのだ。

 一瞬、自分が誰なのか分からなくなるくらいだった。


「そうです、それですよ。本当に私のことを何もかも全部受け入れる人がありますか? 頭おかしいんですか?」


 罵倒された。ひどくない?


「なにもかも全部流し込めた上で、なにもかも全部逆流して来たんですけど。ちょ、ちょっと思い出したくない……脳洗浄しないと、フラッシュバックする……」


 逆流して来た……まさか、アキラもあなたの経験を体感したのだろうか?


「ええ……それも、あなたの何百倍もの密度で……マーサさんの顔見れないですよ……まぁ、カル=ロスとの体験がなかっただけよしとしましょう」


「ご主人様の経験を、追体験……物凄いことになりそうですね……」


「催眠成り替わり寝取りした気分で最悪です……」


 アキラがものすごいげんなりした顔をしている。

 なんかごめんね? あなたは思わず謝った。


「いえ、私が軽率にサイコダイブしたのが悪いだけですから……ええと、何が言いたかったかと言いますと、私はコレでいろんなものを高速で習得したんです」


 なるほど、そう言うことが言いたかったのか。

 あなたは理解し、同時にその無法さに戦慄した。


 武器を握った時の、絶妙な力加減。

 そして、剣を振るう時の身体操作。

 体重移動、グリップ、視線の誘導。


 そう言った繊細な高等技巧ですら例外ではない。

 サイコダイブは全て体感し、共有できる。

 これが出来れば剣技なんてあっと言う間に会得できるだろう。

 なるほど、たしかにこれでは何の参考にもならない……。

 イロイが強力なサイキックだったらできるかもだが……。


「可能性としては極めて低いですね。サイコダイブが出来るレベルのサイキックは超絶なまでに希少です。1億人に1人とかそんなんです」


 そんなに。


「私の古巣だとゴロゴロいますが、こっちも特殊例ですので。普通、人間は量産しないですからね。できないですし」


 人間を量産……? 不思議な表現だ。

 あまり愉快な話ではなさそうなので、聞かないでおくが……。

 真っ当な手法ではないだろうと予想がつく。


「そう言うわけですので。聞くならアスマイーフか、睦美に聞いた方がいいです。2人は近代的な理論で、サイキックを使わずトレーニングして来てますから」


 アキサメではダメなのだろうか?


「秋雨の受けた修行は、師匠側が超絶の天才でないと無理ですので……それくらいギリギリのペースで鍛え上げられてます。お陰で秋雨は同年代最強クラスですけどね」


「教えるプロじゃないと無理ってことですね。うーん、なかなかむずかしい……」


 子育てに絶対の正解はないとは言うが。

 これもまた、そのひとつなのだろうか?


 もしかすると、剣や魔法を習いたいなどとは言い出さないかもしれない。

 それを思うと、なんだか空回りしているような気分にもなる。

 いや、しかし、準備をしておいて損はないはずだ。


 あなたは前向きに考えることにした。

 とりあえず、アノール子爵領に戻ったらアスマイーフとムツミに聞いてみることにしよう。

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