17話

 なんのことはなく時間が過ぎて。

 やがて出産予定日がやって来て。

 油断できない日々が始まって。

 そして、ブレウが産気づいた。



 カイラが用意しろと要求して来た部屋の前。

 滅菌消毒のために手をかけたとかなんとか……。

 出産予定日の少し前から完全立ち入り禁止になっていた部屋だ。

 もし入ったらオキシドールを体中の穴と言う穴に流し込むと脅されていた。


 部屋の前にベンチを置いて、あなたたちは出産を待つ。

 部屋の中からはブレウの苦悶の声……は特にしてこない。

 むしろ静かで落ち着いた雰囲気で粛々と進んでいるようだ。


「だ、だ、大丈夫かな、大丈夫かなぁ、お母さん……うう、無事に終わってくれるといいけど……大丈夫かなぁ……」


「落ち着きなさい、サシャ。お医者様が最善を尽くしてくださるよ。私たちにできるのは祈ることだけだよ」


「で、でもぉ……ご主人様、大丈夫ですよね……? お母さん、大丈夫ですよね……?」


 不安そうにしているサシャにあなたは頷く。

 万一のことがあれば蘇生の準備も万端だ。

 いよいよ危険となれば、エルグランドで癒しの女神を降臨させてこっちに連れて来ようではないか。

 癒しの女神ジュステアトの周囲には強力な癒しのエネルギーが伝播する。

 一家に1体欲しいくらい強力な癒しパワーが発散されているのだ。


 連れて来るだけで安産確実である。

 問題があるとしたら、ジュステアトの狂信者がブチ切れて攻撃しに来ることくらいだ。

 もちろん返り討ちにするが、ここまで来られると困るので最終手段と言うことで。


「なるほど、それなら安心……安心なのかな……? それって神への挑戦行為では……?」


 挑戦される程度の強さな方が悪いのでは?


「じ、自己責任論……!」


 まぁ実際、割と気軽に使われる種類の神だったりする。

 元々ジュステアトは極めて強力な癒し手だった人間だ。

 癒し手と言うのは回復魔法を専門とする魔法使いのことだ。


 どういう経緯かは知らないが、昇神して神になった神格だ。

 そのため、その存在は人に近く、その人格も人の理解の範疇にある。

 そのせいで気軽に使われていたりするわけだが。


「で、でも、ご主人様がそこまでしてくださるなら、きっと大丈夫……大丈夫ですよね!」


 うんうん、大丈夫大丈夫。

 こういう時は長丁場になることもある。

 だから落ち着いて落ち着いて。

 まずは体力を温存するところから。


 なんて話をしていると、部屋のドアが開いた。


「あっ、カイラさん! あのっ、お母さんは!」


「はい~。無事産まれましたよ~。母子ともに無事です~」


「えっ。あの、産声とかは……」


「べつに呼吸してれば泣かなくたって問題ないですよ~」


 そうなんだ……言われてみればその通りではあるが。

 てっきり泣かないといけないのだとばかり思っていた。


「無痛分娩でいきましたし、想定外の出血などもありません。初産でもない上に、肉体年齢は20歳前後。もう諸条件が完璧と言っていいですね~。すぐに回復するでしょう~」


 あなたはよかったぁ……とベンチに座り込む。

 いくら幾度もの出産の立ち合いを経験しても、緊張するものはする。

 無事に生まれて来てくれて本当によかった。


「そして赤ちゃん……イロイちゃんでしたね~。出生体重は3120グラム。まったくもって健康体の元気な赤ちゃんですよ~」


 それって重いのだろうか。

 生まれてすぐ体重を測ると言う文化がなかった。


「まぁ、普通と言うか、標準でしょうか。大き過ぎると難産になりますしね~」


 そりゃそうだ。ともあれ、無事に終わったならよかった。

 あなたは本当にありがとう、お疲れさまとカイラをねぎらった。


「その労いは、いちばん頑張ったブレウさんにかけてあげるといいですよ~」


 もちろんそちらも労うつもりだ。

 そして、カイラにはいずれイミテルの担当もしてもらいたい。

 なんかよく分からないが、出産についても詳しいようだし。


「あ、あの~、イロイにはいつ会えますか?」


「え~と……まず、新生児は細菌感染などに弱いので、不特定多数との接触がある人間の面会はお断りさせていただきます~」


「はぁ」


「香水などをつけている方も控えていただきたいと思います~」


「なるほど」


「そして、性的接触はそうした細菌感染の温床なので、数日以内にそうした行為があった人間は謝絶させていただきます」


 あなたは仕事で不特定多数の人間との接触がある。

 そして、体臭対策と言うことで香水をつけている。

 さらに言えば、あなたはものすごい女たらし。

 性的接触など日常茶飯事である。

 あなたはカイラに縋るような目線を送った。


「夫相当の人物でもダメです。1か月検診が終わるまでは触らないように」


 あなたはその場に崩れ落ちた。




 生まれたばかりのイロイに合わせてもらえなかったあなた。

 その一方で、種々の回復魔法で素早く回復させてもらったブレウとは面会が叶った。

 さすがに立ち上がることは禁じられているらしいが。

 出産直後の産婦とは思えないほど顔色もよく、健康そうだった。


「あらまぁ……イロイのことが最優先とは言え、そこまで厳しくするのね」


 2人きりと言うこともあり、ブレウの口調もラフだ。

 そんなブレウに、イロイはどんな様子だったかを尋ねた。


「ふふ、可愛い子だったわ。旦那様によく似た綺麗な金髪で、耳と尻尾は私によく似ていたわ」


 すると、獣人と言うことだ。

 今から面会が叶うのが楽しみだ。


 あなたは面会のための努力をするつもりだった。

 香水はつけないようにし、仕事もサボろう。

 そして、とても苦しくてつらいが……。

 我が子に会うためならば、禁欲する覚悟もあった。


 どれくらい禁欲したら許されるだろうか。

 せめて1週間くらいであって欲しい……!

 いや、死ぬほどがんばれば2週間くらいならなんとか……!


「たくさん可愛がってあげてね、旦那様。いつか大きくなったら、裁縫の仕方を教えてあげたいわ」


 あなたは代々伝わる剣技はもちろんのこと。

 初歩的な魔法の手ほどきをしてやるつもりだ。

 カル=ロスにもしたという、アレ。

 無情な爆散まで行くやつではなく。

 『ポケット』の扱い方を教える本当に初歩的なやつ。


 魔法を覚えるには早い方がいいのは確かだが……。

 少々遅れたところで、取り返せるのもたしかだ。

 魔法使いになる道に進みたいと決めてからでもいいだろう。

 サシャが15を過ぎてからでも間に合うと証明しているし。


「どんな子になるのかしら……サシャのように、賢くて勉強熱心な子になって欲しいわ」


 あなたは頷く。

 サシャのように勤勉で真面目な子になって欲しい。

 だが、わがままでわんぱくな子になってもいい。

 元気で逞しく育ってくれるのならば、それで。


「そうね、それは本当にそう。元気に育ってくれれば、それが一番だもの」


 ブレウは微笑み、あなたもまた微笑んだ。

 イロイがどんな子になるのだとしても。

 元気で健やかに育ち、長生きしてくれればいい。

 我が子の死に目を看取るなど、したくはないのだから……。




 香水をつけるのをやめた。

 女をひっかけるのをやめた。

 そして仕事もサボって人との接触は最低限。


 その状態で過ごせば、どれくらいでイロイに会えるだろうか。

 そのようなことをカイラに尋ねると、苦笑された。


「どうしてもイロイちゃんとの面会がしたいんですか~」


 どうしてもしたい。なにせ待望の我が子なのだ。

 それもブレウの血を注いだ可愛い獣人の子。

 既にギールは面会できているのにずるいではないか!


「だってギールさんは条件全部クリアしてましたからね~」


 そうなのだ。ギールはそれらの条件をすべてクリアしていた。

 あなたは情婦とかメイドを食べるのに忙しかったし。

 ギールはギールで、ブレウが住むことになる新居の仕上げに忙しかった。


 あなたの家の庭に建てているギール一家の家はまだ未完成だ。

 予算が潤沢だからと、こだわって丁寧に作っているらしい。

 ブレウの出産に間に合えばいいから、と言うのも理由のようだが。

 そのため、あなたとの情交は断っていたし、家に籠っての作業で会った人間自体少なかったと。

 結果、ギールだけがイロイとの面会一番乗りなのだった。


「うううう……! 私も、私もがまんするので、どれくらいがまんしたら面会できるのか教えてください……!」


 そして、サシャもまた面会を断られていた。

 あなたとの情交を楽しんでいたからである。


「わかったわかった。わかりました~。初乳は済んでますし~、消毒して、専用の服装なら面会してもいいですよ~」


「ほんとですか! カイラさんありがとうございます!」


「じゃあ、処置をするのでこちらに~」


 直談判してみるものだ。あっさりと面会までいけそうだ!

 禁欲もほんの1日で済んでいるのでありがたい限りである。



 その後、あなたは魔法によって消毒され、妙な服を着せられた。

 それはサシャも同様で、帽子の中に耳を仕舞わされたりもし。

 口元を覆う専用のマスクを着用の上で、イロイとの面会が叶った。


「お師匠様。イロイちゃんは健常ですよ」


「ご苦労様」


 部屋に入ると、待っていたのはカイル氏そっくりのメディシンフォージド。

 イロイが寝ているのだろうベビーベッドの傍に控えている。


「さぁ、どうぞ~」


「は、はぃ……しずかに、しずかに……」


「起きてますから、あまり声をひそめなくても大丈夫ですよ~。あまりひそめるのもよくないので~」


「そ、そうなんですか……?」


 あなたとサシャは恐る恐るとベビーベッドに近づく。

 そして、その中を覗き込むと、そこには生まれたばかりの赤ちゃんの姿。


「わあ……ぁ? ん?」


 手足をしっかりと包んで固定しておらず、手も足も開放状態だ。

 そして、目も覚めるような鮮やかな金髪に、ふわふわの金毛の生えたケモ耳。


 既に眼も開かれており、あなたを見つめている。

 抜けるように青い瞳と、血のように赤いあなたの瞳が交錯する。

 さすがに何も見えていないのか、視線はすぐに外れた。


「な、なんか……猿、みたい……」


 サシャががっかりしたような声でそんなことを言う。

 あなたはあんまりな感想に思わず吹き出してしまう。

 たしかに猿みたいだが、これが可愛いのではないか。


 それに新生児なんてだいたいこんなものだ。

 この猿っぽさが抜けるのは個人差があるが、一月もすれば赤ちゃんらしくなる。


「そ、そうなんですね。でも、猿みたい……ううーん……あ、でも、耳はすごく可愛い……」


 ふあふあの毛が生えた耳はたしかにすごく可愛い。

 ふわっふわの柔らかな金の産毛も相まって、やわやわとした可愛さがある。


「新生児の抱っこはしたことありますか~? まぁ、ありますよね~。では、ちょっとの間なら抱っこしても大丈夫ですよ~」


 とカイラが許可を出してくれた。

 あなたは喜んでイロイを抱き上げる。

 腕にかかる、ほんとうにちっぽけな重み。

 けれど、柔らかくて、暖かくて、生きている。


 その暖かな命の重みに、あなたは微笑む。

 あなたはイロイにしずかな声で語り掛ける。

 私があなたのお父さんだよ、と。

 いつか、イロイが大きくなって、立派に育つまで。

 私があなたのことを守ってあげるね、と。


「私もですよ。イロイ、サシャお姉ちゃんですよ。私があなたを守ってあげますからね」


 サシャがそう覗き込みながら告げて来る。

 イロイは、わかったのか、わからないのか。

 ただ、まだ歯も生えていない口を開けて、あくびをした。

 そして、目をしょぼしょぼと瞬かせる。


「おねむみたいですね。抱っこは終わりにしましょう。面会も終了です」


「ええっ……わ、私まだ抱っこしてないですっ……」


「じゃあ、ちょっとだけですよ」


 とのことで、あなたはサシャに抱っこの仕方をレクチャーしながらイロイを渡す。

 サシャは恐る恐ると言った調子でイロイを抱っこする。

 意外なことに、赤ちゃんを抱くのは初めてらしい。


 普通、それなりの年頃の女の子なら赤ちゃんを抱っこした経験は大体あるものだが……。

 まぁ、絶対にあるというわけでもないので、不自然でもないか。


「わ、やわらか……あったかい……わぁ……イロイ、お姉ちゃんですよ~……!」


 抱っこして、その小さな命を感じてか、サシャが笑う。

 今までに見たことがないほどに緩んだ笑顔だった。

 抱っこしただけでメロメロになってしまうとは。

 イロイはもう既に魔性の女なのかもしれない。

 あなたはそんなことを思って、少し笑った。


「はい、じゃあ、終わりです~。後は少し眠ったら、授乳ですね~。カイル、よろしく」


「はい。おまかせください」


 本来はブレウが授乳しなくてはいけないわけだが。

 カイラがどうやって作ったのか、粉末ミルクなるものを用意していた。

 あなたが乳母も雇っているが、今のところ必要ないくらいだ。

 そのため、ブレウは毎日しっかりと眠って回復も万全。

 来月にはもう仕事に復帰できそうな勢いだった。

 まぁ、さすがに来月の仕事復帰は許可を出すつもりはないが……。



 あなたとサシャは部屋を追い出され、廊下をふらふらと歩く。

 そして、おたがいに交わす会話の内容は、先ほど見たイロイのこと。


「か、か、かわいかったぁ~……! 猿みたいなんて、そんなことなかったです! ちょ、超かわいかったです~!」


 ふにゃふにゃの笑顔でサシャは歓喜の声を上げる。

 あなたも超可愛かったよね~! と同意の声を上げる。

 また抱っこできる日が楽しみだ! 次の面会はいつできるだろう?


「赤ちゃん可愛い……! あ~! もう、今からイロイにしてあげたいことがたくさんあります~! あ~! あ~!」


 可愛らしさの限界を超えているのか、サシャが身悶えしている。

 あなたも気持ちは分かる。我が子と言うこともあり、めちゃめちゃ可愛かった。


「ご主人様、読み書きは私がおしえてあげたいです! いいですか?」


 もちろん構わない。許可する。

 だが、剣技はあなたが教える。

 魔法はどちらが教えることにしよう?


「エルグランドの魔法は命を粗末にするからダメです! 私が教えます!」


 そちらの方がいいだろう。あなたは頷く。

 我が子の命を大切にするなら、その選択肢しかない。

 あなたはサシャに、これからイロイの育成方針について話し合わないかと提案した。


「はい! お母さんも交えて、話し合いましょう! イロイを立派な大人にしてあげるために!」


 あなたとサシャは意気込んでブレウの下に向かった。

 イロイに幸福な未来を掴み取らせてあげたいがために。

 あなたとサシャは、さっそく親バカと姉バカになり出していた。

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