第52話

 翌朝、あなたは清々しい気分で目覚めた。

 いつも通り、朝のお祈りを捧げた後、軽く読書を嗜み。

 その後、お茶を淹れて朝の一時を愉しんだ。


 ようよう目覚めたサシャにスパークソーダを飲ませてやりつつ、あなたは朝食を手早く済ませた。

 レインを信頼していないというわけでもないが、あなたはやはり自分の手ずから作ったもの以外を食べるつもりはなかった。



 皆が朝食を済ませている間、あなたは練兵場に居た。

 本拠に存在する城館ではないからか、練兵場は必要最低限のものだ。

 体を動かせるだけの場で、軍としての訓練ができるほどではない。

 屋敷に配置している警備兵の身体訓練のための場と言うわけだ。


 手にした剣を振るい、軽く汗ばむ程度に体を動かす。

 全力で、と言うわけではないが、思いっ切り体を動かすのは心地よい。

 普段にはない枷を外し、存分に動くというのは、開放感があるものだ。


 剣を鞘に納め、あなたは自身にかけられた魔法の効能を切り替える。

 あなたは普段、自身に強化魔法の類をかけないが、1つだけ例外が存在する。

 名を『時逆の歯車』と呼ばれる時空魔法のひとつを常にかけている。


 この魔法の効能は実にシンプルなもので、かけられた対象の時間経過を遅延させる。

 生命の根本的な部分に作用する魔法であるので、この魔法をかけられている限り、あなたはのろのろとしか行動できない。

 と言っても、根源的な部分まで減速させるので、どちらかと言うと周囲が素早く動いているように見えるというべきか。


 これはエルグランドの民における共通の問題点であるが、エルグランドの民は持ちうる時の歯車が異なる。

 妖精であれば常人に倍する速度の時の歯車を持つ。妖精たちが甲高い声で喋る、と言われるのはそれが理由である。

 声音は常人と変わらずとも、2倍の速度で喋っているために、奇妙に甲高い声で喋っているように聞こえるのだ。

 こうした時の歯車の差は、その時の歯車を鍛えるまでに至ったド級冒険者たちには致命的な差となって表れる。


 常人の10倍の速度の時の歯車を持つ者は、24時間で30回の食事を摂る。

 10倍の速さで動けるのではなく、10倍の速さで生きているのだから当然だ。

 これが20倍になってしまうと1日で60回になる。あいついっつも飯食ってんな。


 10倍の速度で生きていると会話にも一苦労だ。10倍にもなると何を言っているか聞き取れない。

 10分の1の速度で喋っている相手の会話を聞き取るのも難しい。


 こうした諸々の問題を解決するのが『時逆の歯車』である。

 速度を鍛えるまでに至った冒険者らは、これを用いて様々な生命の標準速度で活動するのだ。

 これで1日に60回や90回の食事をする必要はなくなり、1分たらずで夜の営みを終える情けなさとも無縁となる。


 戦闘速度から定速に戻したあなたは周囲を見渡す。


 戦闘速度は周囲に被害が出ない程度の速度だ。最大戦闘速度になると、移動するだけで周囲に被害が出る。

 詳しいことはよく知らないが、音の壁なるものがあり、それを突き破ると周囲に被害が出るのだという。

 戦闘速度は全力で動いても音の壁を突き破らない速度として広く知られている速度である。


 手加減こそしていても、やはり相当なスピードで動いていたので、周囲はだいぶ荒れていた。

 周囲の草地は力強く踏み込んだせいで踏み荒らされ、露となっていた地面も強く踏み固められている。

 体感時間で言えば30分ほど、定速の視点から見れば1分ちょっと程度の運動でここまで荒れる。

 これでもまだまったく本気ではないのだから困ったものである。世界は脆すぎる。


「随分荒れてるわね。派手な訓練でもしてたの?」


 汗を拭いていると、レインが姿を現した。サシャとフィリアの姿もある。

 あなたは軽く体を動かしていただけだが、本気でやるとこうなってしまうと弁解をした。


「ふうん? あなた、魔法使いとしてはよく分からないレベルに居るのは分かるのだけど、戦士としてはどれくらい強いの?」


 どれくらいと言われても困る。比較対象がないのだ。

 そのため、フィリアの元仲間たちよりは確実に強いとだけ答えた。


「それは言われなくても分かるわ……たとえばこう、剣で岩を割れるとか、なにを倒せるとか……」


 岩くらいなら別に素手でも割れる。大きさにもよるが。

 世界最大規模の1枚岩とかを割れと言われるとちょっと困る。

 しかし、やはりこちらでは比較になる対象がいないので何とも言えない。

 一般的な生物の類を倒せると言った評価はあるが。

 その生物がエルグランドとこちらで同じ程度の評価なのかは不明だ。


「それもそうだけど……野生動物ならそこまで違わないでしょ。たとえば熊ならどう?」


 熊に苦戦するなんてことがあるだろうか。

 石ころを投げればそれでおしまいである。

 剣を抜く必要もない。


「そう言えばそうね……じゃあ、ドラゴンとかなら?」


 やはり石ころを投げておしまいである。同様に剣を抜く必要もないだろう。


「ああ、そう……ドラゴンも普通に倒せるの……むしろ、あなたが剣を抜く事態ってなんなのよ」


 あなたは少し考え、頬を掻いた後、腰の剣を外してレインへと差し出した。


「え? なに? 私、剣は使えないわよ? いえ、基本くらいは習ってるけど……」


 いいから剣を抜いて見ろとあなたは迫る。

 レインは剣を受け取ると、素直に剣を抜いた。


「抜いたけど、どうするのよ?」


 あなたはレインになんでもいいから魔法を使うように言った。

 本当に何でもいいが、術者の力量次第で効力が強く変わってくる魔法がよいとも。


「? 分かったわ。なら……『熱線』!」


 レインが見たことのない魔法を使った。指先から高熱の光を放つ魔法のようだ。

 エルグランドでは存在しない種類である。ボルト系魔法に似ているが、種別は違うものだろう。

 放たれた熱線は地面に着弾すると、瞬時に大地を焼き、地面を固く硬質化させた。

 そして、それを為したレインはびっくりした表情で焼けた地面を見ていた。


「これ……この剣、剣じゃなくて杖なのね?」


 あなたは頷いた。あなたの持つ剣には魔法の威力を増強させるエンチャントがかけられている。

 そのため、実態として言えば杖である。もちろん剣としての性能もキチンと備えているが。


「こんなに強力なエンチャントのかかった剣、初めて見たわ。3~4倍くらい?」


「なるほど……魔法剣士ならたしかにそう言う剣の方が適してるのかもしれないですね。中々少ないですからね、魔法剣士って」


「そうね。聖騎士も一応魔法剣士と言えばそうなのかもしれないけどね」


 言いつつレインが剣を返して来たので受け取り、腰に吊るす。

 この剣はあなたが冒険者として脂が乗り出した頃に手に入れたものだ。

 今となっては能力的に見るべきところはないものの、愛着があって手放さずにいる。

 あなたの本気の武装でこそないが、普段使いとしては中々に便利でもある。使っている期間を言えば、これこそが一番の愛剣かもしれない。

 そんなことを思いつつ剣を撫でると、あなたの愛剣は嬉しそうに震えた。



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