5話

 テーブルの上に次々と並べられていく料理は絢爛なものだった。

 新鮮な魚の数々をふんだんに用い、またさりげなく高級な食材が用いられている。

 あなたをしてなんと豪華な食卓だろうと感嘆の溜息を吐かされるほどだった。


「この店は生の魚を食わせる店でな。うまいぞ」


「生の魚を? 大丈夫なの?」


「ああ。カイルとカイラが生の魚を食べるための技法を開発したからな」


「へぇ……そんな技法があるんだ……その2人のお陰でこの店があるわけね」


「いや、その2人が技術提供する以前からこの店はあった」


「……生の魚は出してなかったのよね?」


「出してたぞ」


「大丈夫だったの……?」


「最強の海の男の店だからな。最強の海の男は寄生虫如きに屈しはしないらしい」


「ただの根性論……」


 割とふざけた店だったらしい。たぶん、その最強の海の男とやらはエルグランドでも楽しくやっていけるだろう。


「今は大丈夫なのよね……?」


「大丈夫だ。まぁ、無理なら生じゃない魚もある。そっちを食うといい。特に、そのフライは絶品だぞ」


 セリナの指差す先にはたしかにフライ料理がある。種々の魚のフライの盛り合わせのようだ。

 そのほかにはエルグランドでは高級料理と知られる活け造りがあり、まだパクパクと口の動く魚は新鮮な証。

 また、種々の魚介類がふんだんに使われたさまざまな料理が並び、生魚が食べられなくとも問題はなさそうだ。


 どうもチョップスティックで食事をするのがこの店の習わしのようなので、あなたは2本の細い棒きれを手に取る。

 普段使いする食器ではないものの、高山地帯の宿泊施設ではよく使っていたので慣れてはいる。


「刺身はな、この香味野菜を少しだけつけて、このソースにつけて食べると……うん、うまい!」


 セリナが実に嬉しそうな笑顔を浮かべる。魚が好物なのだろうか?

 あなたもセリナに倣って、ねっとりとした緑色のペーストをチョップスティックで少しだけ取り、魚の切り身につける。

 そして、小皿に出された黒とも濃い紫ともつかない色合いのソースにつけ、口へと運ぶ。


 あなたは驚愕した。


 活け造りにこんなうまい食べ方があるとは。そう言った感動である。

 エルグランドの活け造りの食べ方は、ビネガーか、岩塩を少々振りかけて食べる。

 魚本来の味わいを楽しめるとか、新鮮さを楽しむとか、かかった金にニヤつくとか、そう言う料理で、味は割と二の次だ。


 だがこれは違う。たしかな塩気の中に豊かな旨味を含んだソースが魚の淡白な味わいを引き立ててくれる。

 そして、少しばかりつけた香味野菜のペーストはツンとくる辛味と爽快感が突き抜け、魚特有の臭気を消し去り、味を引き締める。

 魚自体もうまい。鮮度が抜群なのは見て分かっていたが、どうもなにかしらの野菜類か何かで微かに味付けがしてあるのだ。これが魚の味を引き立てている。


「ほう。刺身の美味さが分かるとは、やるじゃないか」


 にやりとセリナがあなたを褒めた。シンプルに美味いのだから、やるもなにもない。

 しかし、この香味野菜は一体なんなのだろう? ホースラディッシュのような辛味だが、より強烈だ。色も独特。


「ね、ねぇ、大丈夫なの?」


「ご主人様、お腹痛くなってないですか?」


 なにやら心配されてしまった。あなたは自分はとても強いので問題ないと答えた。

 あなたの強靭過ぎる肉体は内面にも及んでいるので、寄生虫如きでは内臓壁に歯を食い込ませることもできない。


「そう言う問題じゃないような……」


「美味しいんですか……?」


 実にうまい。最高である。3人が食べないなら自分とセリナで食べるから無理はしなくていいとあなたは答えた。

 それがちょっと意地悪く考えてみると、美味いものを独占しようとしているように聞こえたのだろうか?

 意を決したようにチョップスティックを手に取り、活け造りに果敢に挑戦しだした。


 全員がおぼつかない手つきでチョップスティックを操り、恐る恐ると活け造りを口に運ぶ姿はなにやら面白い。

 セリナも同じ気持ちのようで、にやにやとした顔でレインら3人の様子を見守っている。


「ん……んん……? うん……? 美味しい、のかしら?」


「う……私、これ無理です……」


「あっ、美味しい! これ美味しいです!」


 レインはよく分からないようで、フィリアはギブアップ。そしてサシャには好感触のようだった。

 そう言えば、サシャはあなたが釣って、ブレウが料理した魚も喜んで食べていた。

 単にブレウの料理が嬉しかったのだと思っていたが、そもそも魚が好きだったのだろうか?


「じ、実は、はい。その、生で食べたことも、あります。生でもイケるって薬師様が……」


 薬師様と言うのがだれかは知らないが、親しい間柄の事人物だったのだろう。

 少なくとも、サシャに食事を供するようなことをしていたらしい。


「酒がいけるならな、これもいいぞ。ほら、試してみろ」


 そう言ってセリナが差し出して来たのは、ソースの小皿である。

 だが、ソースに何かが混ぜられているようで、どろっとした質感だ。

 それと同時に出されたのは、非常に薄く、綺麗に大皿に盛り付けられた刺身だ。


「肝醤油だ。酒に合う」


 なるほどとあなたは頷き、刺身をチョップスティックで1枚取り上げる。

 そしてキモジョウユなるソースにつけて、食べてみる。


 途端に広がるのは濃厚な味わい。なるほど、レバーだ。

 どうやら何かの魚のレバーを濾したものを混ぜ込んでいるらしい。

 魚はコリコリとした独特の食感で、これがまた美味である。


 後味に血生臭さが来たところで、セリナがあなたへと酒杯を渡した。

 あなたは素直に受け取り、それをぐいっとやる。


 うまい。あなたはしみじみと呟いた。

 辛口の酒だ。醸造酒のようで、独特の芳香がある。

 それが血生臭さを綺麗に洗い流すと、旨味が余韻に残る。

 これは実に美味い食べ方で、なおかつ美味い飲み方だった。


「美味かろ? カイラの提供したレシピで初めて食べられる逸品だ。この店でしか食えん」


 ほほうとあなたは感心した。この店でしか食べられないとなると、通いたくなってくる。


「それと、この刺身はこう、4~5枚くらい一気に食うのが……うまい」


 言葉通り、5枚ほどチョップスティックで掬い取ったセリナが刺身を口に運び、酒をぐいっとやる。

 実に満足げな仕草でほうっと溜息を吐く姿はなにやら妙に扇情的だった。


「私も食べていいですか?」


「ああ、どんどん食え。足りなければ追加で頼むさ」


「わぁい!」


 サシャも味が気になったのか、刺身を3枚ほど掬い取って、キモジョウユにつけて口へと運ぶ。

 レバーの濃厚な味わいに、サシャの耳がぴこぴこと揺れた。かわいい。


「これもおいしいですね!」


「酒は?」


「えーと……じゃあ、ちょっとだけ」


 サシャが酒杯を受け取り、くぴりとちょっとだけ口に運ぶ。


「あれ、飲みやすい……これ、お水みたいに飲みやすいですよ」


「いい酒と言うのはな、水のように飲めるという。それがいい酒の証だ」


 では、水を飲んだ方がいいのではないだろうか。あなたは内心で訝った。

 まぁ、これは水が貴重なエルグランドの民であるあなただからこそ抱く感想かもしれない。


「そうそう、この店以外でこの肝醤油の刺身は食うなよ」


 酒が入って上機嫌になって来たセリナがそんなことを忠告してきた。


「この店以外で食ったやつがバタバタ死んでるからな」


 この料理そんなヤバい料理だったのか。あなたは思わずキモジョウユをまじまじと見つめる。

 特段、なにもおかしいところなどなかった。どこにそんな危険性が潜んでいるのだろう。


「この刺身と、この肝はな、同じ魚から取ってるんだが。毒魚でな。カイラが提供したレシピ以外じゃ毒抜きができんらしい」


「このお店でしか食べられない、サシミ……じゃあ、たくさん食べておかないとですね!」


「おっ、いいぞ、サシャ、だったか? 怖気づかないで、食える時に食っておこうって言うのは嫌いじゃない。さぁ、どんどん食って飲め」


「いただきます!」


 しかし、この酒は実にうまい。辛口だが、フルーティーな香りでどんどん飲めてしまう。

 特に魚料理に合う。刺身もそうだが、フライにも合う。というより、料理の主軸とすら言えるソースに合うのだ。

 この黒い旨味のあるソースは一体何なのか。


「うん? これがなんのソースかだと? これは醤油と言って、カイルとカイラしか作れんソースだぞ」


 と言うことは製法は秘伝と言うことだろうか。

 悔しいが素材も何も分からないので再現は不可能だろう。

 製法が分からなくとも、素材さえ分かれば試行錯誤でなんとかして見せる自信はあるのだが……。


「製法は知らんが素材なら知ってるぞ。塩と、大豆と、小麦だ。あと、なんかいい水が必要らしい」


 あなたはセリナから得られた万金にも値する情報を脳に刻み込んだ。

 おそらく、このソースの色合いは、黒ビールの醸造過程などで得られる色味に近いものと考えられる。

 そこからすると、おそらくは小麦を醸造することで得られる糖分から起こる反応によるものだ。


 とすると、大豆と小麦をなにかしらの特別な醸造方法で醸造するのだ。

 酒と同じく時間が必要な類のものだろう。錬金術でなんとか短縮できないだろうか?

 いい水に関しては、おそらく醸造を妨げない水と言う意味だろう。酒と同じような水でいいのだろうか?


「作れそうなのか?」


 分からないがやるだけやってみるとあなたは答えた。


「ま、作れたらこの店に卸してやってくれ。樽1つも卸してやったら、このくらいの料理はいくらでも馳走してくれるだろうさ」


 べつにそれは金を払って食べればいいだけだが、ショウユなるものがなければこの料理はありえない。

 そして、料理のレシピに関してはさすがに教えてはもらえまい。どうやって解毒するか分からない。

 そう考えてみれば、この店が円滑に運営されるようにショウユを卸すというのは悪くないかもしれない。

 ついでと言えばなんだが、この酒に関しても教えて欲しいとあなたはセリナに尋ねた。


「ああ、この酒か。これは米の醸造酒だ」


 コメ。つまりライス。穀物の一種であるから酒は造れるだろうと思っていたが、こういう酒になるらしい。

 エルグランドで一般的な酒の仕込み方ではこういう酒にはならない。どうやるのだろうか?

 あなたは製法はともかくとして、原料についてセリナに尋ねた。


「詳しく知らんが……麹と水と、蒸した米で作るというのはなんかで見たな……」


 コウジとは?


「なんか、米にカビを生えさせたものらしい」


 発酵食品の類だろうか? カビを使った食品と言えばハムが真っ先に思い至る。

 いったいどうやるのだろうか? まったくもって製法が思いつかない。

 麦とライスの違いを検証するところから始めるべきかもしれない。


「ま、がんばってくれ」


 あなたは頷いた。この酒は好みだ。自分で作れれば最高である。

 作れなければ、その時はその時だ。当地でしか味わえない美味と美酒を訪ねて再訪と言うのも悪くない。


 和やかに美味と美酒を味わい、新鮮な魚介に舌鼓を打つ。

 実にいい店だ。また来よう。あなたはこの店が気に入っていた。


「ふぁー、おいしいですねぇ、このお魚」


 サシャがパクパクとキモジョウユの刺身を食べている。

 このままだと全部食い尽くされそうなので、あなたは慌てて酒杯を置いて刺身に向かった。


「慌てんでも足りなんだらまた頼めばいい」


 しかし、何度も頼めば在庫の魚が無くなる可能性もある。

 この実に美味な魚を食べ損ねるのはなんとも惜しいのである。


「ま、気持ちは分からんでもない。こっちのフライも食ってみろ。アジフライは最高だぞ。ホタテのかき揚げも美味い……よく考えたら天ぷらとフライが混ざってるな、この盛り合わせ」


 あなたは指し示されたフライを食べてみることにした。

 尻尾だけが飛び出したフライは、どうやら小型の魚を開きにして揚げたもののようだ。

 ざくりと音を立てて食むと、淡白な味わいの白身魚の味わいが広がる。

 なるほど、これはショウユをかけるべき料理だとあなたは理解すると、ショウユをかけて齧った。


「どうだ」


 美味い。最高。あなたは笑って答えた。

 あなたはフライを1種類ずつ味わって食べた。

 フライには2種類あるようで、こんがりきつね色に揚げられたものと、白っぽくサクリと揚げられたものがある。


 見慣れたものがフライで、もう一方がセリナの言うところのテンプラとやらだろうか。フリッターと何が違うのかよく分からない。

 テンプラの方は種々様々なものがあり、ハーブだけを揚げたと思わしきものまである。

 エルグランドのハーブのようなとんでもないものじゃあるまいな……と思いつつも、あなたは試しに食べてみる。


 幸い、とんでもない味わいと言うことはなく、爽やかな香りとパリパリした歯応えが楽しい一品だった。

 これはどちらかと言うとショウユをかけるよりも、塩であっさりと食べる方が美味いように思えた。

 衣が淡白だからか、素材の味わいを楽しむ料理の類なのだろう。味の強いショウユは避けるべきに思えた。


「ほう、塩か。しかし天ぷらにはやはり清酒だな……」


 エビのテンプラが特に美味であるように思えた。

 しかし、野菜を寄せ集めたようなテンプラも美味だ。

 特にタマネギが実に甘くて美味い。これはたまらない。


「昼の飯時はな、丼メニューを出してる。そのかき揚げをおかずに米を食べると美味いんだな。かき揚げ茶漬けにするのも悪くない」


 茶漬け。お茶をかけるということだろうか。正気なのだろうか?

 いくらなんでもそれは食べ物を粗末にしているようにしか思えない。


「茶漬けと言っても出汁茶漬けだ。騙されたと思って今度食ってみろ。美味いぞ」


 あなたはいぶかしみつつも、機会があったらと頷いた。今は目の前の料理を味わいたい。

 煮込まれた魚は、ショウユのほかにいくつかの香味野菜や香辛料の類を用いているようだ。

 ジンジャーの香り豊かな煮込み魚は、十分にメインディッシュを張れる味わいとも思える。見た目が少々悪いが。


 テンプラともフライとも異なる揚げ物料理も美味だ。

 ショウユを下味に使っているようで、豊かな味わいだ。硬めに揚げられているのもいい。

 オニオンも使っているようで、魚の生臭さを微塵も感じない。


 エビや、甘く味付けされたキノコ、細切りされた薄焼きの卵、鞘ごとぶち込まれた豆と言ったものが散りばめられたライスも美味だった。

 色味が豊かで目にも楽しい逸品で、酢で味付けされたと思わしきライスは仄かに甘い。

 茶色っぽくライスが着色されている点もあなたにとっては好印象だ。白いライスはなんか虫の卵っぽくて嫌なのだ。


 魚の各部位を乱雑に放り込んだようなスープは風味豊かな味わいだった。

 潮騒を思わせる騒がしい見た目だが、味は濃厚な魚の旨味が出ている。

 意外なことに雑味や臭みなどはほとんど感じられない。いったいどんな下処理をしているのだろう?


 料理をする人間として興味深いし、純粋に食べる側としても楽しい。

 この店は疑いようもなく大当たりだ。実にいい店を知ることができた。

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