6話

 お腹もいっぱいになり、酒もほどほどに嗜み、あなたたちは店を辞した。

 あなたの背中にはサシャ。飲みやすい酒だったからか、飲み過ぎてしまったらしい。

 幸い、酒乱の気もなければ、体調を損ねて大地に恵みを返す様子ではない。単純に寝入ってしまった。

 すやすやと眠るサシャの暖かな体温が心地いい。今日はこのまま宿に戻って眠るべきだろう。


 セリナをコマすことについては、とりあえずは長い目で見ることにした。

 女同士と言う点にはさほどの忌避を見せていなかったし、興味もありそうだった。

 強引に迫ればイケそうな気配はするのだが、確実とは言えない。今は待ちの時と言うわけだ。


「カイラには渡りをつけておく。あの宿に向かわせればいいな?」


 あなたは頷き、楽しい晩餐をありがとうと礼を述べた。


「なに、大したことじゃない。有名な店でもあるしな。ではな」


 セリナがひらひらと後ろ手に手を振って立ち去った。

 あなたはそれを見送ると、レインとフィリアに帰ろうと促した。


「そうね。サシミと言うのは慣れなかったけど、他はおいしかったわね」


「ですねえ。特に、あのスープ。豆から作った調味料を使ってるらしいですよ。どんな調味料なんでしょうね?」


 豆から作った調味料と言うのはあなたの知識にはない品だ。

 あの店には興味深い料理が本当に多かった。


「というか、あの店、当たり前のように海の魚を出してたけど、一体どうやって調達してるのかしら……」


「そうなんですか?」


「フライ料理はほとんど海の魚だったと思うわよ」


「へぇー。私、海ってあんまり行ったことなくて分からなかったです」


「ああ、なるほど……そう言えば、あなたも前に海の魚をどこからともなく調達してたわよね」


 企業秘密ですとあなたは適当に答えた。


「企業ってなによ……まぁ、話したくないなら詳しくは聞かないけど」


 べつに話したくないわけではなく、理解を超えた現象だと思われるので口にしないだけだ。

 たぶんレインは頭を振ってツッコミをしてくれるだろう。無暗に心労を重ねてもよいことはない。


「フライ料理の中に、パスアウェイフィッシュが入ってたのが驚きでしたね~。でも、すごく美味しかったです」


 パスアウェイ。出て行くとか、離れるとか、そう言う意味がある言葉だ。

 魚に使うにはなにやら妙な意味であるが、どういうことなのだろう。


「パスアウェイフィッシュって何?」


「食べたら死ぬ毒魚です」


「えっ」


「ちゃんと毒抜きをすれば食べられますよ。失敗して死ぬ人も多いですけど」


 パスアウェイには死ぬという意味もある。婉曲的な表現だが。

 そう言えば、エルグランドにも似たような魚がある。強力な麻痺毒を持つフグと言う魚だ。

 考えてみると、キモジョウユで食べた刺身はフグの刺身だったような気がする。あの独特の歯応えはそんな感じだった。

 あれを毒抜きする技術があるとは素直に驚きである。どうやったのだろう?

 エルグランドではがんばる、がまんするの2つで対処するか、耐毒装備で耐えて食べるのだ。

 あるいは死んでもいいやという雑な感覚で食べる。そして予定通りに死ぬ。


「また今度、私たちで食べに行きましょうね」


 もちろんであるとあなたは頷いた。

 あの店の料理は美味だったし、酒も美味だった。

 なによりサシャが美味しそうに酒を飲めていたのがいい。

 酒で高揚した少女としっぽり楽しむのはなんとも言えぬ淫靡さがあっていい。


 あなたたちはなにくれとなく他愛ない会話をしながら宿へと向かった。



 宿に戻ると、あなたはサシャをベッドに横たえた。

 その後、魔法で水で作り出し、綺麗な布を取り出すとこれを濡らして、硬く絞った。

 そして、その布でサシャの体を拭ってやった。


「もうお風呂やってないって」


 宿の人間に入浴できるか尋ねに行ったレインが言いながら戻って来た。

 あなたは聞き方が悪かったのではないかとレインに訪ねた。


「聞き方が悪かったって、ちゃんと丁寧に尋ねたわよ?」


 それではやり方が悪い。あなたは部屋を出ると、階下に降りて宿の人間を訪ねた。

 つまり、申し訳ないがこれから入浴できるだろうか、と言う質問だ。


「入浴ですか。もう遅いですし、火は落としちゃったんですよ。すみませんけど明日にしてもらえませんかね」


 あなたは金貨を取り出し、それを渡した。

 そして、あなたは訪ねた。これから入浴したいのだが、と。


「すぐに準備しますよ」


 あなたは満足して頷いた。



 部屋に戻り、レインに風呂を準備してもらえるようになったと伝えた。

 そして、その際に、誠意とは言葉ではなく金で見せるものだと教えた。

 言葉に重みを持たせるのは難しいことだ。だが、金に重みをもたせることは誰にでもできる。

 まぁ、金さえあれば、と言う枕詞はつくが、それさえ満たせばだれにでも可能なのだ。


「なるほど……」


 レインの屋敷にいた使用人らは、それが仕事だからレインに頼まれれば嫌とは言えない。

 だが、面倒臭いと思うこともあるし、やりたくないと思うことも、当然ある。

 この宿の従業員は、ここを定宿にしている客相手には気を利かしてくれることもあるだろう。

 だが、あなたたちはここに逗留しだして5日も経っていない相手だ。そして、また来るかも分からない。

 そんな相手に気を利かしてくれはしない。よっぽどのお人好しでもなければそんなものだ。

 そこに少々の金を小遣いに渡してやれば、次の小遣いを求めて気を利かしてくれるわけだ。


「でも、それだとキリがないんじゃない?」


 最低限のサービスで満足できるならそれでもいいのではないだろうか。

 しかし、木賃宿に泊まるのでもなければそんなものだ。

 告げられた宿泊費の倍を支払うことで快適に過ごせるなんてザラである。


「うーん、なるほど。その辺りは私もまだ未熟ね」


 真面目腐った顔でレインが頷く。その後ろではフィリアが声を潜めてくすくす笑っていた。

 フィリアはそれなりに冒険者としての年季があるので、初々しいレインが可愛く想えたのだろう。

 あなたもレインが可愛く思えたので、次からはうまいこと小遣いをやって快適に過ごしてみるようにとレインに諭した。


「ええ、やってみるわ」


 向上心の旺盛な若人を見るのは気分がいい。

 あなたは頷いて、頑張れと激励した。


 その後、あなたたちは入浴を済ませた。

 宿の風呂はそれなりに広く。5人くらいならば同時に入れる。

 男性の入浴時間と女性の入浴時間は当然分けられている。


 仮に男が入ってきたら八つ裂きにしていいよ、などと女将は笑いながら言っていた。

 あなたは女将に与えられた殺人許可に満足して、そのようにする、と笑って答えた。

 あなたは湯に浸かりながら、すっかりこの入浴も慣れたなと想いに耽った。


 観光地で楽しめる贅沢だった行為が、いつの間にやら日常の行為になった。

 エルグランドに戻ったら、自宅の風呂回りを改装しなくてはと決意もした。

 1日の終わりに疲労した体を湯で癒すのは格別の心地よさがある。


「ねぇ、あなたってエルグランドでは宿をよく使っていたの?」


 レインの問いかけにあなたは頷いた。

 野営の方が格段に多かったが、町にいれば宿を使った。

 いや、娼館があればそっちに入り浸っていたが、まぁ、娼館も宿みたいなものだ。寝れるのはたしかだ。


「ふぅん。私は野営の方が格段に多かったんだけど、宿を使うにはそれなりの流儀があるのね。まだまだ学ぶことは多いわね」


 そんなことを言いながら、壁にかけられたランプに手を伸ばすようにしてレインが伸びをした。

 流儀と言うほどではないが、たしかにそう言った嗜みと言うか、暗黙の了解とか不文律があるのはたしかだ。

 まぁ、そんなものがあるのはそれなり以上の宿屋だけだ。最下級の宿にはそんなものはない。


「最下級の宿ね。どんな感じなの?」


 エルグランドでは金貨1枚で泊まれる宿があった。こちらで言うと銅貨1枚くらいだろうか。

 すると、宿の広間で寝ることができる。広間には暖炉があるので最低限暖かい。雨も風も凌げる。


「他の客と雑魚寝ってことね」


 それは違う。床で寝るには追加で金貨が3枚必要だ。暖炉の前の特等席なら10枚は要る。

 金貨1枚の場合、ポールを使って張り巡らせてあるロープに体を預けて寝るのだ。


「ちょっと待ちなさい。それ立って寝ることになってない?」


 もちろんそうである。立ったまま寝るのだ。雨風は凌げるので最悪の寝床ではない。床には寝れないが。

 ちなみに金貨をもう1枚支払うことで壁に寄りかかって寝ることが可能だ。ロープよりも安定しているし、安いので人気だ。


「想像を絶するわね……」


 宿によってはべつの広間があり、そこには床に木箱が並べられている。

 その木箱に入り、毛布をかぶって寝ることが可能だ。ノミとダニだらけだが、毛布がある。

 しかも木箱に入ることで隙間風を防ぐことができるため、十分に熟睡できる。木箱に自分の外套をかぶせてやれば枕代わりにもなるわけだ。

 これが大体だが金貨20枚くらいだろうか。


「ベッドすらないの……ベッドで寝るにはどれくらいいるのよ」


 大部屋で金貨30枚くらいが相場である。そのベッドにしてもノミやダニだらけなのは当たり前だが。

 個室となると金貨50枚くらいは必須だろうか。それにしたってベッドは綺麗ではないが。

 食事なんて洒落たものは当然出していないので、寝るだけの場所だ。


 まともに宿と言えるものとなると、金貨100枚くらいからが相場だろうか。

 普通の宿。つまり、下級の宿の相場がそんなものだ。金貨120枚で夕食付きと言うところが多かった。


 大体の冒険者はこういった宿に泊まる。金貨1枚で泊まれる宿は下層労働者向けの宿だ。

 下層労働者はそもそも家すら持っていないことが多いので、そう言うところで寝る必要があった。


「下層労働者向けの宿……そう言うところに慣れる必要もあるのかしらね」


 それは要らないとあなたは苦笑した。

 冒険者なら普通の宿に泊まってちゃんと体調を整えて冒険をすべきだ。

 あくまでそう言う宿もあるのだと教えただけだ。


「自分に投資をして利益を最大化しろ、ってことね」


 まさにその通り。冒険者たるもの、最大の投資対象は自分なのだから。

 宿代をケチる者は多いが、そうした地味な部分こそ大きな影響を齎すものなのである。


「そう言えば、あなたが高級な宿に泊まっていたのもその辺りが理由なの?」


 あなたは頷いた。どちらかと言うとサシャの安全確保の方が理由としては大きかったが。

 それでも、快適な睡眠が取れるならば、多少金貨を払うくらいはなんら忌避する理由にはならなかった。

 睡眠は大事だ。1日に8時間くらい寝るべきだとあなたは信じている。


「なるほどね。次からはもうちょっと宿のランクあげようかしら」


 それがいいとあなたは頷いた。

 宿のランクが高いと、従業員のランクも高くなる。

 一晩泊まるだけの相手でも多大な金を落とすから、それなりに気を利かせてくれるのだ。

 ついでに言えば、金持ちの宿泊客相手に売春婦まがいのことをして小遣い稼ぎをする従業員もいる。

 そう言った従業員と一晩の逢瀬を交わすのも中々に楽しいものだ。その辺りは口に出さなかったが。


「そうね、そうするわ。でも、いい宿って一見で泊まれないこともあるのよね」


 そこまでの高級宿は必要ないとあなたは苦笑した。

 金回りのいい冒険者向けの宿と言うものがある。

 そう言った宿は少々粗野だが、サービス自体は貴族向けの宿と遜色のないところもあるものだ。


「あ、なるほど。この町なら余計にたくさんあるだろうし、探してみるのもいいかしらね」


 そんな風に考え込むレインだが、フィリアにのぼせるから上がろうと諭されて考えを中断した。

 あなたたちは入浴を終えて部屋に戻る。部屋ではサシャがすやすや眠っていた。


 あなたは髪を乾かし、窓際で髪を丁寧に梳った。空には月が浮かんでいる。

 月光を浴びながら髪を梳ることで美しくなれる、と言う伝承がある。

 あなたの母はそう言い聞かせながら、窓際の椅子にあなたを座らせて髪を梳ってくれた。

 どうでもいいが、あなたの父は便所掃除をすると綺麗になれると言う落差のひどい伝承を教えてくれた。

 同時に、極めて美しいあなたの父は、自分は便所掃除なんぞしたこともないが、とも断っていたが。


「……卑劣な」


 ぽつりとレインが呟いた。なにがだろうか。

 あなたがレインの方に向き直り、どうしたのかと視線で問う。

 すると、レインはじっとりとした眼であなたを見ていた。


「……なんでもないわよ」


 あなたは首を傾げた。

 まるで月光を纏って髪を梳るあなたが女神のように美しく見えて、思わずそれに見惚れてしまったことに対し、普段の言動があんな有様な癖に外見が良すぎるだろうという意味合いを込めて卑劣なと呟いてしまったかのようではないか。


「完璧に言い当ててんじゃないわよ! あんたは人の心でも読んでんの!?」


 あなたは笑ってそんなことはできないと答えた。

 実際、あなたに人の心を読むような能力はない。

 まぁ、人の心理を推測する知識と技術はあるのだが。


 ともあれ、髪を整え終えたあなたはリボンで緩く髪を縛るとベッドに入った。

 もちろんサシャと同じベッドに。

 あなたはサシャを抱き寄せ、腕枕をしてやる。

 すると、サシャはむにゅむにゅと口を動かしたかと思うと、あなたへとすり寄って来た。


 あなたの胸に納まったサシャの頭を撫でると、あなたもベッドに体を預けて目を閉じた。

 サシャのふわふわした毛に覆われた耳が、あなたの呼吸音を聞いて揺れる。

 穏やかな気持ちだ。あなたは静かに眠りに落ちて行った。

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