16話

 意識は戻らないものの、とりあえずサシャは安定状態に入った。

 急変しないか見守りつつ、あなたたちは休息に入った。

 入らざるを得ないくらい、コンディションが悪化して来ていた。


 あなたは服を脱いで、焚火の近くに服を干した。

 さすがにずぶ濡れ状態のままでいるのはつらい。

 レインも同様に服を脱いで、焚火に服を干している。


 先ほどから何回も水に入る羽目になっていたので気合で我慢していたが。

 こうやって壁を作った以上、また水没する羽目にはならないだろう。

 レインも、胸に大穴が空いて水没した時からずぶ濡れのままだ。

 風がないので意外と耐えれていたのだろうが、再度水に入ったせいで限界が来たらしい。


「寒い……」


「レインさん、唇が紫色ですよ……」


「うそっ、変な病気とかじゃないわよね……」


 ただ寒いだけだ。なんでそうなるかは知らないが。

 寒いとそうなることがあることは分かっている。


「そうなの……」


 あなたは焚火にケトルをかけ、暖かいお湯を作り始めた。

 レインほどではないが、あなたも普通に寒かった。

 いまは温かい紅茶がとにかく恋しかった。


 幸い、着替えは十分にあり、着替えはしたのだが。

 それでもやはり、一度冷えた体はとにかくつらい。

 体の芯に氷柱を突き込まれたようなつらさがある。

 レインもガタガタ震えながら焚火に手を翳している。


「風がないから平気と思ってたけど……お、思った以上に、体が冷えてたみたい……まるで、冬時期に泳いだ気分よ……」


 非常につらそうだ。あなたもつらい。

 そこで、あなたは緊急避難だから特別にと酒瓶を取り出した。

 非常にキツいカストリブランデー、グラッパだ。


 あまり美味いものではないが、とにかく強い。

 あなたはそれをカップに注ぎ、レインへと渡した。


「グラッパね! んく……くぁーっ! キツイわねこれ! でも、ブドウの香りもあるし、甘みもあって悪くないじゃない!」


 なんか突然元気になったな……。

 あなたはレインの酒好き度合いに思わず真顔になった。


「お湯で割って飲めば、もっと温まると思うのよね!」


 あと1杯だけと念押ししてから、あなたはレインにお湯割りグラッパを渡した。

 たぶん止めない限り、レインは際限なく飲む。

 隙あらば酒瓶を取り出そうとするのがレインだ。

 って言うかそもそも常に酒瓶を持ち歩いているのもどうかと思う。

 あなたの言えた義理ではないが、仮にも貴種の少女が……。


「あら、常に咥えておいた方がいいかしら?」


 なかなかどうしようもない飲兵衛ぶりに、あなたは苦笑した。




 酒と焚火で人心地つき、あなたは装備品の手入れをしていた。

 新しく仕立てた剣は問題ないが、鞘はもうだめだろう。

 あなたの鞘は正統派のもので、木材と羊毛で出来ている。


 木材はごく普通に形状を保つための外装であり。

 羊毛は剣に油分を塗布し、汚れを拭うためだ。錆防止には欠かせない。

 パペテロイはそう錆びないようだが、手入れにし過ぎと言うこともないだろうとそうしていた。


 その羊毛は水没したせいでもう駄目だろう。

 これは後々張り直しをする必要がありそうだ。

 しっかりと鞘に納めていれば、ちょっと水に入るくらいは平気なのだが。

 さすがにガッツリ水没した上に、水中で剣を抜いたのはどうにもならない。


 バラして、完全に乾燥するまでは使用不能と考えた方がよい。

 というか乾燥するまでにカビが出たり、歪んで元どおりに戻らない可能性もある。

 予備の鞘はまだ用意していないので、少々頭の痛い問題だった。


 それ以外にも、剣帯やベルトなどの手入れが必要だろう。

 革製品はカビが出やすいのだ。迂闊な手入れはできない。


「ねぇ、ごめんなさいなのだけど、少し眠ってもいいかしら? なんだか疲れちゃって……」


 手入れをしていたところ、レインがそんなことを言い出した。

 レインは少し前に致命傷を負ったばかりだ。

 回復魔法で回復こそしたたものの、体力は削れたことだろう。


 それも魔法で回復させられるが、そこまでは不要だ。

 休める時間があるのなら、ちゃんと休んだ方がいい。


「お姉様、いいですよね?」


 フィリアも同意見のようだ。

 あなたも頷き、毛布を貸すからしっかり被るようにと言った。


「あら、ありがと。おお……随分上質な毛布ね……」


 ふわふわ質感の毛布に感心しつつも、レインが毛布に包まる。

 そして、『ポケット』から取り出した背嚢を枕に寝息を立て始めた。

 あなたはその光景を後目に、靴が早く乾燥するようにとぼろきれを詰める作業に戻った……。




 できる限りの処置を終えた。

 レインとサシャは未だ眠ったまま。

 フィリアはあなたの作った壁の上で水面に糸を垂らしている。


 高さが十分にあるので、サメも登っては来れない。

 安心してのんびりと釣りができているようだ。

 釣果もなかなかのようだ。


「おなか空きましたね。お姉様、いまって何時くらいですか?」


 懐から時計を取り出す。動いていなかった。

 あなたは思わず天を仰ぐ。高かったのにと。

 いや、値段はべつにいいのだが。

 時計は修理できる職人がそう多くない。

 修理できる職人がどこかにいるだろうか……。


 とりあえず、あなたは正確な時間は不明だが、そろそろ昼頃だろうと答えた。


「そうですか。よし、じゃあ、今日は私が作ります! お姉様は休んでいてください!」


 と、フィリアが突然そんなことを提案してきた。

 水没していろいろと苦労したあなたを労っているのだろうか?


 まぁ、理由はなんであれ、手料理はうれしい。

 あなたはフィリアの手料理に心が躍った。

 普段はあなたが作る側なので、作ってもらう側に回るのはうれしい限りだ。


「あんまり得意じゃないので、期待し過ぎないでくださいね?」


 問題ない。フィリアが作ってくれたと言うだけで価値がある。

 味とか量とか、そう言う問題ではない。些末なことだ。


「ふふ、じゃあ、できるだけ頑張ります」


 言って、フィリアが料理に取り掛かる。

 調理をする音を聞きながら、あなたは温めたお湯を口に運ぶ。

 胃に暖かな湯が流れ込む感触が酷く心地よかった。


 しばらくフィリアの調理風景を眺める。

 『四次元ポケット』からいろいろな食材が出て来る。

 考えてみると、あなたはフィリアが料理している姿を見たことがない。

 だが、べつにできないとも苦手とも聞いたことがない。

 少なくとも、食材を持ち歩くくらいの積極性がある程度に料理はするようだった。


 丸ごと魚を焼いてからトマトと各種野菜。

 そしてワインと水を加えて煮込むようだ。

 アクアパッツァ。そう呼ばれるものの類型だ。


 使用している魚は、マーブルドフィッシュ。

 大理石のような模様のあるショッキングな色合いの魚だ。

 かなりいい出汁が出るため、煮込みにするとじつに美味な魚だった。

 アクアパッツァに使う魚としては最適な部類に入るだろう。


 魚の煮込まれるいい香りが立ち込める。

 まったくおなかが空いて来る。


「う……いいにおい……」


 そこで、サシャが意識を取り戻した。

 料理の匂いで目が覚めるとは、まるで食いしん坊のようだ。

 あなたはサシャに調子はどうか尋ねた。


「あ、はい……調子……そ、そうだ! サメ!」


 そこで自分がメガロドンに呑まれたことを思い出したのか、サシャが叫んだ。

 そして、悔し気に顔を歪め、地面を殴りつけた。


「サメに、負けた……! 魚ごときに……! 魚なんかにぃ……!」


 魚でも強いものは強いのだが。

 実際、単純な強さと言う意味ではたぶんメガロドンの方がサシャより強い。

 しかし、それはそれ、これはこれということだろうか。

 やはり、いくら強くても、負けるのに納得いかない相手はいる。


「次があったら、殺してやる……!」


 殺意を漲らせるサシャ。

 サディストらしいと言えばそうかも。

 しかし、レインが死にかけた時の上の空ぶりはどこにいったのやら。

 どうにも思ったのと違う調子の取り戻し方だが。

 この様子なら、案外サシャは無事に乗り切るかもしれない。




 フィリアお手製のアクアパッツァが出来上がり。

 まだ眠っていたレインを起こし、お昼にする。

 滋味溢れる味わいで、じつに美味だった。

 フィリア提供のパンを炙っていっしょに食べるとしみじみうまい。


「美味しく出来てよかったです。この階層は食べ物に困りませんね」


 まぁ、魚ばかりだと飽きることもあるだろうが。

 それよりも飢えることがないというのは重要だ。

 惜しむらくは水中戦主体なことだろうか。

 陸戦主体だったら、ここで強化合宿でもしたいところだ。


 『エトラガーモ・タルリス・レム』はここで強化合宿をしたらしいが。

 いったい何を相手に訓練したのだろうか?

 単純に涼しい環境で、みっちりとトレーニングをしただけなのだろうか。


「お魚はいいんですけど……こう、お肉も食べたくなりますね」


 畜産が盛んなスルラ出身のサシャは肉が恋しいらしい。

 あなたは夕飯はポークチョップでも食べようと提案した。

 魚ばかり続いていてあなたも飽きて来ていたのだ。


「そんな豪快で贅沢な食べ方していいんですか……!」


 もちろん食べてよし。

 単にソテーしたのもいいが。

 アップルソースがけにするのもいい。

 あれは本当においしい。


「ポークチョップかぁ……ピルスナーよねぇ。これも美味しいんだけど、白ワインがね……」


 先ほどグラッパを飲んだせいか、酒が欲しいとぼやくレイン。

 あなたはレインがなんだか妙に色っぽく見えた。

 気のせいかとも思ったのだが、なんだか違う気がする。

 あなたはレインの違和感を探ろうと、レインの顔を眺める。

 あなたの視線に気付いてか、レインがあなたを見つめ返す。


 その潤んだ瞳がやたらと色っぽく見える。

 上気した頬も実に愛らしく、やや呼吸が荒い……。

 あなたはそこで、レインの体調がおかしいことに気付いた。

 あなたはレインの傍に寄ると、額にそっと手で触れた。


「な、なに? 私の頭がどうかした?」


 あからさまに熱かった。

 あなたはフィリアに熱を測るように頼んだ。


「ああ、たしかに熱いですね……」


 フィリアも同意見のようだった。

 体を冷やした後、そのままにしていたのがよくなかったのだろう。

 レインは発熱していた。




 昼食後、あなたは野営の準備をした。

 地面に無理やりポールを叩き込み、その周辺に布を張る。

 その後、地面にキャンバス布をたっぷりと敷く。

 本来はテントに使う布地だが、地面に敷いて遮熱にも使える。

 その上でたっぷりと毛布をレインに使わせ、寝かせる。


「さっきまで寝てたのに、そんなすぐ寝れないわよ……」


 あなたはグラッパの瓶を取り出した。

 レインと体を温めるために分け合った酒だ。

 まだ半分以上が瓶には残っている。

 あなたは大人しく寝るなら、これを全部飲んでもよいとレインに告げた。


「おやすみなさい」


 それでいい。

 あなたはレインにグラッパの瓶を丸ごと渡した。

 レインはグラッパをラッパ飲みし始めた。


「『病気治療』をかけますね。リラックスして受け入れてください」


「ちょっと熱が出ただけで魔法までかけてもらえるなんて、なんだか大貴族になった気分だわ」


 この大陸の魔法である『病気治療』。

 そのまま病気を治療してくれる魔法だ。

 フィリアの力量なら、大抵の病気は即座に快癒する。


 ただ、病気はまたすぐに罹患することもある。

 原因を除去しない限りはいたちごっこだ。

 まぁ、レインは若く、健康的で、栄養状態も悪くない。

 野営に耐えたり、歩き通しの冒険もこなせる程度の体力もある。

 たっぷりと寝かせれば、明日には復調しているだろう。


「うーん。明日までヒマになっちゃいましたね。いつもなら訓練でもするんですが……」


 さすがにこの状況で訓練はできないだろう。

 『壁生成』で周辺は簡易シェルターにしているが。

 病人がいるところで暴れ回るのはちょっと問題だ。


「魚釣りは散々やっちゃいましたし……もうちょっと安全な水辺なら、『水中呼吸』で貝を探すとかもできるんですけど」


 貝は実にいい。特にオイスター。あれは最高の食材のひとつだ。

 レモンを搾って生でちゅるんと食べると最高にうまい。

 この湖で採れるかは不明だが、採れたらうれしい。久し振りに食べたいところだ。


 本当なら『水中呼吸』をかけてもらって偵察でもすればいいのだが。

 あなたの戦闘力を前提にした無謀な偵察はナシだろう。

 そうなると食材集めくらいしかやることがなかった。

 なんだかこの階層に来てから、食べ物ばっかり採っている気がした。


「気がするというか、事実としてその通りですよね……」


 一応真面目に冒険をやっているつもりなのだが。

 なんだか物見遊山をしているようで、妙な気分だった。

 まぁ、それはそれとして、オイスターは食べたい。

 海の魚が普通にいるなら、海の貝だっていてもいいはずだ。

 あなたは『水中呼吸』の魔法をフィリアにねだった。まだ会得していないのだ。


「ええ、いいですよ。では『水中呼吸』」


 水中呼吸の魔法をかけてもらい、あなたは水中へと飛び込む。

 フィリアとサシャはお留守番だ。

 フィリアはおそらくメガロドンに襲われても、抵抗くらいはできるだろうが。

 危険なことに違いはないので、あなた1人だ。


 水中に飛び込むと、あなたは貝類を求めて水底へと潜っていった。




 どんどん潜っていく。周辺はどんどん暗くなっていく。

 50メートルほど潜ったところで水底に辿り着いた。

 水底は砂地と岩地があり、砂地には魚が潜り込んでいたり、水草が生えていたりする。

 そして岩地には、大量の貝類が張り付いていた。

 

 あなたは岩地の貝類を引っぺがしていく。

 腕力任せに引き剥がしては『ポケット』へ。

 オイスターもそうだが、ムール貝やカメノテが生えている。


 オイスターはそのまま食べておいしく。

 ムール貝はワイン蒸しにしても美味だし、ライスといっしょに炊き込むのもうまい。

 カメノテは最高の出汁が取れるので、スープの材料に使うと抜群にうまい。


 貝を取っていると、時折エビ類を見かける。

 かなり大型のもので、1メートル近いものまでいる。

 ロブスターのようだが、若干違う気もする。

 まぁ、食べれそうなので、片っ端から捕まえておいた。


 食べてもいいが、持ち帰れば売れるだろう。

 このレベルの獲物が獲り放題なら、売価にもよるが相当稼げる気がする。

 この階層の金策の本番は、どうやらこの最上段の湖にあるようだ。


 あなたは満足ゆくまで採取に勤しんだ。

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