レイン 6話

 襲撃の後は、何も起こらなかった。

 戦闘で昂った気が鎮まる頃には夜明けだ。

 波打ち際で砕ける波濤が朝日を浴びて、きらきらと輝いていた。


「結局、ほとんど海を眺めるだけで終わったわね」


 なんてぼやくと、トノイドが苦笑した。


「まぁ、そう言うこともあるさ。最後に酒代が届いてくれたからよしとしよう」


「景色のいいところで酒盛りしてただけで金がもらえるなんて最高じゃないか。あたしはこんな仕事なら何度でも請けたいね」


「俺は退屈でたまらんかった。やはり次はヒャンの防衛にいこう」


 戦いのための準備をカッチリと整えて来たのがバカみたいに思えて来た。

 戦闘があったのはたしかだが、普通に身ひとつで十分な程度だった。

 まぁ、だからと言って準備をしなくていいということではないのだが。

 まぁ、そう言うこともある。冒険と言うのはそう言うものだ。

 いつだって激戦があるわけではないのだ。そう思うことにした。


「さて、引き上げるわよ。みんな私に捕まってちょうだい」


 冒険小説のように華々しい活躍はなかった。

 イタズラ小僧を叱って追い払ったとか、その程度の活躍だ。

 だが、これもまた人の社会において必要な仕事。

 そして、冒険者が請け負える社会への責任の1つでもある。


 冒険者の持てる武は、人々を脅威から守るためにある。

 冒険者たちがどう思っているかはともかく、人々はそう思っている。

 冒険者がただのゴロツキのクズどもと見られていないのは、こうした活動が故だろう。

 もちろんそれは統治者側の、冒険者に増えて欲しいというイメージアップ戦略が故だが。


 社会の一員として責任を果たせる。

 その責任に対する確かな報酬もある。

 それは字面にすれば滑稽ですらあるかもしれないが。

 人が人としての枠組みの中で生きるには必要なことだ。

 冒険者が社会の一員として自らを律するために必要な規律なのだ。





「と、言ったところだったわ」


 レインは3日間の冒険について、金髪の女たらしに滔々と説明して見せた。

 考えてみれば、この女たらしと出会ってから1人で行動するのは初めてだったのだ。

 それに対し、ジト目でレインを見ていた金髪の女たらしは一言。


「ほとんど酒飲んでただけでしょ」


「ま、まぁ、そうなんだけど」


「しかも打ち上げに行ってるし」


「だ、だって、親睦を深めたいって言うから……」


 打ち上げをして、しこたま飲んだ。

 歩くのもしんどくなるくらい飲んだ。

 そして『送信』の呪文を使って金髪の女たらしに迎えに来てもらう始末だ。

 『送信』は5階梯魔法で、きわめて高度かつ正確な伝言を送れる。なんたって別の次元にいても送れる。

 別の次元にいると、さすがに少しばかり失敗の可能性が付きまとうが……。

 たかが飲んだくれの送迎のために使っていい呪文かと言うと、おそらく違う。


「だいたい、自分で『転移』使って戻ってくればよかったんじゃないの? この魔法があればベロベロに酔っててもすぐにベッド直行って言ってたじゃない」


 レインはさっと目を反らした。

 『送信』を使ってから思い至ったのだ。

 酒は人間から知能を奪い去る。

 それが分かっていても迎えに来てくれるあたりは本当にありがたい。


「私は基本的に人の趣味に口出しはしないんだけどね。私が口出しされたら割と反論できないから」


「それはそう」


 伝説に謳われる好色王だろうと、この女たらしには敵わないだろう。

 それほどの凄まじい漁色をするのだから、趣味どうこう言われて反論はできないだろう。


「でも、レインの酒癖は酷いからさすがに直した方いいよ」


「だってぇ……」


「次はレナイアを迎えに行かせるよ?」


「すいませんでした私が悪うございました」


 酒に酔った女を見たら、そのまま連れ込み宿に直行する。

 それは金髪の女たらしも、レナイアも変わらない行動だろう。

 しかし、異常性愛者1号たる学園のセンパイちゃんには良識がある。

 レインが嫌がったら無理強いはせずに大人しく引き下がる。


 だが、異常性愛者2号たる学園のコウハイちゃんには、良識がない。

 力づくで連れ込み宿に連れ込まれ、権力と武力で強制的に行為が始まる。

 普通に犯罪なのだが、女同士での強姦沙汰を官憲が真面目に取り合ってくれるかと言うと微妙なところだ。

 少なくともレインが官憲側だったら真面目に取り合わない自信があった。


「うぅ、お酒はちゃんとほどほどに飲むから……レナイアは、レナイアだけは……」


「そこまで嫌がるのもちょっと予想外だね。レナイア可愛いし、いい子だよ?」


「いい子なのは認めるわ。ただちょっと狂気に侵されてるだけで」


 レナイアはアレでも、あんなのでも神官だ。

 神官は神に魔法を与えられたる者であり、神意の代行者でもある。

 神意に背く行いをすれば、その魔法の力は取り上げられる。

 そして、レナイアは魔法行使能力を取り上げられていない。


 である以上、納得は行かないが善良な存在なのは間違いないのだ。

 悪神を信仰しているなら別だが、レナイアは抱擁神ヒダロスに仕える神官。

 抱擁神ヒダロスは善の神であり、慈愛と幸福を至上とする善神だ。


 これに見放されていない以上は、その教義に沿った神官なのだ。

 ヒダロスの教義はそんなにヤバかったか? と思いたくなるが、教義に沿っているのだ。

 ということは、ヒダロス的にレナイアはアリなのである。

 領民相手に権力を背景に強姦同然のことをしていたのがセーフなのか、かなり際どい気はするが……。


「じゃあ、ポーリンを呼んでたくさんお説教してもらう?」


「親を出すのは反則でしょうが! 親は!」


 さすがにそれはレギュレーション違反とレインが猛る。


「それともなぁに? 私にベッドのなかでお仕置きしてもらいたいのかな?」


「は、はわわ……か、顔、顔が良すぎるわ……な、なんであなたそんなに顔がいいの……」


 そっと顔を寄せて来て、耳元で囁かれると背筋に甘い快感が奔る。

 酒で茹だった脳みそでレインは狼狽する。

 金髪の女たらしの顔があまりにも良すぎる。

 

 顔を寄せて来るだけで死ぬほど動揺してしまう。

 もう飽きるほどにやられているはずなのにだ。

 なんでこの女たらしはこんなに顔がいいのか。


「私の顔が好き? たくさん見てもいいよ。ね、レイン……ベッドの中でお仕置きされたいの?」


「や、やめて、耳元で囁かないで……! へんになっちゃうの……! ばかになっちゃう……!」


「ふふ、かわいいね、レイン。いいんだよ、ヘンになっちゃって。バカになっちゃっていいよ。私が死ぬほど蕩かしてあげるから」


「や、やだ、耳元、撫でちゃ、やら……お、お風呂、入ってないから、だめ……」


「えー? レインがこんなにかわいいのに……どうしてもって言うなら、今度ポーリンといっしょにえっちしてくれるならいいよ」


「わ、わかったから……! だから、離れて……!」


 とんでもない約束をさせられたことに気付かぬままレインが女たらしを引き離す。

 やっと離れてくれた女たらしに安堵の溜息を吐くレイン。

 何度か深呼吸をし、『ポケット』から水筒を取り出して中の水をぐびぐびと飲む。

 やや酒が混じっていたが、6割くらいは水だったので問題ない。残りは蒸留酒。


「ふふふ。レインって、かなりかわゆいところあるよね」


「あなたに可愛いって言われると結構複雑なのよね……」


「私が可愛すぎてごめーんね♪」


「その媚びた仕草、普通のやつがやると死ぬほど腹立つんでしょうけど、あなたがやると「しょうがないか……」って思わせて来るのが一番怖いのよね」


 本気で複雑な気持ちが沈静化してくる。

 こんなにかわいいやつが言うなら仕方ない……そんな納得まで沸いて来る。

 割と普通に顔面で人を洗脳している節がある。


「はぁ……あなたと話してると、いろんな悩みが馬鹿らしくなったり氷解して行っちゃうのよね」


「お悩み解決マン名乗って料金取ろうかな~。女性は相談料無料ってのはどう?」


「解決報酬は有料な上に、ベッドの上での支払いなんでしょう」


「よくわかったね。その通りだよ」


「わからないわけないでしょ」


 そんな軽口をたたき合いながら、どちらともなく学園へと歩を進める。

 まずは学園に帰り、ひとっ風呂浴びたら寝酒を飲んでぐっすり寝る。

 報告はそのあとでもよかろうとレインは内心で頷いた。


「そう言えば」


「ん?」


「あなたって卒業試験はどこに行くの? さすがにあなたも1回目の試験の内容は通告されてるでしょ」


 基本的にはランダムと言うことになっているというか。

 現役冒険者たちのところに臨時で参加することになっている。


 だが、常時存在する依頼が割り振られたりすることもある。

 ヒャンの都市の防衛もそれだ。ヒャンの都市の防衛は常設依頼なのだ。

 信仰系がだいたい送られるというのはそういうことだ。


「ああ、私はフィリアといっしょにドワーフの都市の防衛に行くんだ。楽しみだなぁ、ドワーフの女の子!」


「……ドワーフは女でも髭生えてるわよ」


「そりゃ、女でも髭くらい生えるでしょ」


「男も目じゃない勢いで髭が生えてるのよ?」


「へぇ、そうなんだ。やっぱり口説く時の文句に髭は必要だったりするのかな? メモっておこう」


「女でさえあれば何も迷わない姿勢が時々怖いわ」


 それにしてもフィリアも一緒とは。

 フィリアは随分と楽が出来るなとレインは内心で想う。

 金髪の女たらしは冒険には真摯だが、かなり甘やかしてくれる。


 いや、正確に言えば、甘やかしているつもりはないのだろう。

 どちらかと言うと、金髪の女たらしの標準が高い位置にあるのだ。

 出来立てアツアツの料理を『四次元ポケット』に入れて運び。

 『ポケット』の中に普通のベッド一式を平気で入れていたり。

 そんなのが彼女の中での普通なので、ペットにも同じ環境を与える。

 冒険者としては最上の待遇なので甘やかしてもらえるように感じるわけだ。


 フィリアが羨ましいくらいだ。代わって欲しい。

 レインはこの時、本気でそんな風に思っていた。

 それがまさか、あんなことになるなんて……。




 後の時代において「ヒャンの都市史上最悪の1週間」と語られる事件。

 腕利きの冒険者見習いフィリア・ユールスと、その姉と伝わる人物。

 その2人がいなければヒャンは陥落し、ドワーフの都市は滅んでいただろうと謳われる。

 あるいは、ヒャンのみならず、サーン・ランド……果てはマフルージャ王国の亡国にまで至ったやも知れぬという。


 数多の原始の巨人が押し寄せ、種々の強大なドラゴンが空を覆い。

 いずこから現れたとも分からぬゴーレムが襲い来たる。

 死を孕んだ風が吹き荒び、恐るべき破壊が降り注いだ。

 大地より火が吹き上がり、草木も生えぬ不毛の地と成り果てた。


 だが、見るがいい。


 それは誰よりも勇ましく、誰よりも誇り高く戦う戦士であった。

 ユールスの姉妹は剣を手に、臆することなく戦い抜いてみせた。

 その剣はドラゴンの鱗を穿ち、巨人を断ち割り、ゴーレムをも砕いた。

 言祝ぐ祈りは傷付いた者、倒れし者の悉くを癒し、その骸までも蘇らせた。


 黄金の髪を靡かせ、その深紅の瞳は敵を射抜いた。

 その姿は闇が深ければ深いほどに燦然と煌めく希望。

 携えしはすべてを終結させし剣。その名は神々の黄昏。


 まるで神話の如き戦いの1週間。

 その勃発は目前だった。

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