第82話
最後にあなたはメアリと固く抱擁しあい、別れのキスをして『明けの黄金亭』を後にした。
伯爵家に戻り……いや、今はあなたの屋敷だった。
屋敷へと戻り、最後の準備を済ませ、明日の冒険に供えなければならない。
「あ、ご主人様。おかえりなさい」
いつもの談話室に戻ると、サシャが本を読んでいた。
サシャは時間が余ると大体本を読んでいる。勤勉でいいことだ。
あなたはサシャの頭を撫でて、よく頑張っていると褒めた。
冒険者と言うのは勤勉でなければ大成しない。
やはり、頭は悪いよりも優れていた方がいいのである。
「そう言うものなんですか? 頭が悪くても戦士とかはやっていけるものかと……」
そんなことは無い。たしかに魔法使いの方が理知的と言う印象はある。
だが、戦士は魔法使いと違い、魔法でさまざまな恩恵を得ることができない。
そのため、さまざまな状況に対応するために豊富な知識を揃えなければならない。
そう言う意味で言えば、実践派の知識と言う点では魔法使いを上回っていなければ戦士として失格なのである。
知識を持つというのと、頭が悪いというのはまたべつの意味ではあるのだが、似通った問題ではある。
ただ戦うのが圧倒的に強いだけでは冒険者としては成功できない。
圧倒的に強い上で、豊富な知識を持ち、さまざまな技能を兼ね備えることで冒険者として大成出来るのだ。
そもそも強さなんてシンプルな努力で補えるもので、言ってみれば簡単に得られるものだ。
そう簡単には得られない知識の強みを持つ方が大変である。楽な道に逃げるようでは三流と言う他にない。
「楽な道に逃げるようでは、三流……」
強さだけを求めるというのは、他の道をあきらめると言うことだ。
それは言ってみれば、今の自分自身に満足して、さらなる成長を求めていない。
今の自分に満足を覚え、そこで停滞してしまうようではだめだ。
常に全力で走り続けることでしか辿り着けない場所もある。
あるいは、その地位に留まり続けるためには全力で走り続ける必要がある。
これはもう圧倒的な強者の意見と言うか、超人たちの意見ではあるのだが。
常に努力をし続けない限り、成功など掴めないのである。
努力し続ける環境を構築すること、努力し続けることもまた、努力のひとつ。
努力し続け、足りなければ更なる努力をし続ける。
残念ながら努力すれば報われるわけではないのが世の常であるが。
報われるまで努力しなければ意味がないのもまた世の常である。
そして、どれほどの努力をしたとしても、その努力が正しく実を結ぶとも限らない。
最も努力をした者が最も報われるわけではない。そうだとしても、努力をする。
なぜなら、努力をしない限り、結果を残すことなどできない。未来を掴むための前提条件が努力なのだ。
そうした現実を理解し、努力し続けられるある意味でぶっ壊れた精神性がない限り、あなたのような超人には至れない。
もちろん、ある程度のところで妥協するのならばそれでもいい。
戦士としての道に自分を局限すれば、それだけ進歩も成長も早いし、戦士としての大成は速い。
それはあなたからすれば妥協だが、戦士としての道に専心するのも間違いではないのだ。
加えて、いまだからこそ、そう言う意見になるのだ。かつてのあなたはほぼ専業戦士で魔法は諦めていた。
専業戦士としての限界を感じて、魔法に手を出し、魔法剣士へと次第に変遷していまがある。
「私は、どうすべきですか?」
それはサシャ自身が考えることだ。どういう道を進むのでもあなたは認める。
あなたのようななんでもできるオールラウンダーな、完成された冒険者にはなれないだろうが。
この地で一般的に志向される、職能の限定された冒険者と言うものには十分になれる。
それに、今決める必要もない。
あなたもかつては戦士としてのみ戦っていた。それに限界を覚えて魔法を覚えたのだ。
今はまず戦士としての道を歩み、それに限界を感じてから魔法の道を進んでもいい。
「なるほど……」
また、そう言った巨視的な視点は置いておくにしても、頭がいいというのは重要だ。
なぜ? という問題に対しての、考え方の糸口をつかむにはやはり頭がよく、知識があった方がいい。
「疑問に対する解決策、ですか。たとえばどういうものが?」
たとえば、戦士たるもの大地への感謝を忘れてはならないということだ。
この大地への感謝と言うものは、非常に多彩な意味を持っている。
「戦士は大地への感謝を忘れてはならない……ですか?」
戦士の健全な肉体を育てるのは、大地の恵みである。
肉と野菜をバランスよくとることで強靭な肉体を育てられる。
野菜に関しては豊穣の神であるウカノの恩恵もある気がするが……。
「あ、なるほど。たしかに大地への感謝は大事ですね」
また、エルグランドにおいては大地の神と言うものがいる。
大地の神は戦士に多大な恩恵を齎してくれる神なので、信仰する戦士が多い。
「大地の神様もいらっしゃるんですね……戦士が信仰することが多いから……なるほど。そう言う部分も」
そうである。戦士たるもの大地の神より与えられる恩恵を忘れてはならないとよく言われる。
いや、べつに風の神を信仰しててもいいが、やはり大地の神を信仰すべきだ。
場合によっては癒しの女神を信仰するのもいいし、戦士の方向性次第では機械の神を……。
「えーと、つまり、なんでもありですか?」
意外とそうなるかもしれない。戦士と言うのは範囲が広い職能なので、人によって信仰すべき神は違う。
純粋に信仰によって得られる恩恵だけを基準にすれば、今のあなたは父と同じく元素の神を信奉すべきであるし。
魔法戦士としての方向性で言えば、魔剣の神や、忘れ去られし虚空の神を信奉するべきだ。
そう言うのをガン無視してあなたは財宝のウカノを信仰していたが、これだって冒険者としての恩恵を重視しての話だ。
だが、そうであるにせよ、あなたは戦士であったころから大地の恩恵を忘れたことは無い。
戦士たるもの、大地の恩恵を忘れてはならない。忘れるべきではない。
忘れた時、もはやそれは戦士ではない。無様な棒振り芸を披露する大道芸人になる。
「大地の恵みでも、大地の神の御力でもない、大地の恩恵……それは一体?」
踏んで歩ける。大地の恩恵とはそう言うものだ。
「…………えーと、それだけですか?」
逆に聞くのだが、大地に足をつけて剣を振るのと、空中で剣を振るの。どちらの方が威力が出るだろうか。
「試したことが無いので分からないのですが……そんなに違うんですか?」
ぜんぜん違う。具体的に言うと10倍以上は違って来る。
並みの、そう、普通の人間でも、地面に足をつけて剣を振るえば鉄を叩き切ることも可能だ。
だが、空中にいる状態で剣を振るえば、よほど体重移動が巧みな剣士でも木を切ることすら難しい。
端的に言って、剣で戦うというのは、運動量を剣に与えることで、その運動量を相手に叩きつけることによる。
剣の形状、重量で衝突時の衝撃力の伝播に差異は生まれるものの、概ねは身体能力の限界が衝突力の限界となる。
この身体能力の限界と言う点について考えた時、如何にうまく剣に運動量を付加してやるかが課題となる。
「な、なるほど……? 剣に、運動量を与えて……えと、なんとなくは分かりました」
そうしたことを考えた場合、腕だけで剣を振るうより、肩も使った方が、そして腹や背中も使った方が威力が高い。
当然だ。腕の筋肉よりも背中の筋肉は大きい。筋肉は大きければ大きいほど、そして太ければ太いほどに出力が高いのだから。
それらを踏まえて考えた時、絶対に見逃してはならないものこそが、下半身の筋肉なのである。
下半身の力を使うにあたって、分かりやすいのは前方への運動力の発揮だ。
つまり、走って剣を叩きつければ、その分のスピードが上乗せされて威力が増大する。
しかし、空中では走れない。下半身の筋肉を発揮するために踏み締める地面がない。
もちろん足を振って反動を使って剣戟に威力を上乗せするということはできるが……。
それは地面を蹴る形に整えられた筋肉で行うには幾分以上に不合理なやり方だ。
やはり地面に脚をつけて振った方が、剣戟の威力は高いのである。
つまり、大地の恩恵だ。地面に足をつけて戦う。これほど重要なことは無い。
飛び上がって剣を振るったり、空中で剣戟を振るうのは、まぁ、絵的な見栄えが抜群にいい。
ただ、威力はゴミだ。光戦技カッコいいポーズを開発する戦士たちも大いに認めている事実だ。
だから、あなたのような連中でも本気で戦う時は地面に足をつけて地味に戦う。その方が強いからだ。
「うぅん、うん……うん……な、なんとなくわかりました」
ちょっとサシャには難しかったようである。まぁ、そんなものだろうか。
この場合の大地の恩恵というのは物理学、運動学を詩的に述べたものだ。
地面に足をつけていた方が人間は高い運動力を発揮できるという。
さまざまな知識を蓄えていかないと、この大地の恩恵と言うものを論理的に理解することはできない。
なんとなく感覚的に理解している戦士もいるが、整然と順序だてて説明するには、やはり知識が必要なのだ。
「あの、ところで、光戦技カッコいいポーズって?」
そこに食い付くのか。あなたはちょっと笑った。
光戦技カッコいいポーズとは、そのまんまである。
見栄えが良くてカッコいい戦闘技術を開発する集団だ。
あなたは所属していないが、機関誌は購読している。
「機関誌って。本を出してるんですか」
毎年2冊の刊行だが、戦士ギルドも協賛している品だ。
やっぱり見栄えがいいので、これに憧れて戦士を志す者も多い。
魔法ギルドも同様に、光魔法カッコいいポーズを開発している。
あなたはこちらも機関誌を購読している……というか、あなたも寄稿している。
「意外とおちゃめなことしてるんですね」
そう言う楽しみを求めるのも大事なことだ。
純粋に剣技の強さだけを求めるのもいいが、見栄えも求めて遊んでみたりするのはいい気晴らしになる。
機会があったら光戦技カッコいいポーズを教えてあげようとあなたはサシャに約束した。
「あ、あはは……ちょっと楽しみです」
それはよかったとあなたはサシャに笑いかけた。
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