28話

 サシャとフィリアに『軽傷治癒』をかける。

 傷はそれで治ったが、さすがに意識は戻らない。

 フィリアはすぐに意識を取り戻したが、たぶん気絶自体していなかったのだろう。

 ショックで意識が朦朧としていただけなのだと思われる。


「おーい! 私も降りた方がいいか!」


 上からレウナが声をかけて来た。

 あなたは受け止めてやるから降りてこいと答えた。

 すると、レウナが飛び降りて来た。

 壁を巧みに蹴って落下速度を殺している。

 その落下速度減殺に限界が来たあたりで、あなたは『軟着陸』をかけてやった。

 かなり初歩の魔法で覚えやすいので、この間の崖下りで見て覚えたのだ。


「助かった」


 軽やかに着地したレウナが気絶しているサシャを見やる。


「『覚醒/アウェイクン』」


 そしてレウナがなにか魔法を放つと、サシャが飛び起きた。

 気絶状態から覚醒させる魔法らしい。


「うあ……あ、私……?」


 やや混乱しているようだ。

 あなたはクレバスに落ちたのだとサシャに教えてやった。

 考えてみると、上の辺りは平坦な地形をしていた。

 おそらくあの辺りは雪渓だったのだろう。


「クレバスに……あ、そうだ。私うまく『軟着陸』が使えなくて……」


 使わなかったのではなく、使えなかったらしい。

 それがどういう理屈かは不明だが。

 思えばサシャはまだ魔法使いになってから3年も経っていない。

 咄嗟の時に魔法に頼るという感覚が身についていないのだろう。


「にしても、深い穴ね。50メートルはありそうよ」


「普通の人間なら落ちた時点でお陀仏だな。命が助かっても2度と出れん」


 幸い、あなたたちは飛行手段が豊富にある。脱出することは容易い。

 あなたは少し休憩してから脱出しようと伝えた。

 そして、そのあとは一時撤退をしようとも。


「撤退するの? まだ、いける気もするけど……」


 あなたもまだいけると思っている。

 まだいけるはもう危ないと言うが、それを踏まえてのまだいけるだ。

 総力で言うとまだ2割程度しか使っていない。

 だが、現時点ではこの階層を探索する準備が不足している。


 攻略できないことはないが、消耗が激しいだろう。

 そして、攻略の全容が見えていない現在、消耗は抑えたい。

 そうした点を踏まえ、余裕で撤退できる今のうちに撤退したい。

 そして余裕を持って攻略できる装備を整えたいのだ。


 スノーゴーグルが必要だし、スノーシューも必要だろう。

 幸い、どちらも自作が可能なものだが、さすがにここでは無理だ。

 加えて、天候はフィリアの魔法のおかげで穏やかだが、無風とはいかない。

 やはり風が吹けば、ある程度は冷たい風が吹きつけて来るので防寒着がいる。

 魔法の保護もあるので、この大陸の冬用防寒着でも十分だろう。


 そしてなにより魔法による防寒はできても、やはり雪の冷たさはある。

 靴に沁み込んだ水が、足指を冷やし続ければ凍傷の危険もある。

 水密性、保温性の高い靴を用意し、ここまで持ち込む必要がある。

 また、歩行補助用のアイゼンにストックも必要だし、急斜面登攀用のピッケルもあった方がいい。

 雪山登山をしながら冒険しろとは、なかなか厳しい話だ。


 あと、それぞれをロープで縛った方がいいだろう。

 アンザイレンと言うのだが、そうすることで滑落防止ができる。

 戦闘時には外す必要があるので、金具か何かで固定した方がいい。

 その金具を用意するか、戦闘毎に切ってもいいほど余裕を持ってロープを持ち込む必要がある。


「細々としたものが必要なのね。出費はそうでもなさそうだけど……」


「この寒さだと、行動食も要りますよね。食べないと冷えますから。食べやすい軽食を作らないとですね」


「この階層の敵と戦い易い準備も必要ですよね。あの狼、たぶんですけど火に脆弱性がありますよ。『火球』が効き過ぎてる気がします」


「ああ、それはたぶんあるわね。霜巨人も火に脆弱性があるし、そのあたりを踏まえて装備を整えることも視野に入れる必要があるかしらね」


 こう考えてみると、この迷宮はなかなかの難所だろう。

 荷物の持ち運び手段がないとまともにやっていられない。

 この大陸の魔法にも荷物の持ち運び手段は何種類かある。

 それらを使えるようになるか、道具で補うか、準備が物を言う迷宮だ。


「実際、無理にこのまま進んで、凍傷とか言うので手指を喪うのも嫌だし、撤退すべきかしらね。収入もあったことだし」


「ひとまずは戦利品を換金して、次の準備ですね。この階層で落ち着いて活動できる装備を整えないと」


「それから、この階層で使えそうな魔法を文献をあたって探してみましょう」


「そうね。王室図書館の利用申請を出してみましょうか。あそこの文献はすごいわよ」


「お、王室図書館……!? 私も入れるんでしょうか……!?」


「べつに、貴族じゃないと入れないとかの規定はないわよ」


「そうだったんですか!?」


「紹介制だから推薦がないとダメだけどね。推薦人が利用の宣誓の見届け人も担当するから、推薦人にもそれなりの地位が必要よ」


「それ結局、貴族じゃないとほぼ入れなくないですか?」


「まぁ、貴族の伝手が無いと無理なのはたしかね。私が推薦すればいけると思うわ。私で無理なら、いくらかお金を積んで現ザーラン伯爵に頼めばいいし」


 やはり貴族のコネと言うのは強いなとあなたは頷いた。

 王室図書館の利用ができるのはありがたい。

 知の宝庫にアクセスできるのは、それだけで圧倒的な強みなのだ。

 あなたもエルグランドでは度々図書館を利用することはあった。

 王室図書館と言うものはなかったが、大学に付属の国立図書館はあったのだ。

 やはり、ああいった施設の蔵書量に個人で勝るのは無謀だし。

 

「王室図書館……! 王室図書館かぁ……! きっと、ものすごい文献がたくさんあるんだろうな……!」


 ワクワクウキウキと言った調子のサシャ。

 この大陸では活版印刷が盛んだが、同時に写本もまだまだ盛んと言う。

 実際、サシャに買い与えた本はすべて写本だった。

 そのため、1冊で金貨が飛ぶほどに高額な代物だ。


 厳密に言うと、貴族向けの本は写本。

 そして庶民向けの本は活版印刷が主流らしい。

 魔法の含まれた書物は活版印刷では複製できないのが理由だそう。

 そのため、貴族向けの高度な知識が含まれた本は極めて高価だ。


 魔法書に関連して写本が生き残っているのはエルグランドでも同様だ。

 魔法によって造られる魔法書の作家は手作業でなければいけない。

 なので活版印刷が主流の現在も、その分野に限って生き残っている。


 魔法のないボルボレスアスでは500年以上も昔に写本文化は絶滅したという。

 なので、写本が生き残っているのは、やはり魔法に由来する現象なのだろう。


「ふむ、一時撤退か……まぁ、そう急いても仕方ないのだろう。私も撤退するとしよう」


 レウナも撤退には賛成のようだ。

 ところで、レウナはこれからどうするのだろうか?

 今後もEBTGに参加してくれるなら歓迎するし。

 他のメンバーを探してみるというのでも追いはしない。


「私は最深層まで辿り着ければそれでいい。深層まで向かうチームを探してみることにする。攻略がなかなか厳しいことはよく分かったので、腰を据えてやるとするさ」


 それは残念とあなたは素直に残念がった。

 レウナには神より授かった使命がある。

 その高貴なる義務を邪魔することは許されないだろうからしかたがない。


「出るところまでは付き合わせてくれ。帰り道の回復は任せておけ」


 とのことで、あなたたちは4層『氷河山』の攻略を一時断念。

 撤退するべく行動を再開した。



 帰り道は特段に苦戦することはなかった。

 4層『氷河山』では3層『大瀑布』に辿り着くまで敵との遭遇はなく。

 『大瀑布』は順当に降りるのを繰り返すだけだ。


 まぁ、4層から出る場所は3層の湖の中。

 またあの巨大スクイッドとの戦闘があったが。

 今回はサシャとあなただけではなく全員いる。

 魔法を主体とした攻防であなたたちは問題なく勝利した。


 それからは順当に移動するだけだ。

 休憩を含めて、おおよそ半日であなたたちは地表に帰還した。


「今回は世話になったな。我が神の彫像に、よくできた聖印まで……心の底から礼を言う」

 

 レウナの礼の言葉に、あなたは手を振って気にするなと答えた。

 冒険と言うより、あなたの贈り物が主体の礼のようだが。

 彫像は1時間足らずで作ったものだし、聖印も馬鹿力で1時間足らずで作ったものだ。

 素材の銀塊もエルグランドから持ち込んだものでゴミ以下の価値しかない。


「ここでお別れみたいなこと言わないでちょうだいよ。このまま打ち上げにいきましょ。あなたの戒律でお酒ってどうなの?」


「その手の戒律はないが……」


「あら、じゃあいいじゃない。ソーラスにしかない、生の魚を食べさせる店があるのよ。独特な店だけど、お酒も美味しいわよ」


 目的があの店で飲める酒なのがありありと分かる。

 あの店には米から作った独特の醸造酒があるのだ。


「饗応を無下に断るのも道理にもとるか……分かった、楽しませてもらおう」


「決まりね。じゃあ、いきましょう!」


 あなたたちは前回セリナに紹介された店へと向かった。

 そう言えば、あの店の店名はなんと言うのだろう?

 どこにもそれらしい表示がなかったので不明なのだ。




 店へと向かうと、店の前で青年がビラを配っていた。

 前回はいなかったが、アルバイトかなにかだろうか。

 こういう地道な活動が名店への道なのかもしれない。


「さぁさぁ寄ってって見てって! ソーラスで唯一の魚介類料理店だよ! おいしいよ! 安全だよ!」


 あなたはなんとなくビラを受け取る。

 なんでも、今日は特大マグロなるものがあるらしい。

 私が獲りました、と青年の似顔絵がでかでかと描かれている。


「マグロ、美味しいですよ! マグロ、ご期待ください!」


 もしやだが、彼がこの店のオーナーと言うケント氏だろうか?


「はい、そうですよ。このソーラスで最強の海の男、ケントと呼んでください!」


 ここは内陸だが、最強の海の男であるらしい。海の男とは。

 一瞬、3層『大瀑布』のことかとも思ったが、あそこは湖だ。

 まぁ、その辺りのわけのわからない情報はどうでもいい。

 あなたは何の気なしに、今日のお勧めは? と聞いた。


「牛スジのどて煮」


 マグロじゃないのかよ。あなたは思わず突っ込んだ。

 海の男が牛スジなるものを勧めてどうする。どう考えても牛肉だろうそれは。


「俺は刺身で酒飲むの好きじゃないんで……なんなら刺身自体そんな好きじゃないし……」


 この店のコンセプト全否定である。

 以前、エルグランドでも楽しくやっていけそうだと予想したが。

 このトンチキぶりは間違いなくエルグランドでもやっていけるだろう。

 なんと言うか、頭の具合が自由だ。

 大成した超人級冒険者はこんな感じのが多い。

 こういうのに限ってと言うべきか。

 こういうのでもないと無理と言うべきか……。


「そう言うわけですので、どて煮を食べてくださいね! 5名様ですか!」


 あなたはもうなんでもいいやと頷いた。

 とにかく今は美味しいものと酒が欲しい。

 オーナーの頭が少々おかしくても味に問題なければそれでいい。


「5名様ご案内!」


 あなたたちは店内へと案内された。




「なかなか……なんと言うか……自由なオーナーのようだな。かつての知己を思い出す」


「あんな感じの知己がいたの……」


「ああ。50人くらいな」


「めちゃめちゃいる……」


 いろんな意味で疲れそうな知己である。


「ま、ちょっと懐かしくなれて笑えたよ。さて、この店は何がお勧めなんだ?」


 どて煮らしい。


「魚を食わせろ、魚を」


 でもオーナーのおすすめだし。

 とりあえず頼んでみようではないか。

 どて煮と言うのがなにかは知らないが。

 あなたは気になったら試してみるわんぱくガールなのだ。


「あなたもだいぶ自由な側の人間だな……すまないが、私はこの大陸の字は読めないようだ。なにかおすすめを頼んでもらえるか?」


「ええ。前回頼んだ、フライとかテンプラの盛り合わせがいいわよね」


「あと、お刺身の盛り合わせも。お酒も一通り頼みましょうよ」


「お酒はジャンジャン持って来てもらいましょうか。どて煮って言うのも、聞いたことないし頼んでみましょう」


「パスアウェイフィッシュのコースもあるんですね。ここでしか食べれない無毒化コース……お姉様、高いけど頼んでもいいですか?」


 もちろん構わない。

 今日の代金はあなた持ちだ。

 レインもレウナも遠慮せず飲み食いして欲しい。


「やった! もう今日はとことん飲むわよ!」


「2日酔いにならない程度でおねがいしますね」


「レインさんって私たちがいる時は大体とことん飲んでるような……」


 酒飲みなどそんなものだ。

 あなたは明日もレインは二日酔い確定だなと思いながらも注文をするのだった。

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