16話
あなたはボルボレスアスにて滞在中の宿へと戻って来た。
そして、仲間たちにマフルージャ王国の手土産を渡した。
と言っても酒とか食べ物とか、そんなごく普通のものだが。
「随分かかったのね。なにかあったの?」
あなたは重々しく頷いて、アノール子爵領関連の手続きがめんどくて、と答えた。
そして、ベランサの屋敷の方でも事務処理を済ませて来た。
それから庭に建てた図書館の進捗についての報告とか。
ギールが庭に建てている一家で住むための家の決済とかを済ませて来た。
要するに雑務で忙殺された、と言うことにしておく。
実態はと言えば、ギールをメス堕ちさせていたわけだが……。
それを口にしたところで誰も喜びはすまい。
沈黙には雄弁さに勝る価値があるのだ。
「大変ね……お疲れ様。まぁ、飲みなさいよ」
言って蒸留酒を注いでくるレイン。
とりあえず酒で歓迎はやめて欲しい。
「ご主人様、図書館はどうなったんですか?」
期待に満ち溢れた顔で尋ねて来るサシャに、あなたはにっこりと微笑む。
そして、『ポケット』から取り出した小さな化粧箱をサシャへと渡した。
サシャが目線で開けてもいいかと尋ねてきたので頷く。
「これは……鍵?」
サシャが開いた箱から出てきたものは、瀟洒な細工の施された鍵だ。
その細工に反した重厚さも持つ鍵は、厳重な施錠に用いられる錠前のものであることを示している。
そんな鍵が用いられる建築物と言えば、相場は決まっている。
つまり、まばゆい宝物の数々が収められた宝物庫か。
あるいは、どんな財宝にも劣らぬ叡智の収められた図書館か。
そう、それはサシャのための図書館、その鍵であった。
「完成したんですね!」
あなたは頷いて、帰ったらさっそく本を収めようねと答えた。
「はい! 書物こそ人の類が誇る最高の宝! そう、計り知れぬ
感極まったように叫ぶサシャ。よっぽど嬉しいのだろう。
サシャが嬉しければあなたも嬉しい気持ちになれる。
「そう、知恵とは何にも勝る至宝です! おお、知るがよい。その叡智の泉の水を拒む人の類よ。なんたる
サシャが朗々と諳んじるのはなにかの詩文だろうか?
知識の重要さ、その叡智の深さを讃える言葉のようだが。
「ふふふ……愉しみですね! 本を一杯入れて、それを思う存分読んで……疲れたら眠って、起きたらまた読んで……! きゃあ~! 素敵ですね!」
隠者、あるいは賢者の隠遁生活の理想だろうか。
そんな生活を送る自分を想像してか、サシャが黄色い声で悲鳴を上げる。
自分専用の図書館。サシャにとっては何にも勝る至宝なのだろう。
「さぁ、受け取るがよい定命なる者よ。思慮深き知者にこそ我は与えようぞ、この秘められたる秘術の力を……ね。はぁ~……お熱いわね。自分専用の図書館のプレゼント……妬けるわねぇ、まったく」
サシャの諳んじた詩文の続きだろうか。それを一節ばかり諳んずるレイン。
そして、そんなことをぼやく。レインも欲しかったのだろうか?
「まぁ、欲しいっちゃ欲しいわね。やっぱり、自分専用の図書館って言うのは、心惹かれるわ。好きなだけ本を収められる、自分専用の空間で、本に囲まれる……素敵だわ」
「レインさんもそう思いますよね! やっぱり、本に囲まれるって、素敵です!」
「わかるわかる。でも私は酒樽がずらっと並ぶセラーの方がより一層心躍るわね……!」
酒に対するモチベーションがハンパではないレインならではの願望だろうか。
でもまぁ、自分専用のワインセラーと言うのは、たしかに心躍るものがある。
自分の私室から繋がる秘密のセラーに降りて、こっそりと酒を嗜むささやかな非日常……。
それはきっと、何にも勝る最高の酒肴として酒に彩を与えてくれるのだろう。
しかし、なんと言うか……レインの酒に対する意欲は色々と、こう、凄い……。
酒さえあればそれで万事解決するのではないか、みたいなところがある。
実際、高級酒とか、珍しい酒とかを出せば、大体の頼み事は通る。
「ちょっと、いくらなんでもそこまで安い女じゃないわよ。ちょっとやそっとの高級酒じゃ靡きやしないわよ」
などと言うレインに、あなたはそっと『四次元ポケット』から秘蔵の酒を取り出す。
それはエルグランドの北方領域、低水温領域で造られている酒の類似品だ。
低温の海中で保管された酒は、すばらしい熟成がされて最高の美味を産む。
およそ1年ほどの熟成で、生半な保管方法の何十倍も美味くなるのである。
そして、あなたが手にしているのは沈没船に積み込まれていたワイン。
沈没したことによって図らずしも海底に安置され、熟成が為されたものだ。
その熟成期間たるや、なんと100年以上にも及ぶという奇跡のワイン。
海流によって緩やかに熟成された酒はただ事ではない美味を産む。
ほんの1本で金貨数億枚もの値が付いたエルグランドでも屈指の高級品。
希少性はもちろんのこと、その味のすばらしさは保証しよう。
さて、このワイン、レインは飲んでみたいだろうか?
「あ~ら、あなたいい女ね。一晩の夢を見させてあげてもいいのよ」
促したら直球でベッドのお誘いが飛んで来た。
自分の体を売ることに対する躊躇がなさ過ぎるのか。
あるいは希少な酒を飲むためならすべてを擲つ根性なのか……。
どっちにせよ、あんまり褒められた行為ではなかった。
まぁ、お誘いは嬉しかった。
なので、あなたはレインに秘蔵のワインをビンごと渡す。
その希少性ゆえ、滅多に手に入らない極上の酒だ。心して飲んで欲しい。
「期待が高まるわね……ありがたくいただくわ。夜に飲みましょう?」
2人でロマンティックな乾杯と言うわけだ。
よきかな。あなたは深く頷いた。今夜が楽しみだ。
さて、レインと酒杯を交わしながらの秘め事をして、その翌日。
あなたたちは陸酔いの心配も消えたことで、東部地方の本格的な旅へと出発する。
まず、東部に数多存在する町をいくつか回って、それから開拓村を探す。
ハウロが腰を落ち着けることとなる村を探すの主目的である。
あなたたちがどこまでそれについていくかは謎だが……。
基本的に、戦いは可能な限り避けて冒険をすることになる。
イミテルは一応妊婦なので、過度な運動、まして攻撃を受ける可能性もある戦闘などもってのほかだ。
仮に戦闘になる可能性がある場合、あなたが本気で敵を排除する必要があるだろう。
まぁ、あなたとイミテルは一応名目上は新婚旅行中なのだ。
新婚の妻を身を挺して守るのは、新婚の夫として当然……と言うべきか。
「おう、お帰り。本拠の方で雑務してたんだって? 転移魔法って便利だけど、大陸超えて仕事しなきゃいけなくて大変だな……勤勉で尊敬するわ」
朝にハウロに帰還の挨拶をされ、そんな風に哀れまれた。
言われてみると、たしかに転移魔法が使えなければ仕事をしに帰ったりはしていない。
そもそも、気になったからと言って気軽に帰ることなど出来はしない。
やはり、仲間たちの言うように、本来的に真面目なのだろうか。
あまり真面目である自覚のないあなたとしては首を傾げるが……。
「さて、旅の続きだが……まず、近場にあるカノエの里に行くとしよう」
なんともオリエンタルな名前の共同体だ。
ボルボレスアスの東部地方には独特の文化があり、そうした名称ですら興味深い。
あなたはカノエの里はどのあたりにあるのか地理情報を訪ねた。
「ここから南におよそ90キロだ。2日でいける。街道もあるし、宿場町もある。楽な旅だ」
たしかに大した距離ではない。2日と言うのも妥当な数値だろう。
無理すれば1日で踏破出来ないこともないが、そうまでする必要があるかは微妙だし。
「……そう言えば、この大陸でも度量衡って同じなんですね」
「うん? そうなのか?」
「はい。えと、大体これくらいで1メートルですよね?」
サシャが自身の肩幅の倍くらいの大きさに手を広げてみせる。
たしかに1メートルとなるとそれくらいだろう。
「ちなみに私の身長が165センチ、体重が68キロです」
「たしかにそんな感じだな……ちなみに俺は172センチ、84キロだ」
たしかにハウロはそれくらいかな、と言う感じの体格だ。
身長が7センチしか違わないのに、サシャより16キロも体重が重いのは筋肉量と骨格の太さだろう。
やはり、ボルボレスアスの狩人と言うのは基礎的な体格の時点で桁が違うのだ。
「古い文献でも同じ度量衡だしな。隣の大陸だし、度量衡が伝わることもあるんじゃないのか?」
「そう、ですね。でも、エルグランドでも同じ度量衡らしくて……」
「ほう? そうなのか?」
あなたは頷く。少なくともあなたの知る限りでは有史以来からそうだ。
一応、身体尺基準の度量衡もないことはないが、主流ではない。
「不思議なこともあるもんだな。まぁ、話が通じやすくて便利じゃねえか」
言われてみると、たしかに不思議だ。
深く考えたことがなかったが、なぜ全世界で統一された度量衡が使われているのだろうか?
ボルボレスアスや、アルトスレアでも、身体尺基準の度量衡はあった。
だが、メートル法と言う、メートルとグラムを基準とした度量衡は併用されていた。
いずれも極めて古い時代から使われていたので、その起源はまったくの不明だ。
これもまた、世界に隠された秘密、謎のひとつと言えるだろう。
いつか、この秘密の真実を求められる時も来るだろうか?
またひとつ、この世界の識りたい謎が増えてしまった。
まったく、これだから冒険はやめられないのだ。
あなたたちは宿を取っていた港町を出発する。
潮を孕んだ風が次第に遠くなり、濃く深い緑の繁茂する草原があなたたちを出迎える。
背丈が低い多種多様な下草が生えただだっ広い草原だ。
歩くだけで種々の草が潰れた、青臭くもどこか薫り高い香りが立ち上る。
背の高い木の少ない草原を撫でる風は爽やかで、生き生きとした生命力を感じる。
街道を歩くだけで、この大陸が生命に満ち溢れた大地であることを感じさせる。
緑が濃く、空気もまた濃く、それでいて水は軽やかに。
すべての命が大きく、巨大に成長していくことが許されているような。
自由で、荒々しい……そんなプリミティブな力に満たされているように感じる。
それは、原始的で、野蛮ですらあるのかもしれない。
だが、それゆえに人間の最も根源的な本能を強く呼び起こす。
ただそこにあるだけで、命の燃え上がるさまを感じるかのようだ。
ただ歩いているだけだが、それでもやはり楽しく思えてくる。
船に乗り込むため、西部地方で港町を目指した時も思ったが。
この大陸はあらゆるすべてが生命力に満ち溢れていて、それが酷く美しく思えた……。
内陸部の方に行くにつれて、深く濃い緑の繁茂する森が広がっていく。
そして、山々が連なる地形に来ると、ひどく静かで人の存在を拒絶するかのような森が現れる。
人の意志が介入したことのない、深奥の山は恐ろしく静かだ。
それは人の存在を拒み、立ち入った者を冥界へと誘うかのような……。
踏み入ると、ここは人の住む領域ではないと実感させられるような。
それはあくまで、人間であるあなたが感じる錯覚に過ぎないのだろうが。
人が人の痕跡を感じ取れないことの恐怖をありありと感じ取ることができる。
そして、人の手の入った領域、原始林ではない、雑木林。
そうしたものが連なる領域に来ると、ほっとした心地になる。
人が分け入り、資源を得るために整備した空間はどこか暖かい。
騒がしいわけではないけれど、どこかにたしかな人の息吹を感じる空間。
たとえて見るなら、集合住宅の一室に入居しているような。
左右の部屋から、小さな咳払いの声や、料理を作る香りが漂ってきているような。
そんな、ささやかなれどもたしかな人の存在を感じるような気配がある。
そして、そんな雑木林の存在は、それを整備するに至った成熟した人の共同体を示唆する。
雑木林の居並ぶ領域を抜けると、そこには異国情緒を叩きつけて来るかのような光景。
木造建築を主体とし、朱や黒のカラーリングが目立つ家々が立ち並ぶ通り。
道行く人々は独創的な染色が為された貫頭衣を纏い。
それを絢爛に染め抜かれた帯で纏めたり、あるいは下にはズボン様の衣服を纏ったり。
衣服の様式ですら異なり、果ては道行く人々の容姿の系統までも異なる。
通りを歩くだけで、異国にいる! とありありと分かる場所。
あなたたちはカノエの里に到着した。
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