36話

 ソーラスの一等街区。そこにセリナの自宅はあった。

 独特の様式の塀に囲まれた、木造の邸宅だ。

 かなり独特な造りと構造をしており、まるで見たことのない様式だった。


 漆喰の壁に美しい飾り窓があったり、鮮やかな朱に塗られた柱。

 庭には木が植えられていたり、なんとも異国情緒を感じるガゼボが置かれていたりする。

 美しい邸宅だが、だからと言って生活を考慮していないわけではなさそうだ。

 鶏が飼われていたり、軒先には野菜が吊るされていたり、生活感も実にある。


 どの大陸の、どの地方でも見たことがない。

 すべての地方を見て回ったわけでもないが、まったく初見だ。

 あなたはセリナはいったいどこの出身なのかと思わず訪ねた。


「アルトスレアの割と北の方の出身だが」


 そこにそんな様式の文化圏があったのか……。

 あなたはまったく知らなかった情報に身震いした。


「ああ、いや、違う。これはスーニャンの自宅を再現した家なんだ。剣を極めるヒントになるかと思ったんだがな」


 なるほど、師匠由来と。

 では、そのスーニャンなる人物はどこの出身なのだろう?


「ダァチンと言う国だそうだ。詳しくは知らなくてな。イァピィエンとか言うのが原因の戦争があったらしいとか、ルーベンとか言う国との戦争に負けたとか、そう言う断片的な情報ばかりだ」


「ぜんぜん聞いたことないわね」


「私も聞いたことなくてな。スーニャンはどこから来たんだろうな……」


 あなたもまったく覚えがなく、首を傾げた。

 時たま、そう言う世界のどこから来たのかまったく分からない人間が現れることはある。

 セリナはそう言う種類の人間と出くわし、技を学んだのだろう。


「まぁ、師匠のことはいいさ。今日は料理だ料理。まず、豚を解体するところから始めるとするか。ああ、水はそこに井戸があるから使え」


 セリナがそう促し、あなたたちは料理に取り掛かることとした。


「まず、その生きた豚肉を豚肉にするとしよう。私はルースイの準備をするので、任せていいか?」


 あなたは頷いて、そこの木に吊るしてもいいかと尋ねた。


「折らんようにな」


 セリナの許可も無事に得られ、あなたは豚を木に吊るして解体を始めた。

 セリナは屋敷の中に入ったかと思うと、そこでなにやら調理を始めた。

 出入口のすぐ近くにキッチンがあるらしい。不思議な間取りだ。


「まずはトドメを刺して、放血ですね」


 サシャがバケツを『ポケット』から取り出す。

 冒険道具として購入してあったバケツだろう。不衛生でなければそれでいい。


 あなたはナイフを取り出し、それで豚の首下の血管を裂いた。

 すると、勢いよく溢れ出して来る血。

 サシャがバケツでそれを受け止める。

 豚が力なく鳴き、その命の火が喪われてゆく。


「……あんまり見てていい気分じゃないわよね」


「そうですか? まぁ、そうかもですね」


 いまいち実感のない感じでサシャがとりあえずの同意をする。


 さておいて、あなたは豚肉の食肉処理を進める。

 内臓類を丁寧に取り出し、これを水に晒す。

 そして、血を抜いた肉にあなたは『アイスボルト』を叩き込んだ。

 マイナス100億度の超冷凍光線が豚を氷結させる。


「危なッ! なにやってんのよあんたは!?」


 レインが驚いているが、これは食肉処理だ。

 温度が高いほど食品が劣化しやすいのはよく知られたこと。

 しかし、逆に高温過ぎると食品が変質して劣化しにくくなる。

 ほどほどの暖かさ、それこそ体温くらいがいちばん劣化しやすい。


 つまり、畜肉はその体温を速やかに下げないと劣化するのだ。

 叶うことなら氷結するまで瞬間的に温度を下げるのがよい。

 その後、ゆっくりと解凍してやると最高の肉になるのだ。


「それは分かったけど、当たったら即死する魔法を気軽に使わないでちょうだい……」


 あなたはレインに『アイスボルト』を叩き込んだ。

 『アイスボルト』が貫通していった位置を咄嗟に手で抑えるレイン。


「あ、あれ? え?」


「え? え? あの、いま当たりましたよね?」


「た、たぶん?」


 『アイスボルト』の魔力は正確に制御している。

 この通り、直撃させたところで、レインには被害が出ない。

 以前にレインに教えた魔力制御を鍛えるとこういうことができる。


「はーっ、こんなことが……なるほど、気軽に使うわけだわ。それはそれとしてふざけないでちょうだい」


 レインの蹴りがあなたのふくらはぎに炸裂した。やや痛い。

 あなたはメンゴメンゴと雑に謝りつつ、食肉処理を続けた。




 処理が終わったら、最も劣化しやすいものから順に調理する。

 家畜から得られる食品で最も劣化しやすいのは、血液だ。


「まずはブラッドソーセージですね。羊の腸は準備済みです。今回はお肉を少し使いましょう」


「小麦粉と燕麦も入れましょうか。その方が食感が優しいし」


「ああ、そのタイプもいいですね。ふわっとした食感になっておいしいんですよね」


 慣れているらしい2人に大まかな調理工程は任せる。

 貴族の令嬢のレインも慣れているのは意外と言えば意外だ。

 なにか、そう言う風習があったりするのかもしれない。


「まぁ、なんのことないわよ。秋にソーセージを作って、そのまま酒盛りをするって風習があるの。王都じゃお祭りにもなってるくらいよ。ソーセージを肴に飲むと、安酒もおいしいのよね」


「レインさんはそろそろ貴族の令嬢に謝った方がいいと思います。酒癖とかで」


「なんで? みんな私くらい酒を飲むべきよ。そうすると、もっと酒が造られていい国になるわ」


 かなりどうしようもない持論をぶち上げるレイン。

 そんな話をする間にも、手はよどみなく動いている。これはよほど参加していたらしい。

 羊の腸の塩漬けに詰め込まれていく赤黒いペースト。

 むちっと詰まったソーセージがひょいひょいと捻られていく。


 出来上がったソーセージは風通しのいいところに吊るして乾燥させる。

 ほどよく乾燥したら、あとは茹でていただくわけだ。

 フィリアに持って行く分は茹でてやってから持って行った方がいいだろう。


「できたできた。おーい、セリナ。内臓肉ってどこらへんまで使うの?」


「あれば全部使うが、最低でもホルモン……腸管だけ残しておいてくれ。それ以外は使っても構わない……少しは残してくれるとありがたいぞ?」


「そうなの。じゃあ、キザムも作っちゃいましょうか」


 意外とルージューフォシャオに使う肉は少ないらしい。

 厳密に言えば、それなりに使うのだろうが、腸管だけあればなんとかなるようだ。

 ならば、それ以外の肉は使ってしまっても構うまい。


 胃を取り分け、それ以外の内臓肉は下処理をする。

 脂の強い部分は軽く茹でこぼす。ここが重要なポイントだ。

 少なくとも3回ほど茹でこぼしてやり、同時に香味野菜も取り換える。

 こうすることで、臭みのない食べやすい内臓料理になる。


「まぁ、クセの強い味こそ内臓料理って言う人もいるけど」


「取り出した腸を軽く水洗いしただけでそのまま焼いて、臭い臭いって言いながら食べてる人とか居ましたね……」


「それはかなり強烈ね……よっぽど強い酒がないと飲み込めないわよ」


「私は強い酒があっても無理だと思います……」


 まぁ、フィリアは病人なので、ここは下処理を丁寧にやるということで。

 あなたは内臓肉を何度か茹でこぼし、臭み取りをした。

 その後、その肉を切り刻み、香味野菜とスパイス類でさらに味付けと臭み消しを。

 この時、セリナの要望通りに2割ほど各種内臓肉を取り分けておいた。


 そうして出来たミンチ肉を、胃の中に詰め込んで、あとは茹でるだけだ。

 なにも難しいことはない、これだけでおいしいキザムのできあがりだ。


「うーん、強烈ね……まぁ、好きな人は好きなのよね」


「ハズレの店に当たっちゃうと、苦手になる人もいるくらいにはクセの強い料理ではありますね」


 豚の胃は1つ分では足りないので、これだけ特別に複数購入して来てある。

 それで複数個のキザムを作れば、入院中のフィリアが毎晩のディナーにキザムを食べれることだろう。


「ま、それはいいわ。で、この解凍した肉はどうするの?」


 茹でている間はヒマなので、次に肉に取り掛かる。

 と言っても、肉料理はなにも難しくも面倒でもない。

 あなたはどういう料理にするかなと顎を撫でながら悩んだ。


「ルースイができたので、ホルモンを貰っていくぞ。お、全部少しずつ残しておいてくれたのか。助かる」


 下準備をしていたセリナが出て来て、肉類を持って行った。

 あなたはその背中に、豚肉料理は何がいいかと尋ねてみた。


「ツァイジャオロースー」


 さらっと聞いたこともない料理を要求された。

 あなたはそれがなんなのか尋ねた。


「あー……少し待て。煮込んでる間はヒマだから、それも作ってやろう」


 なるほど、セリナの手料理が増えるらしい。

 ならば、待つほかにないだろう。


「ああ、そうだ。市場でピーマン買って来てくれ。何色でもいい」


 あなたは『四次元ポケット』からピーマンを山と取り出した。


「……どこから出した? 魔法? そうか。緑色のピーマンがいっぱいだな。うん、ツァイジャオではなくチンジャオに出来るな」


 セリナがしげしげとピーマンを眺め、満足そうにうなずいている。

 これで、そのツァイジャオロースーだかチンジャオなるものは作れるのだろうか?


「ああ、いける。うまいものを作ってやろう」


 あなたは期待して待つことにした。




 セリナの手で分厚く重たい刃を持った包丁が驚くほど軽やかに踊っている。

 ピーマンが瞬く間に細切りにされていき、茹でた皮付きの豚肉がスライスされていく。

 普段は外で食べているようだが、料理も相当できるらしい。


「スーニャンが料理は女の嗜みだからと教えてくれたんだ。まぁ、出来て損はないしな」


「独特な料理ね。見たことない調味液が多いわ」


「それは醤油だ。そっちは紹興酒」


「へぇ、お酒!」


「飲むなよ?」


「あとで味見だけでもいいから……ダメ?」


「……後でな。で、そっちはオイスターソース。3層で採れるオイスターから作ったソースだ」


 はじめて聞いた調味料だ。実に独特な料理だ。

 セリナの料理は、セリナが作っただけで価値があると思っていたが。

 どうも、異文化料理を体験できるという価値もあるようだ。


 セリナがニンニクを炒めて香りを出したら、豚肉とピーマン、そして白い何かを突っ込んだ。

 あなたはその白いものがなんなのか訪ねた。


「タケノコ。竹の新芽だ」


 竹って食べれるの……?

 あなたは新事実に驚いた。


「炒めたら、片栗粉でとろみをつけたオイスターソース、醤油、紹興酒を入れて、炒める。ほら、出来たぞ」


 超早い。あなたは生のままではと訝った。


「大丈夫だ。ちゃんと火は通ってる。仮に通ってなくても死なんから大丈夫だ」


「なにがどう大丈夫なんですか……」


「大丈夫大丈夫、死なんから」


「えーっと、死なないって根拠は?」


「大丈夫大丈夫、死なんから」


「根拠は!?」


「大丈夫大丈夫、死なんから」


「テキトー言ってるわねあなた!」


「死なんから大丈夫だって」


 セリナは割と大雑把らしい。

 あなたは苦笑した。


「ん。そう言えば材料はあるな……ホイコーローも作ってやろう」


 そして、またもや大雑把な勢いで料理が1品追加された。

 ニンニクの葉とピーマンを炒め、それを取り出す。

 そして肉を入れて炒めたと思ったら、ニンニクの葉とピーマンを戻して炒め直す。

 醤油とショウコウシュなる酒、そしてなにかのペーストで味をつける。

 強烈な旨味のある香りが漂う。恐ろしく美味そうだ。


「ルージューフォシャオは時間がかかる。できるまで待ってられん。チンジャオロースとホイコーローで飯にしよう」


 なるほど、そのために作ったらしい。

 まぁ、セリナが用意してくれたなら、饗応を断るわけがない。

 あなたは喜んでご飯にしようと頷いた。



 セリナが倉庫と思われる建屋から、大きな机を出して来た。

 そこに料理と小皿を並べる。そして、大きな鉄の釜を持って来て、それを机の上に置いた。


 湯気を立てているが、中はなんだろう。

 中を覗いてみて、あなたは硬直する。

 大量のウジ虫が入っている……ように見えたが、それは米だった。

 どうやら、水だけで炊き上げた米を主食にするらしい。

 あなたは水だけで炊いた米が視覚的に苦手なのだ。


「箸が不慣れなら、匙で食うといい。それからこれだ」


 セリナが机の上に、陶器の甕を置く。

 そこから柄杓で汲み出されたのは、深い琥珀色の液体。

 漂う独特の発酵臭に、酒精の香り。これがショウコウシュなる酒らしい。


「そら、飲め。5年物だぞ」


 レインが嬉々として酒を注ぐ。

 あなたも注いでみて、試飲してみる。

 かなり独特の味わいだった。


 決してまずくはない。むしろ、うまい。

 人間の味覚すべてを刺激してくる、不思議な味わいだ。

 ツンとした酸味に、深い発酵系の旨味。

 やや苦く、甘い味わい。そしてナッツのような香り。


「ふーん、へぇ、ほおー。異国情緒を感じるお酒ね! 決してまずくないわ!」


「私も1口いいですか?」


「ああ、飲め飲め。そして食え食え。うまいぞ」


 あなたたちは酒を舐めながら、料理にも取り掛かる。

 チンジャオロースなる料理は、とろみのあるたれの炒め物と言ったところか。

 頬張ってみると、シャキシャキブツリとした各種の食感が楽しい。


 タケノコなるもののキレのある歯ごたえ。

 食感を残したピーマンのブツリとした歯切れ。

 揚げ炒めた豚肉のホロリと崩れる食感。

 酒由来の奥行ある味わいに、オイスターの強烈なうまみ。

 あなたは酒が飲みたくてたまらなくなる味だと思った。


「私は酒はあまり飲まないので……やはり、米なのだよな」


 そう言って、セリナが白い米をバクバクと食べだす。

 味の濃い料理なので、さぞかし旨いだろう。


 それを後目に、あなたはホイコーローなる料理にも手をつける。

 ニンニクの豊かな香りを持つ葉ニンニクに、キャベツのシャクシャクとした食感。

 豚肉のブツリとしたキレのある噛み心地に、皮目の香ばしさ。

 食感を重視した料理文化なのだろうか?

 各種の味を取りそろえた、バランスのよい調味も特徴のようだ。


 いずれにせよ、うまい。

 セリナが作ったというだけで価値はあるが。

 それを踏まえても、実に旨い料理だった。

 食べている最中なのに、余計に腹が減るようだ。


 あなたはショウコウシュなる酒を呷ってみる。

 馥郁たる芳香に大きく息を吐き、チンジャオロースを頬張ってみる。

 すると、また酒が欲しくなる。これはラガーも合うと見た。


「なるほど、気が合うわね」


 ラガーを取り出すあなたと同様に、レインもラガーを取り出していた。

 どうやら、酒飲みとして意見は一致しているらしい。

 あなたはラガーの瓶を開け、レインと乾杯をした。


「うぅっ、このチンジャオロースって言うの、ごはんが無限に食べれます……! おいしい……!」


「ホイコーローも美味いぞ」


「はうっ、このニンニクの香り、食欲が限りなく湧いてきます! そしてお肉の食べ応え! ああ、ごはんが溶ける……!」


「いい食いっぷりだ。うむ、やはり米なのだよな」


 セリナとサシャは白米をガンガン溶かしている。

 濃い目の味なので、主食が消え去っていくのだろう。

 あなたとレインもラガーがどんどん消えて行って困ってしまう。


 まだ昼間なのに、酒が進み過ぎてしまう。

 あなたは困った困ったと笑いながらも、酒を飲む手を止めない。

 それはレインも同様で、ショウコウシュとラガーを交互に飲んでいる。


「はぁー……! ウイスキーのソーダ割りも合うわ……! 最高!」


「チンジャオロース美味し過ぎる……! ホイコーローも美味し過ぎる……! あのっ、レシピ教えてください!」


「紹興酒の入手にアテはあるのか?」


「……ないです!」


「だろうな。カイラに頼むといい」


「おおっ……! では、レシピを!」


「いいだろう、ちゃんとメモれよ」


 酒がうまいし、料理もうまい。

 降って湧いた余暇には望み過ぎなくらいだ。

 フィリアがいないのが残念だ。


 次はフィリアも交えて、セリナと酒を酌み交わしたいところだ。

 まあ、セリナは酒より飯と言ったタイプのようだが。

 それでも、以前に飲んでいたあたり、イケる口なのはたしかだ。


 もっと仲良くなりたいし、気を許してもらって個人授業を受けたい。

 そしてなにより、サシャが気に入ったらしいので、料理も覚えたい。

 ショウコウシュなる酒は手に入るらしいので、レシピを覚える価値はあるだろう。

 あなたはこれからもセリナと交流を密にすることを決め、にぎやかに酒宴を楽しんだ。

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