12話

 サシャとフィリアの方へと向かうと、サシャが哀れっぽい目であなたを見上げた。


「ご主人様……い、痛いです……」


 それはまぁ怪我をしたら痛いだろう。

 さて、治療はどうするか。ポーションを使うか、魔法を使うか。

 あなたの魔法は使わないので、その辺りの判断はフィリアに委ねよう。


「そうですねぇ。んー。ワンドを使いましょうか」


 そう言ってフィリアが魔法のかばんから取り出したのは、木製の短杖だった。

 こちらのワンドはエルグランドのものと少々異なり、作成者の技量で魔法の威力が多少異なる。

 エルグランドのものは常に一定で、使うのに失敗すると不発するが、だれにでも使えるという利点がある。

 こちらのワンドは、その呪文が使える素質を持つ必要こそあれ、使用の失敗もなければ効果も一定ではないという利点がある。

 まぁ、一長一短だろうか。エルグランドでは治療魔法のワンドは戦士必携の品だが、こちらでは戦士にワンドは使えないのだ。


「はい、すぐよくなりますよ~」


 などと言いながらフィリアがワンドをサシャの肩に突き付ける。

 そして、ぽわりと柔らかな光がサシャの肩に吸い込まれると、瞬く間に肉が盛り上がって傷が塞がった。


「わ、痛くなくなりました。やっぱり回復魔法ってすごいですね」


「でしょう? 戦うもののために与えられた神の御業ですからね」


 などと言いながらフィリアがワンドをかばんに仕舞いこむ。

 かばんに仕舞っていいのだろうか? フィリアが腰にぶら下げているホルダーに入れるのかと思ったのだが。


「こっちには『致傷治癒』が入ってるんですよ。あとは『上位魔法武器化』と『聖なる一撃』の呪文が入っていて……」


 『致傷治癒』はともかく、『上位魔法武器化』に『聖なる一撃』と聞いたことのない魔法だ。

 『上位魔法武器化』はまぁ名前からして予想がつくが、『聖なる一撃』はどんな魔法なのだろう?

 フィリアとはその辺りの話をしていなかったが、魔法の講義会をフィリアとも開催すべきかもしれない。


「作るのにお金がかかっちゃいますけど、やっぱりワンドは便利ですから、色々持っておきたいですよね」


 こちらでは作るのに結構なお金がかかるらしい。

 エルグランドではほとんどタダ同然で作っていたのだが。

 まぁ、素材からなにから全て自分で調達するからタダ同然なだけで、買えばそれなりにかかるのだろう、たぶん。


「やっぱり、魔法無しだと私はダメね……フィリアみたいにクロスボウでも持つべきかしら」


「ぜひぜひ。おすすめのクロスボウを紹介しますよ。そうだ、町に戻ったらクロスボウを見に行きませんか? 整備の仕方も教えてあげますよ」


「え、ええ、おねがいね」


 あの子、クロスボウの話になると早口になるのよね……などとレインが小さい声で呟いた。

 人間、好きなものの話になると少々早口になるのは仕方ないことだろう。

 まぁ、クロスボウが大好きな少女と言うのはどうなんだという話ではあるが。


「さて、オークは戦利品にはあまり期待できないのよね……たまに宝石なんか持ってることもあるとは言うけど」


 あなたとしてはオークの肉が食べられるのかが気になるくらいだ。

 武器は粗末なものだし、高価な品を身に着けているということもなさそうである。

 戦利品に期待できないというレインの言葉は正しいだろう。


「解体する価値もないし、このまま進む?」


 あなたは頷いた。サシャがちょっと怪我をした程度だ。

 その怪我も既にフィリアの手によって癒されている。

 冒険の歩みを止める理由にはならないだろう。

 ただし、あなたは『ポケット』から小さな包みを取り出し、その中身を1つ取り出すと、それをサシャの口へと突っ込んだ。


「んみゅ? んぁ、甘い……」


 ころころと口の中でそれを転がす音がする。

 あなたがサシャの口に突っ込んだのは、砂糖と水だけで作られた琥珀色の飴だった。


 怪我をするのはどうしても避けられないことだ。

 その苦痛を噛み締め、飲み下すのも冒険者には大切な資質である。

 しかし、その苦痛に慣れ親しみ過ぎてはいけない。


 苦痛を感じたら、それを和らげるように自分を労わってやらなくてはいけない。

 緊張状態に身を置き過ぎると、心身ともに疲弊してしまうのだ。

 戦うことが大好きで大好きでたまらない者でも、四六時中戦い続けると疲弊する。

 やがては心に変調を来し、最悪の場合は正気を失ってしまうこともある。

 人間は、常に強くあり続けられるほどには強くないのだ。そこを弁えないと、自分を壊す結果に繋がってしまうものである。


 戦いの緊張と高揚を解きほぐすのも、とても大事なことなのだ。

 自分に厳しいことは美徳だが、厳し過ぎてもよくはない。

 甘やかすべき時は甘やかすべきなのである。


「にゃるほど?」


 あなたは包みをサシャに渡し、自分を労わってあげたいときに舐めるようにと伝えた。

 ちなみにこの飴はあなたのお手製だ。まぁ、砂糖を水に溶かして熱した後、固めただけのものだが。


「ありがとうございます! えへへ、飴もらっちゃいました」


 嬉しそうにしながらサシャが包みをかばんの中に仕舞いこむ。

 あなたはサシャの頭を一撫でした後、先に進もうと促した。




 再出発し、やがて、あなたたちは開けた空間へと出た。

 ほう、とあなたは警戒の混じった呼気を吐き出し、腰に下げた刀を音も無く抜き払った。

 その動きに呼応するように、他の面々も戦闘態勢を整えた。


 ほんの十歩先程度までしか照らせていないランタンの明かり。

 しかし、あなたにはそのランタンの明かりを元により遠くを見渡す目がある。

 そのあなたの眼には、開けた空間に多種の生物がいることを認めている。


 一直線に襲い掛かって来るのは、あなたの腰ほどの高さの身の丈を持つ生物だ。

 赤い皮膚を持つそれらは、雑魚の代名詞であるゴブリンと呼ばれる生物だ。

 そして、その背後からのっそりと追い付いてくるのは毛むくじゃらの醜い人型生物、ホブゴブリン。


 エルグランドのゴブリンとはまるで違うなと思いつつも、あなたは大振りの薙ぎ払いをゴブリンらへとくれてやる。

 その一撃はゴブリンを纏めて撫で斬りにし、瞬く間に醜悪な生物を生ゴミへと変じさせる。

 サシャは目の前のゴブリンを適当に叩き切ると、押し寄せるゴブリンの群れを突破。

 そして、アンダースローで石ころをホブゴブリンへと投げつけていた。


 いいコントロールだ。あなたがそう内心で評価した通り、放たれた石はホブゴブリンの顔面へと直撃した。

 熊よりも痛みに敏感なのか、あるいは顔がより明白な弱点なのか、ホブゴブリンがのけぞって呻く。

 その隙を見逃さぬ一撃が、ホブゴブリンの胴体を深々と穿っていた。ぐりりと捩じりながらサシャが剣を引き抜く。


 ホブゴブリンの悲痛な絶叫が部屋に響き渡った。

 さて、どうしたものかな? あなたは内心で首を傾げた。

 残ったゴブリンを雑に薙ぎ倒しつつ、あなたはとろとろと身を起こす巨躯の生物を見やった。


 おそらく仲間たちの眼にはまだ映ってはいないだろう。

 だが、サシャは存在には気付いているだろう、その幻想的なまでに醜い巨体に。


 吐き気を催すほどに醜悪なそれは、まるでダガーのように鋭く重厚な爪を持っている。

 満たされることを知らぬ飢えた怪物、その名をトロール。この醜悪な化け物は極めて危険な生物だ。

 これはちょっとまずいかもしれない。あなたは本気を出すべきか出さざるべきかを迷った。


 あなたのパーティーは戦力バランスが信じ難いほどに偏っている。

 サシャはあなたがあげた指輪の効果もあり、身体能力は非常に高い。

 だが、基本となる生命力はさほど高くはなく、レインよりも多少強い程度だ。


 生命力とは死を退ける、根源的な肉体の強さだ。

 致命傷を避けるための肉体の強さと言ってもいい。

 上手い殴られ方とか、上手い斬られ方と言う微妙な呼び方もある。


 仮にあなたの肉体強度がサシャと同程度だったとして。

 あのトロールに10回や20回殴られても死にはしない。

 だが、サシャは1度殴られれば即死もあり得るだろう。

 生命力の差とはそう言うものだ。


 サシャとレインはトロールと戦うには幾分か力量が不足している。

 反面、フィリアは1人では無理だが、同程度の強さの前衛がもう1人居れば倒せる程度の強さがある。

 あなたはもちろん指先ひとつでトロールを倒し、そのまま頭からむしゃむしゃ食べられる。いや、食べないが。


 サシャとレインを交えて戦うべきか。

 安全策を取ってフィリアとあなただけで戦うべきか。

 もうめんどいのでさっさとトロールの頭を爆散させるか。


 トロールはどしどしとあなたたちの方へと向かって来る。

 そして、サシャが仕留めたホブゴブリンの姿を認めると、それへと手を伸ばした。

 トロールは常に腹を空かしている。なぜなのかは分からない。

 ただ分かることは、トロールはそれが食えると知れば、容赦なく食い散らかすこと。


 トロールはその巨大な手でホブゴブリンを拾い上げると、頭から食いついた。

 肉の千切れる音、骨の砕ける音、そして皮の食いちぎられる音。

 ばき、ごり、と骨ごと肉をかみ砕く音が静かにこだまする。


 敵よりも飯。トロールとはそのような生物だという。

 だが、一度戦闘状態に入れば、新鮮な食い物に眼がない。

 つまるところ、敵対者を殺して食うことで頭がいっぱいになる。


 であるから、トロールが食事中に出くわしたならば、それは運がいい。

 こちらがまず確実に先手が取れるのだから……とは掻き集めた情報の中にあった言葉だ。


 その最中にあって、先手を取ったのはフィリアだった。

 クロスボウから手を放して吊り紐で体に預けると、メイスを抜き放ってそれをトロールへと突き付ける。


「『聖炎の一撃』!」


 トロールの足元から業火が吹きあがる。見たことが無い魔法である。

 火のエネルギーと同時、また何か別種のエネルギーを感じる。これは何のエネルギーだろうか?

 疑問に思いつつも、あなたは刀を足元に突き刺すと肩にかけていた弓に矢を番え、それを放った。


 ひょう、と空気を裂いて飛翔した矢は、炎に巻かれて呻くトロールの額へと突き刺さった。

 致命傷のはずであるが、トロールはうおんうおんとわめくばかり。脳味噌が少ないせいで致命傷じゃなかったのかも。


「でえいっ!」


 気合の声と共に、レインが手にしている杖を振る。

 瞬間、放たれるのは熱光線。以前にレインが使っていた『熱線』とか言う魔法だ。

 それが同時に3本放たれると、トロールへと直撃し、火の勢いがさらに増した。


 でかい松明だなぁ。あなたはそんなことをぼんやりと思ううちに、トロールが崩れ落ちて行く。

 先手さえ取れれば、凶悪な敵に対して全力で力を注ぐこともできる。

 そうした差で、通常ならば苦戦必至の――レインとサシャは――敵を無傷で倒すことに成功した。


 こういうのもまた、戦いの妙味と言うやつなのだろう。

 なにかこう、軍略家とかならそれっぽいことが分かるのかもしれない。

 あなたは個人レベルの戦いしか知らないので、戦術、戦略レベルのことはよく分からない。


「ふぅっ。トロールまでいたのね」


 レインが安堵のため息を吐く。

 先ほどのはどうやったのだろうか?

 2発同時に魔法を放つ技法は教えてもらったが、3発は知らない。


「ああ、さっきの。あれはタネがあって……」


 そう言ってレインが手にしている杖、長さ的に言うとロッドだろうか。

 それをこちらへと見せて来る。なんだろうとよくよく見てみる。

 すると、装飾だと思っていた先端部の突起がワンドだということに気付く。


 1、2、3。合計で3本のワンドが埋め込まれている。いや、差し込まれている?

 これはいったいどういう仕組みの代物なのだろうか? 実に興味深い。


「ロッド・オブ・マルチプル・ワンド。3本のワンドを同時に発動できる代物よ。強力だけど、お金がね……」


 まぁ、ワンド3回分を一気に使うというのだから、作るのにお金がかかるらしいこちらでは盛大な出費だろう。

 と言うか、ロクな収入もないトロールを倒すのにこれを使ってしまっては赤字では?


「うちの倉庫で埃を被っていたから使ってるんだけど、ワンドを発動させることはあまりないのよね。あなたの言う通り、赤字になるから」


 世知辛い話である。まぁ、世の中そんなものだろう。

 強力な道具を使えば楽勝でも、報酬に見合わない出費になるのは当然のことだ。


 さておいて、あなたは適当に薙ぎ払ったゴブリンと、トロールに食われて悲惨なことになっているホブゴブリンを見やる。

 あと、悪臭を放ちながら焚火になっているトロール。あなたたちがいま仕留めた敵たちだ。

 ここから収入は得られるのだろうか?


「ないわね」


「ないですね。ここは収入がロクに得られないところですから……」


 あなたは溜息を吐いた。聞いていて知ってはいたが、改めて直面すると溜息が出る。

 べつに金が欲しくて冒険をしているわけではないが、戦利品無しで戦闘と言うのも気が滅入る。


 ソーラスの冒険者らは、まずは大森林に挑み、毒撒き蝶やら大熊の脅威と逃げたり避けたりと言う意味で戦いながら収入を得る。

 つまりは森での採取。バカでも持って来られる代物のほか、専門知識か技術がなければ得られない品。

 そうしたものを掻き集めて収入にし、少しずつ強くなる。やがて、ソーラスの大熊を打ち倒した時、第二層への道が開かれる。


 そして、まったく収入が得られない第二層に絶望することになる。


 なにしろここにいる生物は人型でこそあれ、知恵や武器はロクなものを持たない。

 この第二層で最も賢いのがゴブリンなのだ。冒険者だってこんなところに挑むのだからゴブリン以下の低能に違いない。

 例外として、極たまに魔法の武器を持っている敵と出会うことがあればかなりの収入になるが……。

 常に持っているとは限らないし、持っていれば非常な強敵として立ち塞がることになる。


 ソーラスの冒険者は第二層の敵の強さに苦戦しながら、収入が得られないことに喘ぐ。

 やがて、第一層で稼ぎ、第二層に挑戦し、素寒貧になって第一層でまた稼ぐ……。

 そんな繰り返しを乗り越えたものこそが第三層にようやく挑めるのである。


 要するに、第三層にどうしても行きたい! と言うバカだけが大成できるのだ。

 あるいは、第二層なんかさっさと駆け抜けられる実力者だけが。

 それ以外の者は、第一層の収入で生きて行く者もいれば、冒険者を諦めてしまう者もいる。


 はてさて、どうしたものかな。あなたは笑いながら考え込んだ。

 このままバカになるか、賢くやるか、あるいは暴力で押し通るか。

 賢くやって第一層で地道に稼ぐ下積みをやるのも悪くはない。それもまた冒険だ。

 バカはバカらしく、持ち金を使いながら第二層を突破できるように頑張るのもいい。

 そして、どうしても第三層を見たいからと、以前に言ったことを曲げて突き進むか。

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