15話

 救児院ができ、やがて冬が来て、年が明けた。

 この熱に満ちた大地で一年を通して最も過ごしやすい季節、冬が来ていた。

 昼は涼しく過ごしやすい日々に、もっとも仕事が捗る時期でもある。

 そして農閑期でもあるので、社交のシーズンでもある……。

 いくら社交を真面目にやっておらずとも、最低限はやらなくてはいけない。


 季節の節目、年の明けた時期の挨拶はさすがに必要だ。

 王宮にも出向いてご機嫌伺いをしなくてはいけない。

 普通の貴族ならば、それこそ軍役くらいでしか王宮に接点などないが……。

 あなたはなんせダイア女王の友人と言う立場でもあるのだ。

 友人相手にご機嫌伺い、もとい新年の挨拶をしない方がおかしい。


 それを終えて自領に戻っても、まだまだ社交は続く。

 あなたが出向く側から、出向かれる側に変わるだけだ。

 救国の英雄であるあなたの下には大量の人間が挨拶に来た。

 まぁ、大抵は周辺の貴族らか、あなたが弟子にしたエルフ戦士団関連だったが。

 うんざりすることこの上なかったが、基本的には来客を出迎えるだけだ。

 弟子のエルフ戦士団の屈強でやらしい肢体を堪能したりして何とか乗り切った。


 そうしておよそ1か月もかけて最低限の社交を終えた。

 とうに2月を迎え、そろそろ3月になろうかと言う頃。

 そんな春前の時期に、あなたは自領を離れていた。


 尋ねた先は、マフルージャ王国は王都ベランサである。

 理由は単純なもので、ブレウがそろそろ臨月を迎えようとしていたからであった。

 ブレウが孕んだのが5月頃だったので、出産予定日はいちおう3月頃。

 現在が2月頃なので、あと1月も猶予はないということだ。

 十月十日はまだ早くとも、いつ生まれてもおかしくはなかった。


 出産など、予定通りに行く方が珍しいくらいだ。

 ブレウは初産ではないが、初産がなにせ20年近く前。

 肉体的全盛期にある、と言う特殊事情もあって比較的心配は少なかろうが……。


 ともあれ、万一に備えて、傍に居るのは当然とすら言える。

 あなたの子であり、サシャの妹が産まれようとしているのだ。

 常に傍にはいれなかったにせよ、出産時くらいは立ち会うべきだ。


 メディシンフォージドがいるとは言え、完璧ではないだろう。

 いざとなれば、死者蘇生も可能なあなたがいれば最良と言える。





「経過は順調ですね~。母子ともに不安はありませんよ~」


 そしてベランサに来たら、カイラがいた。

 臨月だからとわざわざ来てくれたらしい。

 メディシンフォージドも心強いが、やはりカイラがいると安心感が違う。

 いざとなったら魔法でなんとかしてくれそうな感があるし。

 この世界でもトップクラスの医療技術の持ち主だと言うし。


「ただ、出産に絶対はありませんので~。現状が順調でも、出産時になにかが起きる可能性は否めませんね~」


 そうだとしても、カイラがなんとかしてくれる。

 そうだろう? あなたは信頼を込めてそう尋ねた。


「そう言われて無理とは言えないですね~。私のプライドが廃ります~」


 カイラが苦笑するが、カイラに無理ならどうにもならない。

 クロモリも薬師としては腕利きの部類だろうが……。

 あの、技術の進んだ異世界、ニッポンで得た知見などもあって、カイラの方が上だろう。


「はいな~。貴重な医学書もいただきましたしね~。ええと、あなた方は……その時の子で、いいんですよね~……?」


 あなたの護衛についてきた『アルバトロス』チームにカイラがそう尋ねかける。

 今日の護衛チームはセクションBであり、カル=ロスが所属しているチームだ。

 臨時編成することもあるので、かならずBにいるというわけでもないらしいが……。


「はい。カル=ロス・ケヒです。よろしくお願いします」


「鑑晶です」


「宮沢一二三です」


「羽鳥もえぎです」


 そのようにセクションB、ブラボーチームが名乗った。


「カイラ・イシです~。ブレウさんの主治医を務めております~」


 カイラも同様に名乗り、一応と言った調子でメディシンフォージドであるカイル氏も名乗った。


「さて、私たちはともかく。さっそくブレウさんに会ってあげてくださいな~。ギールさんもいますよ~」


 とのことで、あなたはサシャと共にブレウのいる部屋に入室する。

 すると、ブレウがベッドの上で刺繍をしていた。そのおなかはとても大きい。

 その隣にスツールを置いてギールが腰かけ、同様に刺繍をしている。

 どうやらブレウに教わりながら刺繍をしているらしい。


「あっ。旦那様!」


「これはオーナー。ようこそおいでくださいました」


 立ち上がろうとするブレウを制止しつつ、出迎えにあいさつを返す。

 そして、体の調子はどう? と尋ねる。


「大過なく過ごしております。おなかの子も元気いっぱいで」


「もう臨月なんだよね、お母さん。妹かぁ……た、楽しみ~」


 微妙に複雑そうな顔でサシャが笑う。

 まぁ、お腹の子はギールの子ではなく、あなたの子だ。

 今は女になっている実の父の前で、他人の子を孕んでいる母親。

 もうなんと言うか道徳の全てが終わっているかのような状況だ。


「お、お父さんも、元気そう……だね……?」


「うん、元気だよ、サシャ」


「お父さん、お洒落だね……」


「ああ、冬だからね。幸い、オーナーが高給で雇ってくださっているから、服を買うお金には事欠かないからね」


 などと柔和に笑うギール。

 その姿はサシャの言う通り、とてもお洒落だった。

 ふわふわとした素材のセーターに、飾り布の垂れたスカンツ。

 薄手のショールも羽織っており防寒性もバッチリ。

 涼しい冬に合わせた服装でありつつ、とても洒落ている。


「もう、ギールったら私の前で好き放題お洒落するんですよ、旦那様。ずるいと思いませんか?」


「あはは、すまないね、ブレウ。でも、ほら、今の私では酒場や賭場にはいけないから、許しておくれよ」


「私もこの子を産んだら、色んなお洒落しなくちゃ。流行りのスカンツを仕立てて履くの!」


 2人とも楽しそうだし、仲良さげだ。

 夫婦と言うより、仲良しの友人みたいな距離感になっている。


「あ、そうだ。旦那様。おなかの子の名前なのですが」


 あなたは頷いた。たぶん名前が決まったのだろう。

 おなかの子の命名についてはブレウに任せることになっている。

 どちらの種族で生まれるかは分からないが、この大陸で生きていくことになるだろう。

 そうなると、この大陸に合わせた名前の方がいいだろうし。


 仮にエルグランドで生きていくならあなたが命名してもよかったが。

 どうにせよ、ブレウが名付けたいと言うなら拒む理由もない。


「イロイと言う名前にしようと思います。どうでしょう?」


 いいんじゃなかろうか。どういう意味かは分からないが。

 発音しやすいし、覚えやすいし、響きも可愛い。

 女の子だと言うからたぶんピッタリな名前だろう。


 あなたはブレウのおなかに手を当て、イロイに声をかける。

 早く生まれておいで、イロイ。外の世界は楽しいよ。

 お母さんもお父さんも、君のことをずっと楽しみに待っているよ。

 強いお姉ちゃんも君のことを待ち遠しく待っているよ。


 そんな声掛けにブレウも微笑んでお腹を撫でる。

 形容が強いだったことにいまいち微妙な顔をしているサシャ。

 そして、完全に蚊帳の外に置かれて泣き笑いの表情をしているギール。

 なんとも言えない奇妙でいびつな、だけれど暖かい空気に満ちた家族だ。


 あなたはイロイのことを心底から祝福していた。

 アノール子爵領の継承権についても、あまり心配いらないだろう。

 女の子な上に婚外子、さらに相手は貴族ではない。

 いわゆる下民だ。しかもマフルージャ王国の民である。

 継承について、イロイを持ち出して来る者も居ないだろう。


 イロイのことは心の底から祝福できる。

 イミテルのおなかの子は、将来は貴族社会で生きていくことになる。

 それを思うと、あなたには憂鬱に感じられてしまうのだ。

 貴族社会が、心底めんどくさいと知っているから……。




 さて、ブレウのおなかの子は順調で、出産まで待ちの姿勢だ。

 そこで、あなたはサシャが心待ちにしていた施設……図書館へと向かった。

 この元ザーラン伯の屋敷は、王都の別宅とは言え非常に広く立派なものだ。

 そして、その庭に作られた設備、図書館もまた、立派なものになった。


「うわ、わあ……わぁぁぁぁ……!」


 その赤い石造りの巨大な図書館に入り、サシャが歓喜の声を上げる。

 2層構造になっているが、書庫部分は吹き抜け構造になっており、非常に天井が高い。

 1層部分には可動式の書棚が林立しており、膨大な図書を蔵せるようになっている。


 南側にはテーブルにソファ、カウチやベンチと種々の読書スペースが設けられている。

 もちろん、ふっかふかのラグマットが敷かれたスペースも完備でゴロ寝も可能だ。

 ここにだけ窓が設けられており、昼間は太陽光での読書が可能となっている。

 当然夜間用の証明として、魔法のランタンも多数設置されている。

 真っ昼間の野外と遜色ないほどの光量を確保することができる。


 2層部分は吹き抜けになっている都合上、床面積がかなり少ない。

 そのため、壁一面に書棚が設置されており、非常に高い位置にまで書棚がある。

 ビジュアル的な面を優先したもので、高さ5メートル近い本棚だ。

 もちろん単なる飾りではなく、可動式のはしごが設置されている。


 そして、地下部分には天然風と水を用いた冷房施設がある。

 真夏であっても冷涼な空気を運び、同時に冷えた水が飲める。

 さらなる地下部分には書物庫が設置されている。


 貯水冷房設備の水で、火災の際にも本が保護される。

 あまり読まない本や、希少な本の原本、古文書などはここに蔵するわけだ。

 たとえ100年先、1000年先であっても本を保護しておける設備。

 本好きの人間が後世に向けて成せる貢献、蔵書の完璧な保管のための設備だ。


「すごい……全部注文通りになってる! 見てください、この長テーブル! これ欲しかったんですよ~!」


 大喜びでサシャがテーブルの天板を撫でている。

 長大な木材を多数組み合わせて作られた、巨大な長テーブルだ。

 縦およそ60センチ、横が12メートルほどだろうか。大変に長い。

 天板の高さがなかなかのもので、座って使うには高過ぎる。立って使うテーブルのようだ。


「古い本は巻物形式のものが多いですからね。ばさーっと広げたまま読めるテーブル……! 本好きには欲しくてたまらない逸品です!」


 なるほど、そう言う用途のためらしい。

 ああいう巻物は普通、膝の上などで広げて読むものだが。

 やはり楽に読むには、テーブルの上に広げた方が楽なわけで。


「こっちのデスクも最高です! ほらほら! 見てください! このデスクランプもすごいですよ!」


 広々としたデスクは書き物用のようだ。

 広い天板の上に資料を広げながら、なにがしかの書類作成ができる。

 備え付けの銀製のデスクランプからは魔法の気配を感じる。

 でっぱりを捻ると、シャッターが開いて明るい光が放たれる。

 どうやら内部に『持続光』の呪文がかけられており、シャッターで遮光しているらしい。


「この机で、私の自伝を書くんです! えへへ、昔の本も写本したり、編纂したり……!」


 夢見るサシャの眼には熱っぽい色が浮かんでいる。

 本好きが夢に見る、自分だけの専用の図書館。

 そんな空間を前にしては、誰だって興奮もするだろう。

 あなたはサシャの肩に手を置いて、よかったねと笑いかけた。


「はい……! ご主人様、ありがとうございます! 大好きです!」


 そう言ってあなたの胸に飛び込んで来るサシャ。

 ぴこぴこと揺れるケモ耳を感じながら、あなたはサシャを抱き締める。

 大きくなったサシャの体と、前よりも少し変わった体臭。

 けれど昔と変わらない、一番キモチイイところや、鳴く時の声音をあなたは知っている。

 あなたはサシャを抱き締め、部屋にいかない? と囁いた。


「はい……うれしくて、うれしすぎて、私ヘンになっちゃいそうなので……イイコト、しましょ?」


 そう笑うサシャ。今日は可愛がらせてもらえるようだ。

 クロモリを散々嬲り倒しているので、加虐の欲望が満たされているのかもしれない。

 ならば、存分に可愛がり、蕩けさせてやらなくては。


 強くなり、体力もついたサシャの戦いは長丁場になる。

 まだ昼だが、夜になっても早々決着はつくまい。

 朝までコースになるだろうが、あなたは覚悟はできている。


 今夜は眠れないな!

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