第4話

 翌朝、巨大な狼の死体に女中たちが驚いたりと一悶着あったが、問題なく旅程は続いた。

 そして、昼前には町へとたどり着くことが出来た。


 この町の名は、スルラと言うらしい。

 畜産が盛んで、よく肥えた豚が名物とのこと。


 あなたの眼前にある町の規模からして、大都市と言って差し支えない。

 しかし、あなたにとってはまるで覚えのない町の名である。

 エルグランドの町の全ては把握しているつもりだ。それでいてこの町に覚えがない。


 つまり、ここはエルグランドではない。


 ようやく違和感の正体に気付いたあなたは、同時に少し失敗したなとも思った。

 ここはエルグランドではない。よって、死者が3日と経たずに蘇って来るということもない。

 つまり、昨晩ぶっ殺してしまった狼が蘇って来るということは無いのである。


 少し惜しいことをした。まぁ、あくまでも、少し、だが。




 興味が無かったので、ファーストネームだけ覚えていた貴族の少女はアイリと言う。

 アイリはこの町に伝手があったらしく、どこかにアポを取ると、あれよあれよという間に事態は進行していった。

 それはそれは立派な邸宅に招かれ、それはそれは豪勢な歓待を受けた。

 この町にアイリの父親が居たらしい。そして、父親は愛娘を救ってくれたあなたを無碍にはしなかった。


 冒険者に対しては格別と言って差し支えない計らいであるが、あなたは特になんとも思わなかった。

 貴族の邸宅に招かれて歓待を受けるなど別に珍しくもない。あなたにとっては日常の風景である。

 招かれる理由は様々だが、普通は実現不可能な依頼を達成したとか、あなたの技術を見込んで教師として招かれたりなど様々だ。


 だからと言って、こんなもの見飽きたよ、などと言って歓待を無碍にするわけでもないが。


 それ相応に感謝したり、感動しているような様を見せて、それなりの態度は見せた。

 貴族を敵に回すのは面倒臭いのだ。なにしろ一族が多い場合が多く、根絶やしにするのが面倒だ。


 そして、いよいよあなたの待ち望んでいた、奴隷商への案内が為された。

 あなたは大興奮だ。獣人の他にも、あなたが見たことのない種族がいるかもしれない。


 だが、その前にあなたは両替商への案内を頼んだ。

 あなたはエルグランドの通貨の持ち合わせはあるが、この地の通貨の持ち合わせはない。


 エルグランドの通貨は信用貨幣ではない。国家がいつ崩壊するかまるでわかったものではないので仕方がない。

 なにしろ、エルグランドにはあなたを含め、単独で国家を崩壊させてしまう超人がいるのだから。


 そのため、通貨の全ては金貨、銀貨、銅貨と言った本位貨幣であり、額面通りの価値を持つ金属を含む。

 この辺りの貨幣がどうなっているかは不明だが、実質価値を持った本位貨幣であれば両替など容易いだろう。


 結論から言うと、なんら問題はなく両替は出来た。

 ただ、問題は起きた。なにかって、量が多過ぎた。


 あなたはエルグランドの通貨を、大変便利な『ポケット』の魔法から取り出した。

 『ポケット』とは異空間に物体を保管する魔法であり、エルグランドの冒険者のほぼ全てが会得している。

 この魔法は体積や数に左右されずに物を持てる利点がある……が、残念ながら質量までは打ち消せない。

 そのため、重量的制約は変わらずに存在するのだが、ただ1つの例外として、通貨だけはこれの例外である。


 なぜ通貨だけ例外なのかと言えば、金銀銅と言った決まった物質が用いられるからである。

 つまり、通貨が例外と言うより、金銀銅と言った通貨に用いられる金属だけ質量的制約から免れているのだ。

 莫大な財貨を安心して持ち歩けるように、『ポケット』の魔法を創り上げた賢者が骨を折ったのだろう。


 であるからして、手ぶらのように見えて、あなたはいつだって莫大な財貨を持ち歩いている。

 あなたが取り出したのは、エルグランドで普遍的に用いられる貨幣、エルグランド金貨1億枚だった。

 この全ての両替を頼んだのだが、それほどの正貨の持ち合わせがないと悲鳴を上げられたのだ。


 そこで知った事実として、この地において金貨の価値は極めて高かった。

 この地では、あなたが両替を頼んだエルグランド金貨1枚で、エールが樽で2つ買えてしまう。

 チーズなら200キロ、立派な食用の豚なら5~6頭、高級なワインですら瓶で5本は買えてしまうとか。


 エルグランドであれば、金貨1枚でパンを買おうとすれば、乞食扱いされて追い出される。

 エルグランドで一般的なサイズのパンは、大体だが金貨40枚前後はする。

 錬金術とは金ではなく、金からパンを作ってそれを売ることだと真剣に論じられる程度に金の価値は低い。

 と言うか実際に金からパンを錬成する錬金術も存在するので、金からなにかを生み出す技術が錬金術と思っている人間は少なくない。


 そんな具合であるから、あなたが求めた両替に応じられる両替商は存在しなかった。

 仕方なく、ほどほどの額を換金してもらい、ようやくあなたは奴隷商へと向かった。


「これはこれは、ようこそおいでくださいました。本日はどのような?」


 女中の一人に先導され、アイリの父から預かった紹介状を渡すと、奴隷商はそれはそれはにこやかな表情であなたを歓待した。

 商売人らしいというべきか、金払いがよさそうな客を見抜く目端が利くのか、それは分からない。


 あなたは奴隷商に、獣人の奴隷が欲しい、金に糸目はつけないと告げた。

 すると、奴隷商は我が意を得たりと言わんばかりに胸に手を当てて恭し気に頭を下げた。


「当店で最高の奴隷をご用意させていただきます。どうぞお寛ぎください」


 そうして、広い応接室で少しばかり待たされると、奴隷商が幾人かの屈強な男を伴って戻って来た。

 同時に、奴隷商が連れて来たのは、あなたが要望した通りの、獣の耳が生えた人間、獣人たちだった。


「これらが当店が現在抱えております獣人でございます。気に入ったものはございますか?」


 その前にと、あなたは確認を取った。


 この国において、奴隷の扱いとはどのように定められているのかと。

 エルグランドにおいて、奴隷とは生殺与奪の全てを握られる存在である。

 この地においてそうではなかったとすれば、エルグランドと同じことをすれば違法である可能性が高い。

 あなたは法を重視してはいないが、好き好んで踏みにじろうとするほどの反骨精神は無いのだ。


「それはもちろん、奴隷は生殺与奪の一切を握られたものでございます。ただ、一点。主人権を濫用した故意の奴隷の殺害は殺人罪に問われる可能性がございますので、その点はご注意ください」


 信教の自由ですら奴隷には認められないという認識でよいのか。

 その点を尋ねると、奴隷の心を縛れるか否かは主人にかかっている、とのことだった。

 強制自体は問題ないが、それに奴隷が頷くかは国家が関知することではないということだ。

 あなたはよく理解したと告げると、商品の紹介を奴隷商へと頼んだ。


「では、左の者から順に。男の獣人、年齢は24歳と申しております。剣技に長けており、力もあります」


 買うかどうかは全員見てから決める。そのため、あなたは続きを促す。


「2番、男です。年齢は16歳とのことです。槍の扱いに長けると称しておりますが、確認は取れておりません。鍛えられてはいます」


 たしかに多少屈強そうであるが、見た目からわかる強さになど興味はない。

 見た目と強さに相関がまるでないのはエルグランドの冒険者の特徴である。

 あなたも外見的には全く強そうに見えない、小柄な少女に過ぎないのだ。


「3番、女です。年齢は20歳あたりです。素手での戦いに長けるとのことです。容貌も美しく、当店の目玉商品です」


 なるほど、たしかに容貌はよい。ここまで案内してくれた獣人の女中、カミラよりも外見は美しい。

 少なくともあなたの眼にはそう映るし、カミラもそう感じるのか、見た目の美しさに羨まし気な顔をしている。


 すらりとした肢体はしなやかな筋肉に覆われており、敏捷性にも優れていそうである。

 鍛えればものになりそうな気配をひしひしと匂わせている。


「4番、男です。年齢は40歳ごろ。年嵩ですが、傭兵団で活動していた経歴の確認が取れております。戦闘の巧者ですので、兵士として扱うなら抜群でしょう」


 悪くはないが、見た目が。

 ブサイクと言うわけではないが、男臭すぎるというか。

 ハンサムかと言うとハンサムなのだろうが、イケメンかと言われると絶対に違う感じだ。

 少なくとも、積極的に仲間にしたい外見ではない気がする。


「5番。女です。年齢は10の半ばくらいだそうです。これと言って得手とするものはないそうですが、字が読めます」


 その注釈にあなたは一瞬眉をひそめた。

 字が読める、とわざわざ断ったということは、他の奴隷は字が読めない可能性が高い。


 字が読めない相手と言うのをあなたはうまく理解ができない。と言うより、想像の外にいる存在だ。

 エルグランドの識字率は大して高くはないが、冒険者の識字率は極めて高い。

 最底辺の冒険者はともかく、冒険者として生業を立てられるようになった者なら教育を受けるくらいは簡単だ。

 そして、その教育を怠った冒険者は大成出来ない。字が読めなくてはろくに依頼も受けられないから当然だ。


 と言うより、冷静に考えてみると、この近辺の文字はあなたでも読めないかもしれない。

 少なくとも初見で読み下すことは無理だろう。ある程度は勉強する必要があるはずだ。


「6番、女です。年齢は50から60歳程度。老人ですが、獣人に伝わる伝統工芸を身に着けております。技能奴隷ですね」


 興味がない。あなたの興味は常に冒険にある。技能奴隷が役立つとは思えない。

 技能が役立たないというわけではなく、戦えない者はどれだけ有用な技能があっても足手纏いだ。

 最低でも自衛はしてもらわねばならないのだから、それは当然のことと言ってもよい。


「今のところ、当店で抱えております獣人の奴隷は以上となります。気に入った者はございますでしょうか?」


 あなたは字が読めるのは5番だけかと尋ねると、主人はいかにもその通りと答えた。

 あなたは少し考えた後、5番を買うことに決めた。


「5番でございますね。字が読める以外はただの小娘ですので、大変お安くなっております。金貨5枚ほどでお譲りいたしましょう」


 あなたは金貨50枚を叩きつけた。あなたは交渉の技術も弁えている。

 その一方で、誠意とは金額であることもよく弁えている。

 相手の言い値で買うのは下策であり、値切らないのならば気持ちを添えなくてはならない。

 これからもよい取引をするならば、こういった誠意はとても大事なことである。


「とてもよい取引をさせていただきました。今後ともぜひご贔屓ください」


 奴隷商も弁えたもので、あなたが出した金貨をなにも言わずに受け取った。

 奴隷に身支度をさせるとのことで、一度奴隷を戻し、その間にあなたは歓待を受けた。

 奴隷商に出来る、最大のもてなしだったのだろう。その誠意は正しく受け取り、あなたは歓待してくれた者たちにも気前よく金貨を振舞った。

 将を射んとする者はまず馬を射よ、と言うわけではないが、下の者の覚えをよくすることも大事だ。

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