38話
あなたは目を覚ました。
埋もれていた毛布から身を起こし、首を巡らせる。
テント内は穏やかな空気に満ちている。
暖かくはないが、寒くもなく、換気の悪さからくる淀みも感じない。
寝起きのぼんやりする頭で不思議がっていると、パチパチと火の弾ける音がする。
あなたがテント中央に目をやれば、そこには焚火が燃えていた。
その傍らには、半目で火を見つめるレウナの姿があった。
テント内の空気が淀んでいなかったのはレウナのお蔭だったらしい。
火を焚いているお陰で酸素が消費され、外から空気が流れ込んでいるわけだ。
あばら家で暖炉の火を強くするほど隙間風が強くなるのと同じ理屈である。
レウナと目線が合うと、レウナがくいっと顎をしゃくった。
その先には、放射型に整えられた焚火があり、そこにはケトルがあった。
今までの度重なる使用によく焼きの入った渋いケトルからは湯気が上がっている。
どうやら、火を焚くのみならず、お湯も沸かしておいてくれたらしい。
あなたは他の仲間を起こさないよう気をつけつつ、暖かい湯でお茶を淹れる準備に入った……。
暖かな湯でお茶を淹れて、それで人心地つく。
寒い朝にじんわりと温まる暖かい飲み物は至上の甘露だ。
しみじみと熱を味わいながら、あなたは朝食の支度をはじめる。
鍋にどっぷりとひまわり油を注ぎ、それを熱する。
そして、この冒険に出る前に用意していた揚げパンの種を取り出す。
それをよく温めたひまわり油に投じ、じゅわじゅわと揚げる。
テント内に油の香りと、パンの揚がる暴力的なまでに旨そうな香りが立ち込める。
あなたはこれは辛抱たまらんなと思わず笑った。腹が空いてきた。
やがて、揚がったパンをトングで拾い上げ、網の上で脂を切る。
ほどよく油が切れたところで、あなたはそれをレウナへと差し出す。
レウナがそれを受け取ると、静かに頭を下げてきた。じつに律義だ。
「あつっ……!」
ざくりと齧りつくと、熱がふわりと弾ける。
それに思わずレウナが呻くも、次に溢れ出した濃厚な甘みに戸惑ったような顔をする。
揚げパンの中身は、たっぷりの砂糖を使ったリンゴのコンポートだ。
濃厚なバターの香りがたまらない、朝にうれしい甘くておいしい惣菜パンである。
「ふむ、これはこれで……」
予想外ではあったが、口にはあったらしい。
あなたは続々と揚げパンを揚げていく。
仲間たちがもぞもぞと蠢いて、起き出そうとしているのが分かる。
朝ご飯をおなか一杯食べて、身も心も充実させて冒険を続けよう。
寒い時にはカロリーを取るに限る。朝から揚げパンを食べて頑張って欲しい。
ボリュームたっぷりの甘くて美味しい揚げパンを食べ、食休み。
暖かいお茶を飲みながらゆっくりと腹をこなれさせたら出発だ。
今回のルートは、素早く移動できる峻嶮なルートだ。
そこを『水中呼吸』の呪文で高山病を克服しつつ、各種飛行魔法で無理やり登る。
魔法がなければ登るのは無謀なほどに厳しいルートなだけに、敵はまずいない。
その分だけリソースの消費が激しいわけだが、それはさしたる問題ではない。
どうせ、5層から6層に辿り着くまでに2回か3回は野営が必須だ。その野営で魔力は回復する。
あなたたちは峻嶮なルートを素早く強行突破していく。
やがて、半日経たずにあなたたちは4層『氷河山』を突破する。
何の収入も成果も得られないが、早さは正義だった。
5層『大砂丘』に到達。
そして、あなたたちはひとまず野営を始めた。
極寒の山から、突如として平地の砂漠に来たのだ。
環境の激変は肉体を蝕むので、まずは汗を流して体を慣らすに限る。
そうして体を慣らしたら、6層へと向けて出発だ。
この階層は広々として、方向を見失い易い以外は難所と言えるものはない。
出現する敵も、時折ラセツ・アヌシャラがいるくらいだ。
意図してラセツの宮殿に突っ込まない限り、敗死必定の難敵と会うことはない。
まぁ、だからと言って、この階層が容易と言うわけでもないのだが。
この広大な砂漠で方角や道筋を見失えば、そのまま砂漠の塵になる。
そのあたりは魔法で補えこそするものの、精神的にいろいろとキツイ階層なのはたしかだ。
魔法と言うリソースが潤沢なEBTGだからこそ容易な階層なのである。
そして、あなたたちは特に山も谷もなく5層を踏破した。
一応マンティコアに遭遇したが、レインが雑に『火球』で薙ぎ払ってオシマイだった。
「なんだかここまでなんの波乱もないわね。悪いことの前触れじゃないか不安になるわ」
6層の入り口を目前にしての野営で、レインがそんなことをぼやく。
行こうと思えばすぐ6層に行けるが、あえて5層で野営をしてから進むことにしている。
6層はモンスターがいないのである意味で快適ではあるのだが。
熱気林と言う環境そのものが快適ではないので、まだ砂漠の方が過ごしやすい。
まぁ、そのあたりは急ぎながらも安定を取った妥協の選択肢と言うわけだ。
6層は低いとは言え、バラケの出現の可能性もあるので……。
「私は迷宮と言うものの経験がほとんどないので分からんのだが……これほど順調にはいかないものなのか?」
イミテルの疑問に、フィリアが困ったように笑いつつも応えた。
「私たちは複数回挑戦して、ここまでの行程はいくつかこなしていますから。順調なことに不思議はないですよ」
「ふむ?」
「まぁ、いいことの次は悪いことが起きると言う迷信みたいなものですね」
「上手く行き過ぎて不安になっているということか。たしかに、順調に行っている時ほど物事は見直すべきではある」
「そうですね。何かあってからでは遅いですし」
警戒し過ぎて臆病になってもいけないが、警戒しないのも問題である。
そのあたりのさじ加減は、いずれ覚えることだろう。
まぁ、覚えない限りは酷い目に遭い続けるので、無理やりにでも覚えさせるが。
イミテルもこれからひどい目に遭って覚えてくれるだろう。
6層、『熱気林』へと突入する。
空気に重さすら感じるほどの湿気に満ちている。
生物の息吹を全く感じられない、静まり返った森。
聞こえるのは風に揺れる草木の音と、水のせせらぎのみ。
生物の鳴き声、物音、それらは感じ取ることができない。
「相変わらず気味が悪い」
吐き捨てるようにレウナが言う。
あなたもあまり愉快な気持ちにはなれずに頷く。
べつに生命がいないことが気に食わないとかではなく。
明らかに普通ではない環境なのが不気味なのだ。
手早く7層『岩漿平原』まで行くとしよう。
あなたは音頭を取って、素早く移動することとした。
そして、『熱気林』を数日かけてさしたる波乱もなく突破した。
敵がいないので苦戦する余地もない。当たり前ではある。
7層『岩漿平原』。
赤く燃える岩漿がぐらぐらと煮え爆ぜながら流れていく。
立ち上る熱気は顔を顰めたくなるほどにキツイものだ。
「自分で『空白の心』を使える……こんなにうれしいことはないわ……」
その熱気の中、感動に打ち震えるレイン。
この階層に突入する前に、『空白の心』は既にかけてある。
以前は1回あたり金貨300枚。あなたとレウナを除いても3人にかける必要があった。
そして、今回はイミテルもいるので4回必要で、金貨1200枚の節約である。
喜ぶのも当然と言えばそうではある。
金に困っていないあなたからすると苦笑したくもなるが。
普通ならばにっちもさっちもいかなくなるほどの大金だ。
それを節約できた意義は大きいだろう。レインの精神安定のためとか。
まぁ、その分だけレインの魔力は多大に消費してしまっている。
レインの戦闘力低下を看過し得るか……そう言う問題だ。
この階層ではバラケを薙ぎ払う火力が必要なので、やや頭の痛い問題ではある。
「タダで使えるようになったとはいえ、もたもたしてちゃ効果時間がもったいないわ。さぁ、行きましょ」
「ああ、うむ。なんだか妙な感じだな……普通なら怯えても仕方ないのだが、まるで怖くない。そのことについて怖いともあんまり思わんのだ。気味が悪い」
イミテルがそんなことをぼやく。
まぁ、予防効果として用いているからいいものの。
人間の精神に作用して、感受性を操作しているのは確かだ。
正負が違うだけで、洗脳となにが違うのかと言う話である。
ぽつぽつと点在する飛び石を飛び移ってあなたたちは進む。
バラケとの遭遇を警戒して、足取りはゆっくりとしたものだ。
出会った場合、迂回できそうなら迂回し、無理ならば殲滅する。
基本的には殲滅を主軸として立ち回ることとなっている。
迂回しようとして失敗し、さらに討ち漏らしてしまえば大惨事の可能性も否めない。
リソースの消費こそ激しくなるものの、殲滅を志向してしかるべきだろう。
幸いにも、7層はさほど広い階層ではない。
そのため、力づくで進んでも、リソースが尽きるより早く突破可能だ。
尽きても突破できてなかったら、まぁ、その時は諦めてもらうとして。
「……諦めてもらう?」
つまり、バラケにムシャムシャ食われるのは覚悟しようとそう言うことだ。
最悪、フィリアさえ生き残ればそれでなんとかなる。
肉体が残っていなくても、魂さえ無事なら蘇生可能である。
まぁ、そのためには莫大な蘇生費用がかかるが……。
「……あ、あまり懐に余裕があるわけではないのだが……我が鼓動よ、妻の化粧料を出すのは夫の役目だな?」
ツケとく。あなたはイミテルにそのように答えた。
まぁ、夫婦となれば財産は共有物と言ってもいいのかもだが。
少なくともあなたとイミテルは今のところまだ婚姻関係ではないのだ。婚約はしているが。
「ぐぅ……肉体無しでも蘇生可能となると、最高位の蘇生魔法であろうが……金貨にして2000枚超えの触媒が必要になるのだぞ……!」
「そう言われてみるとすさまじい額ですよね……」
「よほど金回りのいい貴族でもないと、余裕で家が傾く出費だものね。ザーラン伯爵家なら1発で破産よ」
「私たち、そんな額が楽々飛び交う世界で生きてるんですね……」
「そうね。消耗品に金貨ぶち込めるほど、金回りはよくなったわ。それにつけても金は欲しいけれど」
「あはは……あって損はしないですからね……」
そんな雑談を交わしながら、あなたたちは進む。
バラケの特性は脅威ではあるが、対処が困難なわけではない。
先に見つけられれば、あるいは襲撃をきちんと察知できれば。
それを退けることはそう難しくはないので、ある程度は安心できる。
あなたたちは幾度かあったバラケの襲撃を撃退しつつも、8層へと到達した。
8層は奇妙なくらいに澄んだ、人工感のある空気に満ちている。
未だ正式な名前の決まっていないこの階層は、どこもかしこも人工物の気配に満ちている。
息の詰まるような、あるいは人の領域にやって来たような。
なんとも言えない心地になりながら、あなたたちはここが初見のイミテルに説明をする。
「なるほど、玄室型の……つまり、部屋の中に敵がいるので、それを撃破して進むという……まぁ、分かりやすく腕っぷしが問われる階層と言うわけだな」
「そうね。実力さえあればなんとでもなるタイプの階層ね」
「腕試しに使われやすいタイプの迷宮ですね。さすがにここまでくると腕試しで来る人はいないと思いますが……」
「ここの敵については……」
レインが以前に戦闘したドラグーンと謎の人型について説明をする。
最前で戦ったサシャも説明をするが、あなたはその辺りの説明はしない。
あなたは他のメンバーとは感覚が乖離しているので、肌感の説明があてにならない。
下手に判断を惑わしてもよくないので、感覚の近いメンバーに説明を任せるのだ。
そうして話し込んでいる間に、あなたは食事の準備を始めた。
そして同時に、野営のために、きちんとした寝床を設えはじめた。
玄室型の迷宮のよいところは、戦闘のタイミングが自由だと言うこと。
ここで悠長に野営をしたところで襲われる心配がないのだ。
ぐっすりと熟睡することが許されるし、寝坊してもいいし、飲酒も許容できる。
連日の冒険で溜まった疲労をしっかりと抜いてから挑みたいところだ。
量はしっかり取りつつも、あっさり食べれる食事にするとしよう。
シンプルにスープとパン、そしてメインディッシュに肉のローストあたりだろうか。
お腹いっぱい食べて、節度を守って飲み、ぐっすりと眠る。
明日は間違いなく連戦がある。
その連戦を乗り越えて勝利するには十分な休息が必要なのだ。
そして、十分に鋭気を養って挑む必要がある。
あなたはデザートにパフェでも作ってやるかとフルーツの準備もするのだった……。
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