33話
午睡の後、あなたは特に何と言うこともなく1日を過ごした。
たまには何もせずにぐうたらする日があってもいい。自由とはそう言うものだ。
部屋でクッキーとお茶を片手に、だらだらと本を読み耽る。そんな日があってもいい。
あなたが読み耽っている本は、サシャに買い与えた本だ。
サシャに買い与えたものではあるが、サシャは仲間たちに快く本を貸し出している。
まぁ、絶対に読ませないと独占してなにか得があるわけでもないし、自然なことと言えばそうであるが。
あなたが読み耽っている本は、いつぞやの時代の戦記である。
この大陸の地理や歴史をさっぱり知らないあなたにはよく分からない部分が多い。
それでも読んでいるとそれなりにはおもしろいものである。
この手の戦記と言うのは実のところ、かつての名将の取った戦術や秘策などが記されている。
そのため、そうした生業に就く者にとっては垂涎の品となることもある。
より詳細な、兵法書の類となると、特定の家系にのみ受け継がれているなんてこともあるものだ。
知とは力であり、立場や地位ある者にのみ与えられるものである。
あなたにしてみれば力とは純然たる武力であるから、その手の不文律を守るつもりがない。
どれほど素晴らしい戦略と戦術を以て挑んでも、雑兵100万対あなたでは、あなたの方が勝つ。
とりあえずドゥーム・スペルを2~3発ほど打ち込めばそれで勝利だ。疲れる余地もない。
くぅ~、疲れませんでした。これにて滅亡です! などと煽るくらいの余裕だってあるだろう。
「サシャって、どうして本が好きになったの?」
「ええと、読み書きを教わった先生が本好きだったんです。それを色々読ませてもらって……」
「へぇ。裕福な人だったのね」
「いえ、そんなに裕福ではなかったですね。御病気を患ってる方だったので……」
「ああ、外に出るのも難儀する類のね……書痴だから患ったって線もありそうだけど」
あなたもエロ本の収集には余念がないので、一応は書痴になるのだろうか。
積読など1冊たりとも作らない。手に入れた以上は1回は使う。それがあなたの信念だ。
「でも、サシャの読み書きは完璧だし、いい先生に当たったのね」
「そうですね……変わった方でしたけど、とてもいい人でした。薬師もされている方だったので、信頼の篤い人でしたし」
「本をたくさん読ませてもらえただけでも、滅多にいないほどいい先生だったと思うわよ」
「それはまぁ、たしかにそうですね……本って高いですから……」
本を収集できたと言うことは、スルラの町には書店があったのだろうか。
そう言えばスルラの町の住人であるサシャは、書店は見たことがあると言っていた。ならばあるのだろう。
後々、ブレウの勧誘に出向いた際には書店に立ちより、サシャに本を買い与えてやらなくてはいけないだろう。
あなたはサシャを甘やかすことに余念がない。
「あ、本と言えば……ご主人様、ウカノ様の聖典ってないんですか?」
聖典。たしかにそう言ったものはある。
だが、ウカノは数多の神々が存在する神話体系の中の一柱である。
そのため、ウカノにだけ絞った、というような聖典の類は存在しない。
「そうなんですか?」
「神様なのに聖典がないなんて、そんなことあるの?」
レインもサシャも疑問そうだし、フィリアも不思議そうにしている。
だが、これはウカノの属する神話体系に対する理解がないと分かり難い感覚だろう。
ウカノが属する神話体系の神々はあまりにも膨大であり、神話体系そのものの理解こそが重要なのである。
ウカノの属する神話体系はアニミズムの価値観に根差している。
そのため、ありとあらゆるものに魂があり、神が宿るとされている。
つまりは剣の神もいれば、草の神、なんなら便所の神、米の神、麦の神だっている。
その膨大な神の存在を前提とするがゆえ、やおよろずという言葉までもがある。
八百万と書いてやおよろず。それほどまでに神がいるとされているのだ。
「な、なるほど……そう言う宗教観もあるのね」
「でも、ウカノ様は豊穣の神様なんですよね?」
だから大事なのでは? とサシャは疑問そうだが、特にそう言うことはない。
どちらかと言えば、福徳の神として信仰される七柱の神などの方が知名度は高いのではないだろうか。
あと、太陽信仰に近い考え方もあったため、主神である太陽神信仰が強かったように思う。
「はぁ……七柱の神、ですか」
福の神、破壊神、福禄寿の三要素の神、武神、神官、長寿の神、芸術学問の女神。この七柱である。
「……破壊神は福徳の神なの?」
なんでそうなのかはあなたも知らないが、そうだと言われている以上はそうなのだろう。
「というかお姉様、人間が混じってませんか、それ」
たしかに人間が1人混じっている。
だが、神として信仰されている。
なら、神だ。
「ええ……」
「ざ、雑……」
「人を神として信仰するのは不敬なのでは……」
そんなこと言われてもあなたには分からない。
そうだとされている以上はそうなのだから、仕方がない。
それに、神とはそう言うものだとあなたは思っている。
元から神として生まれたわけではないものもまた、神となる。そう言うものだ。
「お、思った以上に柔軟と言うか、複雑な宗教なんですね」
「柔軟通り越して雑になってない?」
「う、ううーん……」
全員微妙な顔をしたが、なにか文句があるなら相手になってやるのでかかってこいと宣言した。
この場合の相手になるというのは、論争から宗教戦争まで全てを含んだ宣言であった。
あなたは基本的にウカノの狂信者であり、その信仰を汚す者は絶対の怨敵として許すことはなかった。
ウカノの信仰を汚すというのは、神話体系そのものへの愚弄であり、逆もまた然りである。
その神話体系に文句があるというなら徹底的に相手になるまでのことである。
「ひえ」
「な、なにもないわ、ええ」
文句があるなら聞きたかったのだが。あなたはちょっと残念になった。
解釈違いだと言うのならば、その解釈に至った経緯を詳しく聞きたい。
信仰の在り方は人それぞれであり、またその解釈も人それぞれである。
その数多の解釈を知ることで、神々への理解を深めることができる。
あなたは少なくともそう思っている。
まぁ、解釈に関しては神に対して直接聞けば答えが分かるというのもたしかなのだが……。
しかし、その言葉の意図を深く考察し、悩むという行いにこそ信仰の在り方が問われるのだとあなたは思っている。
無遠慮に「神様そこまで考えてないと思うよ」などとほざく輩は血祭りである。
「……お姉様って、割と神学者寄りの考え方なんですね」
というより、この神話体系がそもそもからしてそう言う性質の強い宗教なのだ。
無数にある法典、経典、聖典には数多の矛盾事項があり、それを如何に解釈し、消化するか。
と言うか、この神話体系は少なくとも3つの神話体系を習合することによって成立している。
そのため、矛盾するのは当たり前であり、むしろ矛盾のない解釈をする方が不自然である。
そこにどのように折り合いをつけ、自身の信仰をいかに形作るか。そう言った性質が元からあるのだ。
「ははぁ、考えることが前提の教えで……その考えも、矛盾して決して正しくはならない……凄く複雑ですね。だからそうなってしまうと……」
長きに渡って数多の法典、聖典を読み漁って勉強したあなたでも分からないことが無数にある。
あなたからちょっと聞いただけで、全てを理解するというのは無理無謀と言うものだ。なにしろ話してる当人が理解できてない。
「んんん……もしかして、ウカノ様の信仰を知るためには、神話体系そのものを勉強しないといけない……んでしょうか?」
あなたは頷いた。べつにウカノを信仰するだけなら、ただ信じればよいのだが。
しかし、ウカノの信仰を知ろうというならば、まずその前提となる神話体系そのものを知る必要がある。
あなたは知りたいなら教えるつもり満々だった。
「えと、はい。ぜひ」
「後学のために、私も聞いていいですか?」
フィリアも知りたいようだ。あなたは快く受け入れた。
レインも席を離れる様子はないので、聞くつもりのようだ。
あなたはとりあえず神話体系をあなた自身が編纂した本を取り出した。
1冊あたり400ページほどの大判の本が6冊である。
これを読めば、ウカノが属する神話体系のおおよそを理解することが可能だ。
「へぇ、割と少ないのね」
「おおよそ、なんですね」
もしも完璧に理解しようというなら、生涯を捧げる覚悟が必要だろう。
また、完璧でなくとも、とりあえず全て覚えようというのでも年単位が必須だ。
ウカノの神話体系は複数の宗教が融合して出来ている。
多大な影響を与えている宗教の1つを理解するだけで何十年とかかる。
重要な経典とされている、上位存在になるための修行法を説いた経典。
これは時代によって複数存在するが、最も後期のものとなると600冊にも及ぶ書からなる。
通読するだけでも数か月、あるいは年単位が必要となるだろう。
「ろ、600冊……」
「で、でも、それを読めば、大体理解できる……んですよね」
あなたは首を振った。この600冊を読んで理解できるのは、その教えを信ずる者が成すべき修行方法を知れるだけだ。
もちろん、その修行を通じて到達点へと至るのであるから、ある意味ではそれがすべてと言えるのだろうが。
しかし、その宗教を知ろうと言うならば、過去の聖人たちの行いや言行、その考えまでも理解する必要があるだろう。
そうなると読むべき書の数は指数関数的に増大すると言っても差し支えない。
「ちょっと想像を絶してたわね……」
「それをこの6冊にまとめたんですか……」
まぁ、そこまで複雑な部分は取り込まれていないというか、独自解釈で取り込まれているというか。
ともあれ、少なくともウカノの属する神話体系を理解する分にはこの6冊を読み込んでいけばなんとかはなるだろう。
ただ、問題があるとすれば、これはエルグランドの言語で記されていることだ。
「あ、そっか。ご主人様、最初はこのあたりの読み書きできませんでしたもんね」
「そうだったの?」
あなたは頷いた。
興味があるならエルグランドの読み書きも教えてもいい。
いずれ必要になるが、今のところ必要ではないので、そこまで教えることに意欲はない。
なに、どうせエルグランドに移住したら必要に駆られて覚えるようになる。
「ううん……さすがに、そのためにもう1つ言葉を覚えるのは……」
まぁ、気長に覚えてみてもいいのではないだろうか。
覚えておいて損はしないことを保証する。
「そうですか?」
なぜならサシャとフィリアは絶対にエルグランドに連れて行くつもりだからだ。
その辺りのことは口にせず、あなたの手持ちの本の類を読むなら必要だからと答えた。
あなたが持っているのは色んな意味で実用的な本ばかりだが、当然全てエルグランドの言語で書かれている。
サシャとフィリアに教えている複数の技術に関する専門書などもあるため、読めて損はない。
「でも、覚えるのに何か月もかかりますよね」
あなたは頷いた。1つの言語を覚えるのに1週間足らずで終わるのは普通ではない。
あなたの場合、鍛えに鍛え抜いた頭脳と肉体のお蔭で無理やり覚えられただけだ。
あなた以外が覚える場合、やはり何か月もかけて覚えることになるだろう。
「う~ん……まぁ、暇があれば……」
サシャの反応は芳しくはない。
あなたはそれもいいだろうと頷いた。サシャは今、複数のことを覚えている最中だ。
同時に幾つものことを教えても、全部中途半端になる。1つ1つに絞った方がいい。
肉体を扱う技術なら同時に複数覚えても、反復して行くうちになんとでもなる。
だが、頭で覚えなくてはならないことは、複数同時に進行させるとこんがらがるだけだ。
今のところは、サシャに読み聞かせなどしてやってもいいかもしれない。
あるいは、あなた自身の時間が取れるのであれば、こちらの大陸の言語に翻訳してもいい。
まぁ、どうにせよ、今はヒマな時間などないのであったが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます