4話
あなたたちは煮え滾る平原を往く。
前回と違い、バラケの出現する気配もない。
見た目こそ異様な存在だったが、生命であることに違いはないので気配はあるのだ。
「バラケ、か」
レウナが思わずこぼれ出た、と言った調子でつぶやく。
あなたはなにか思うところでもあるのかと尋ねた。
「ああ、まぁな。我が神の仰る巨悪とは、もしやバラケのことなのだろうか、と思ってな」
可能性がないとは言わないが、さすがに違うのでは。
まぁ、たしかに迷宮内に居ることを思うと、その可能性は否定できないが……。
しかし、あんなもんで巨悪と言えるだろうか。
あんなもの、大した知能も知性も感じさせない捕食能に秀でただけの肉塊だ。
「うーむ……まぁ、そうなのだよなぁ……」
外の世界にあんな妙な生物がいるとは思わないが、異次元にならいると聞く。
別次元と言うもの自体、あなたはそんなには詳しくはないのだが。
ごく普通にこの世界と似通った、いわば普通の異次元もあれば。
常識も何もかもが致命的なまでに異なる異様な異次元も存在するという。
向こうからすれば、こちらの方が異様な異次元に見えるのだろうが……。
そうした異次元にならば、バラケのような異常な存在もいるのだろう。
そして、ウーズやリーチと言ったモンスターの方が異次元では異常に見えるに違いない。
バラケとはそう言う存在ではないか、というのがあなたの推論だ。
「まぁ……そう、だな」
不安そうな顔をしながらもレウナがひとまず納得したようにうなずく。
不安を無理やり飲み下したような、そんな落ち着かなげな顔だったが。
煮え爆ぜる岩漿の海を飛び越えて進む。
そして、時折現れるバラケを適宜薙ぎ払っていく。
バラケの肉体的性能は低く、ただその捕食能力がおぞましく高い。
しかし、魔法の効果により冷静かつ冷徹となったEBTGの対処は冴え渡っていた。
サシャとフィリア、そしてレウナの鋭い探知能力によりバラケを察知。
然るのち、サシャとレインの手により『火球』や『氷嵐』などの範囲魔法が叩き込まれる。
それでも倒し切れなかったバラケを、あなたとレウナが武器を手に始末する。
言葉にするとひどく単純だが、実際にやると精神が非常に摩耗する。
なにせ、攻撃を受けたら、その瞬間にその部位を喪ったも同然なのだ。
すると、当然ではあるが、すべての攻撃を完全に躱さなくてはいけない。
それが人間相手ならばやってやれないことはない。
しかし、バラケは人間の形はしていても人間ではない。
人間がパーツ別に襲ってくるなんてことあるわけもなし。
すると動きがいまいち読めないのだ。普通の人間ならありえない動きをするので。
「マグマの海を平気で渡って来ないで欲しいのだがな……」
ぼやくレウナ。たしかに、生物ならそんなに熱に強いのはおかしい。
しかし、その割に『火球』ではそれなりに焼き払えるのだ。
どうも個体ごとに属性への耐性が結構違うらしいが、マグマは別腹と言うことなのだろうか?
バラケはどうやってマグマから自分を保護しているのだろう……?
「ご主人様」
数度目の戦闘を終えたところで、サシャが声をかけて来た。
『空白の心』の影響か、雑談すらしなくなったので何か用事があるのだろう。
あなたはサシャにどうしたの? と返事を返す。
「魔力が3割を切りました。戦闘での魔法はあと数戦で品切れです」
サマンによる増強のお蔭で随分と魔力は増えたが、この階層での消費量が多いので枯渇して来たようだ。
まぁ、少なくとも『火球』を10発以上は使っていたので、当然と言えばそう。
以前までは3発くらいしか使えなかったので、大幅に魔力量は増えている。
あなたは今日はこのまま休もうと提案し、レインに『快適な宿』の使用を頼んだ。
「わかった」
レインが『快適な宿』の使用の準備をはじめる。
あなたたちはその周辺でバラケの襲撃を警戒する。
誰もろくに会話をしない、ひどく気まずい時間が過ぎていく……。
作られた涼しく快適な宿の中、あなたたちは体を休めている。
サシャ、レイン、フィリアは濡らした布で体を拭った後、ベッドに身を横たえて体を休めている。
眠っているわけではなく、声をかければ返事はあるが、なにかするわけではない。
あなたはサシャに読書などしないのかと尋ねた。
いつもは隙間時間があれば、読書に耽るのが常だったはずだ。
「それは、いま、必要なことではありませんから」
そうだけどさ。たしかに、そうではあるんだけど。
だが、読書と言うのは、必要不必要だけで行うものではないはずだ。
好きなこととは、好きだからと言うだけでやる価値があるはずなのだ。
「ですが、必要ではありません」
サシャはそうにべもなく切って捨てると、そのまま黙った。
読んだ本の面白いところを紹介して薦めてくれる文学少女だったのに。
拷問器具や拷問に関する書籍を好んで読んでいるのはともかく、本好きのいい子だったのに。
あなたは次に、レインに酒を飲まないのかと尋ねた。
とっておきの酒肴を出してもいいし、秘蔵の蒸留酒などもあるのだが……。
「飲酒は思考を鈍らせるわ。不要よ。あなたも休みなさい」
レインはにべもなく切って捨てた。
あんなに酒が大好きで、飲み方も酔い方も最高にカスな酒クズ女だったのに……。
あなたは唖然としながら、フィリアに手芸などしないのかと尋ねた。
フィリアは手すきの時間にはロザリオや聖印を作るなどの手芸に凝ることが多い。
元々、そう言うものを作るのが好きなのだろう。
「渡す人間のいないロザリオや聖印を作ることは無駄でしょう。現時点で渡す予定はありません」
こちらもまた、そんな調子で切って捨てられた。
あなたは『空白の心』は人間をマシーンにする非道な魔法だと零した。
「…………ジルは、ここまでではなかったと思う……のだがな……リフラはむしろ『空白の心』をかけても全然性格が変わらなかったし……」
レウナは『空白の心』を常用している冒険者と幾人か知り合いらしい。
リフラと言うのはたしか、以前に聞いた『トンネルワーカーズ』の頭目だったろうか。
たしか魔法使いだという話だったので、その関係で常用していたのだろう。
正式な名前はリフラ・ハーベスタル・ルイ。エルフの養母を持つ人間の女性だとか。
「あるいはまぁ、かけられた状態に慣れると精神状態が落ち着くとか……なんかそう言うアレなのかもしれん」
様子見しろ、と言うことだろうか。
しかし、レウナがこんな調子でなくて助かった。
もしあなた以外の全員が『空白の心』をかけていたら……。
あまりに気が重過ぎて、1人で腹話術とか初めてたかもしれない。
「そう言う狂気に満ちた気の紛らわせ方はやめろ」
まぁ、実際はしていないのだから、あくまで冗談だ。
しかし、レウナはなぜ『空白の心』が不要なのだろう?
精神作用が無効と言うのはなぜなのか、そこが気になった。
「我が神による祝福とでも思ってくれ」
神の祝福にしたって、各種精神作用が無効はいくらなんでも無法過ぎないか……?
あなたはラズル神の強力過ぎる加護に唖然となった。
「実際のところは違うのだが、我が神による意思がゆえというか……まぁ、そんな感じなのだ」
ちなみに祝福にほかの効果は?
「いろいろあるが……魅惑や混乱も効かんし、そうだな、睡眠効果も効かん。毒、病気、麻痺、朦朧状態と言ったようなものもないし、加速酔いや転移酔いもしない。その他、生命力の吸収も効かないし、肉体能力を低下させる類の魔法も効かん。ああ、それから疲れもしないぞ。眠れはするが、べつに眠らんでも死なんしな」
いくらなんでも強過ぎる。なんでそんな夢のような耐性が揃っているのだろう。
あなたがいったいどれほど苦労して装備を整え、魅惑や混乱、睡眠耐性を得ていると思っているのか。
そこに来て、毒に病気に麻痺に朦朧状態すら無効化するとは何事だ。
他能力との兼ね合いで、あなたは病気や朦朧状態への耐性は諦めてるのに……!
祝福1つでそれらの耐性を得るなんてズル過ぎるではないか。
「まぁ、こう見えて不便なこともあったりするのだ。便利なだけではないのだぞ」
そうだとしてもズルいと思わざるを得ない手厚さである。
あなたはいいなぁいいなぁとぼやいた。
あなた自身、妖精由来の強力な属性耐性を生得的に持っているが。
どう考えてもレウナの各種耐性の方が強力だった。
なにせ、強力な属性耐性があったところで、強力どまりでは意味がない。
基本、属性耐性は無効化するまで耐性を装備で補う必要がある。
そして、あなたはエンチャントを強化する手法を持っているのだ。
装備単体で無効化にまで持っていけるほど強化してしまえば、生得的属性耐性は無意味。
つまり、あなたの生得的属性耐性は、いまやほぼ無意味な体質と化していた。
強いて言うなら暑さ寒さにちょっと強いくらいが強みである。
「あなたは神がかり的な美貌と明晰な頭脳、強靭な肉体を両親からもらったのだろが。そう言う不均衡は多々あることなのだ」
たしかにそうだが。そうではあるのだが。
しかし、それを引き合いに出すということはレウナは自分の体にコンプレックスがあるのだろうか?
あなたはレウナの体はとてもきれいだよと励ました。
たしかに左右で胸の大きさが目に見えて分かるほど違うのは気になるかもだが。
弓を使う人間は、どうしても体の左右のバランスが崩れがちなので胸の大きさも違って見えるというか……。
それに、重要なのは味だ。レウナのおっぱいは美味しい。それでいいではないか。
「うるさい黙れ。もう寝ろ」
そう言ってレウナはベッドに潜り込んでしまった。
レウナまで冷たい。あなたは泣きたい気持ちになった。
あなたはやむなく翌朝の『空白の心』の時間切れを待つことにした。
翌朝、あなたは起き出して朝食を用意した。
パンを切って割り、そこに薄切りにしたハムとチーズを挟む。
そして、それをたっぷりのバターを溶かしたフライパンで加熱する。
とろーり濃厚美味しいハムとチーズのホットサンドだ。
「うまい。おかわり」
レウナからは大好評だ。他のメンバーは黙ってもそもそと食べている。
いつも美味しいと褒めてくれるサシャの声も、満足そうに食べるレインも、静かにかつたくさん食べるフィリアの姿も無い。
全員、味などどうでもいい、腹に入ればそれでいい、と言わんばかりの態度だ。
あなたはいつものみんなに戻ってもらいたくてしょうがなかった。
「まぁ、そろそろ切れる頃だろう。昨日も朝食の後にかけたわけだし」
みんなが自分を取り戻した姿を見たいものだ。
あなたは食後のお茶をみんなに用意しながら『空白の心』の時間切れを待った。
しばらく待ち、突然レインが顔を上げた。
そして、自分の顔をぺちぺちと叩く。
「ああ……なんか変な気分だわ。今までの記憶はあるんだけど、どこか遠いというか」
「む、効果が切れたか」
「ええ。なんか変な感じね」
そう言って苦笑するレイン。あなたはいつものレインにほっとした。
昨日のレインは機械的で怖かったよと言いながら、レインを抱き締める。
「あら、いつも余裕綽々のあなたにしては随分と気弱じゃないの」
なにしろ酒を飲もうと誘っても、飲酒は非効率みたいなこと言って断っていたし。
「たしかに言われてみると惜しいことしたわ……! なんで飲まなかったのよ私……!」
「酒を飲むことに対するモチベーションが高いな」
かなりの悔やみようである。そこまでして飲みたいものだろうか。
あなた自身酒飲みなのだが、こうまで飲みたがる気持ちはわからない。
「……あ、おはようございます、お姉様。朝の挨拶、してませんでしたね」
そこでフィリアも効果が切れたらしく、いつもの表情で朝の挨拶をして来た。
無言で起き出して来て、無言で朝食を食べ、無言で出発を待っていたのだ。凄く怖かった。
そして続けざまにサシャも効果が切れたらしく、あなたへと挨拶をして来た。
「おはようございます、ご主人様……なんか変な感じです。記憶の実感が薄いというか……忘れたわけ……で、は……ない……?」
記憶を回帰してか、サシャが首をねじった。
あなたはサシャにどうしたのかと尋ねた。
「えっと、お母さんが、いま妊娠4か月で……女の子が生まれる予定、なんですか?」
「あっ、そう言えば言ってたわね! おめでとう、サシャ。帰ったらブレウさんにもおめでとうって言わなくちゃね」
「そう言えば……あっ、王都を発つ間際にブレウさんの仰ってたいい報告ってもしかして?」
「たしかに言ってました……で、でも、相手はいったい……?」
「まぁ、それはほら、旦那さんも帰って来ないわけだし、再婚とか考えてたり……」
「でも、サシャちゃんのお父さんが見つかったとか言ってませんでしたか……?」
「うわぁ……うわぁぁぁ……ど、どうしましょう、ご主人様……」
などと嘆くサシャだが、その心配はいらない。
ブレウのおなかの子は、あなたの子なのだ。
「…………?」
「なんて?」
「どういうことですか?」
そのままの意味だ。ブレウはあなたが孕ませた。
エルグランドでは同性だろうが子供が作れるのだ。
ブレウがあなたとの子供が欲しいというので……。
「詳しく……説明してください」
サシャがカタカタと震えながらそう要求して来た。
「今、私は冷静さを欠こうとしています」
すでに冷静ではない気がする。
まぁ、それを狙って、昨日告白したわけだが。
あなたはこのまま上手いこと畳みかけるぞ話術を用いた説得を始めた。
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