14話
入浴でリフレッシュした後、朝食を摂った。
昨日と変わらない、ボリューム抜群の朝食だ。
十分に温まり、清潔になった体。
そしてパンパンに満たされた腹。
冒険に挑む準備は万端だ。
軽い食休みの後、あなたたちは冒険を再開した。
そう、遂に3層『大瀑布』の頂点へと移動をはじめたのだ。
レインとサシャは魔法で、そしてあなたは自前の飛行能力で。
フィリアはあなたの腕に抱かれて、空中へと舞い上がる。
崖を1段飛び越え、さらにその次の崖へとひとっ飛び。
そして、あなたたちは『大瀑布』の真の姿を見た。
それは、果ての見えないほどに広大な水面。
極めて透明度が高く、それゆえに見通せない水面。
あまりの透明度の高さゆえに、光が反射して水中が見えないのだ。
風も皆無なためか、水面は極めて美しく凪いでおり、まるで水鏡のようだ。
水平線が見えてしまうほどに巨大な湖。
それこそがあなたたちが登っていた『大瀑布』の水源だったのだ。
ここまでくると、空が見えた。
燦燦と輝く太陽に、雲ひとつない青い空。
ここは地下のはずなのにだ。
ひとまず、巨大な湖の縁に立つ。
幅はほんの3メートルほどしかないが、土の地面があった。
今までの滝壺と同じく、壁は頑強そうな岩壁だ。
辛うじて野営も出来なくはなさそうだが……。
「すごい光景ね……これ、どこが次の階層の入り口なのかしら?」
「ひとまず、この縁を歩いて行ってみますか?」
「それが無難ですけど……そんな安直に次の階層に行ける気はしないですよね……」
「まぁ、そうですね」
そんなことを話していると、ふとすぐ傍の水面が盛り上がった。
そして、恐ろしい勢いで巨大な口が飛び出して来た。
数多に連なる白く鋭い歯。
真っ黒く、視線の伺えぬ瞳。
上部は青黒く、下部は白い体。
ホホジロザメと呼ばれる、巨大なサメだった。
あなたはそれを咄嗟に切りつけた。
もう完全に反射であり、手加減ゼロの一撃だ。
抜き打ちで放ったロングソードの剣戟が、下から斜めにサメを切り裂く。
上あごと言うか、頭部に当たる部分がごっそり切り飛ばされた。
びくん、と痙攣したかと思うと、胴体がバタバタと暴れる。
切り飛ばしてしまった頭部はゴチャリと地面に落ちた。
ぎょろぎょろと少しの間目を動かし、やがて沈黙した。
「……わお。とんでもないのがいるわね」
なんとか絞り出した、と言った調子で、レインがそんなことをぼやいた。
たしかにとんでもないのがいる。
あまりに急で、うっかり強く対処し過ぎた。
あなたが1人で始末してどうしようというのか。
ここは本来、さっと下がってサシャとフィリアが対処するのを待つべきだった。
まぁ、あなたが対処しなかったら、どっちか死んでたかもだが。
サメは危険な生物ではある。
だが、サシャやフィリアの実力なら対処は容易い。
が、水中に引きずり込まれた場合、対処は困難を極める。
単純な話、サメは水中に特化した生物で。
人間も獣人も、陸上に適応した生物だからだ。
倍はあるだろう力の差も、環境に特化した肉体は覆すこともある。
「こんなに間近でサメを見たのはじめてですね」
「サフアギンはこれと意思疎通ができるらしいって聞いたけど、本当なのかしら……」
「それにしても大きい……私くらいなら一飲みですね。まぁ、内側から口を抉じ開けてやりますけどね」
たしかに大きい。あなただって一飲みだろう。
常人がこんなものに襲われたらひとたまりもない。
むしろ、骨が残るかすらも怪しいかもしれない。
「ところで、サメって血の匂いに寄って来るらしいですよ」
「らしいわね」
「お姉様がサメを斬り殺したわけですが」
「……そうね」
「早く離れましょう」
「そうしましょう」
どうせサメから得られるものに高値のものなんてないし。
あなたたちは速やかにその場を離れることにした。
数分ほど歩いて、サメを倒した地点から離れた。
ふと振り返ると、サメの死体は消えてなくなっている。
陸上の頭部はごろりと転がったままだが、胴体がない。
なにかしらの生物が、水中に引きずり込んで捕食したのだろう。
あの巨体を引きずり込めるとなると、相当大型の生物だと思うが……。
「ふぅ。さて、どうしましょうかしらね」
「うーん……この縁を歩いて行ってもいいですが……かなり長い、ですよね?」
「えーと、たしか円周の計算が、円周率を使うのよね。3.1416らしいけど……3.14でいいわよね。水平線が見えるということは、だいたい5キロは直径があるから……」
レインが指折りしながら計算を始めた。
円周率の秘儀はこちらでもそれなりに求められているようだ。
エムド・イルの超科学文明においては5兆ケタ以上も求められたと言うが……。
もちろんだが、5兆ケタなんて使ってはいられない。
なので、エルグランドでもレインがそうしたように3.14が用いられる。
一応、3.14159あたりまでは間違いないらしいとは聞いている。
具体的な算出手順をあなたは知らないが、一応正しいらしい。
べつにあなたは数学者ではないので、実利的に使えればそれでいいのだ。
「円周が15キロは最低でもあるのね。4分の1くらい歩けば、なにかしら見えるんじゃないかしら。ざっと1時間歩けばいいってことね」
あなたは空を飛んだら、もうちょっと遠くまで見えるのでは? と提案した。
「たしかにそうね……でもその場合、水平線の距離ってどうやって計算するの?」
もちろんだが、知らない。
あなたは自信をもって答えた。
地面に立った時に見える水平線や地平線の距離が、大体4.5キロであることは知っている。
だが、たとえばそれが10メートルのやぐらに登った時、どれくらいなのかは知らなかった。
「だめじゃないのよ……」
「ま、まぁまぁ。遠くまで見えるのはたしかですから、ちょっと飛んでみましょうよ」
「そうね。じゃあ、魔力に余裕のある私が行くわ」
そう言うや、レインが魔法を用いて飛び上がった。
すーっと上空へと昇っていくレイン。
あなたは下面からレインのローブの下をじっくりと眺めた。
残念ながら、ローブの下はズボンを履いていた。
あなたは力強く舌打ちをした。
上昇速度はそう早くはない。
ゆっくりとした速度でレインが上空へと昇っていく。
しばらく空を見上げながら待つ。
そして、レインが勢いよく落ちて来て、水面に叩きつけられた。
盛大に水しぶきが上がったが、やがて落ち着く。
サシャとフィリアが反応もできないまま固まっている。
そして、水面に赤いものが混じり出した。
レインは浮いてこなかった。
「え?」
サシャがそんな声を発する中、あなたは水中へと飛び込んだ。
滝壺の水よりも水温が随分と高いように感じられた。
水中でもあなたの飛行能力は発揮可能だ。
そのため、常人が泳ぐのとは次元の違う運動能力を発揮できる。
澄んだ水を切って水中を突き進む。
そして、水深およそ10メートルほどの地点でレインを見つけた。
ピクリとも動かないまま沈んでいっている。
ふつうならありえない沈み方だが、これは『ポケット』の欠点だ。
『ポケット』は重さが全身に負荷されるが、道具の体積や浮力は発揮されない。
そのため、純粋に重量がかかり、体の浮力を食い尽くしてしまうのだ。
レインはそう大量に入れていないはずだが、それでも10キロは入っているだろう。
その程度の重さでも『ポケット』の負荷がかかると沈んでしまうのだ。
あなたはすぐさまレインに追いつく。
その手を掴んで、一気に上昇する。
水中から飛び出し、陸地へと上がる。
そして、フィリアに急いで治療するよう言った。
レインの胸には大穴が開いていた。
幸いと言うべきか、右脇あたりを抉られるような形だ。
肺は抉られているようだが、心臓は無事。
辛うじてまだ生きている。あと1分もしないで死ぬだろうが。
「この傷付きたる戦士を死の淵よりお救いください……『大治癒』!」
フィリアの祈りが魔法となって結実する。
手に宿った優しくも力強い正のエネルギー。
手当と言う言葉の通り、当てられたフィリアの手からエネルギーがレインへと流れ込む。
すると、レインの胸に出来た大穴が瞬く間に塞がっていく。
ごっそりと抉られていた生命力もぐんぐん回復している。
「ごほっ!」
そして、レインが意識を取り戻すと、勢いよく血の塊を吐いた。
げほげほと咳き込みながら、レインが体を起こす。
そして、なぜ自分がずぶ濡れなのか首を傾げた。
右脇あたりの服が破れ、右の乳房が露出していることも。
レインがそれを認識すると、あなたの頬に平手が飛んだ。やや痛い。
「み、見るなこの女たらし!」
べつにやらしい目で見ていたわけではないのだが。
さすがに、こんなときまでスケベ心を出すわけもない。
そこまで人品に劣っているつもりはないが……普段の行いが行いなので、あなたは甘んじて受け止めた。
「レインさん、痛いところはありませんか? 無事ですか?」
「え、ええ。とりあえず『完全修理』……っと。それで、何が起きたの? えっと、私はなんでずぶ濡れなのかしら……?」
レインが呪文を唱えて服を修復する。
そして、何が起きたのかと首を傾げた。
「覚えてないんですか? 突然落っこちて来て、水に落ちたんですよ」
「待って待って。そもそも、私は飛んでたの? サメに襲われたあたりから記憶がないんだけど……」
「ええ? そんな前からですか?」
どうやらレインは致命傷を負った際、そのまま気絶してしまったらしい。
人間の記憶と言うのは、割とあいまいで雑に出来ている。
気絶すると、気絶直前の数分から数時間の記憶を喪うのはよくあることなのだ。
今回は数分程度で済んだようだが、これでもマシな方だ。
下手したら今朝から今までの記憶を全て喪っていた可能性もある。
起床からはまだ2時間ほどしか経っていないので、それくらいはありえる。
「うーん……レインさんに聴取と言うわけにはいかないですか……お姉様はなにかありませんか?」
飛行生物に襲われたのではないだろうか。
いまのところ、それらしい姿は見ていなかったが。
上空で襲われたとなると、それが一番自然な帰結に思える。
「まぁ、そうなりますよね。サシャちゃんは……サシャちゃん?」
「……あ、はい。えっと、なんですか?」
サシャは地面に広がる水の混じった血痕を見つめていた。
サシャの顔色は蒼白で、指先は震えていた。
親しい間柄の人間が死に瀕している姿を見たのは初めてだったのだろう。
目の前で命が失われていく光景は恐ろしいものだ。
命が紙ペラ1枚より軽いエルグランドの民でもそう思うのだ。
命が貴重なこの大陸では、なおさらに恐ろしく思えることだろう。
どうすればいいのか分からず、思考は迷走する。
心臓はやたらと早鐘を打ち、血の気は引いていく。
吐き気とめまい、耳鳴りまでもしたことだろう。
それはいたって正常な感覚だ。
まともな人間ならば、当然あり得ること。
そして、そう言うまともな人間でいるという贅沢は、冒険中に楽しんではいけない。
まともさ故に思考を迷走させ、固まってはいけない。
それは当人もそうだが、死に瀕した者の命までも危険にさらす。
行動を起こせる者こそが、生き延びることができる。
あなたやフィリアは慣れている。
目の前で誰かが死にかけることに。
そして、誰かが死ぬことも。
サシャもいずれ慣れるだろう。
慣れる前に、その心が潰れなければ。
ここだけは手助けしてやることができない。
慣れるまでの間の心理的な拠り所にはなれるが。
結局、当人の芯の強さ。それが無ければ潰れてしまう。
願わくば、乗り越えて欲しいものだ。
サシャには超人級冒険者の素質がある。
才能のなさがゆえに、素質がある。
だが、そこに至るまでに潰れる可能性もまた、無数にある。
可能な限りケアはするが、どこまで効果があるものか。
「サシャちゃんは、何か思いつくことはありませんか? レインさんが何に襲われたか」
「す、すみません、わかりません……」
「うーん、そうですか……」
フィリアが難しい顔をする。
あなたもどうしたものかなと悩む。
悩む内容はレインに致命傷を与えた下手人ではない。
冒険を続けるかどうかだ。
レインの胸に穴が開いたのは大したことではない。
レイン当人は実感もなにもない様子だし。
治療を施したフィリアも、まだまだ魔力に余裕がある。
だが、レインの致命傷によって得たサシャの心理的衝撃。
それはおそらくサシャに対し、致命的な悪影響を及ぼすだろう。
あなたはここで一時冒険を中断するか、難しいかじ取りを迫られた。
ここはひとつ、フィリアの意見も聞きたいところだ。
そのため、フィリアにそっと耳打ちをして意見を仰いだ。
「うーん……続けませんか?」
その心は?
「こういう時こそ、その人の真価が見えると思うので」
なるほど、割と鬼畜な意見が出て来た。
しかし、その意見には完全に同意でもある。
あなたは冒険を続行することに決めた。
サシャは死ぬかもしれないが。
まぁ、諦めずに這い上がってもらいたい。
ちゃんと蘇生はする。フィリアは上位の蘇生魔法が使えるのだから。
触媒も、ソーラスに来る前に確保してもらうよう頼んである。
なぁに、1回くらいなら誤差だ。
エルグランドの民なんかしょっちゅう死んでるし。
みんなやってることだから。
あなたはそんな気軽な調子でサシャを見殺しにすることを決めた。
エルグランドの鬼畜めいた死生観がサシャに牙を剥こうとしていた。
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