10話

 熱く濃厚な夜を過ごした翌日、あなたは宿へと戻った。

 そこではフィリアとレインが待っていた。


「おかえり……どうしたの?」


 レインが訪ねた相手はあなたではなく、サシャだった。

 サシャはもうあなたにべたべただった。

 あなたの腕を抱き締め、もう離さないと言わんばかりだ。

 あなたはもちろん喜んでサシャの好きにさせている。

 バカップルみたいなことをしているサシャを疑問に思うのは自然なことだろう。


「えへへ……その、ご主人様に、いっぱい本を買ってもらったんです」


「あら、そうなの。あなた本当にサシャには甘いわね……本なんて高いものなのに。何を買ったの?」


 レインも読書はそれなり以上に嗜んでいる。

 図書室の蔵書には一通り眼を通したと言っていたし。

 そのため、読んだことのない本だったら読ませてもらおうと考えているのだろう。


「えっと、たくさんあるので、あとで確認しますね」


「よっぽどたくさん買ったのね」


「はい! 書店にあった本を全部買ってくれたんです!」


「全部!? あなた一体いくら使ったの……?」


 金貨300枚ちょっとである。あなたはそのように応えた。

 具体的に使った額など覚えていない。その程度の出費だった。

 財布に入っている小銭の正確な数を把握していない人間が大半を占めるように。


「300枚じゃなくて、400枚弱ですよ。386枚って言ってました」


「よん、ひゃく……うちの荘園の1年の収入より多いわよ、それ……」


 まぁ、たいそうな出費だったのはたしかだ。


「すごい数でしょうね……うちの蔵書より多いんじゃない?」


 かもしれない。

 王都に帰ったらサシャ専用の図書室の建築もする予定だとあなたは伝えた。

 そう言った、建築士や大工のツテはないので、レインに紹介してもらうつもりだった。


「甘やかし度合いがすごいわね……奴隷のために本を買い占めて、専用の図書室を建立する……? ちょっと理解できない……」


 まぁ、理解はしてもらわなくても構わないが、許容はしてもらわないと困る。

 と言っても、あの屋敷は既にあなたのものなので、許容も本来必要はないのだが。


「ああ、うん……図書室は好きにしたらいいわ。大工と建築士も、前金は必要でしょうけどなんとかなるわ」


 それはありがたい。その手のコネやツテを用立ててくれるレインには本当に世話になっている。

 そのため、レインが力になって欲しいことがあれば、いくらでも力になるとも伝えた。


「ああ、うん、ありがとう。その時は助けてもらうわ。今のところ特に必要はないけれど」


 そう言う権利は本当に困った時にでも使えばいいのだ。とりあえず保留にしておけばいい。


「そうね。さて、世界一奴隷に甘いあなたは今日はどうするつもり? 冒険の準備は万端よ?」


 もちろんあなたも準備は万端だ。

 今日もまた迷宮に挑むのもいい。

 もちろん、準備期間と言うことで訓練に勤しむのもいい。

 とは言え、今のところ訓練が必要な事項は思い当たらない。


 レインの咄嗟の対応は実戦で磨かねばならないだろう。

 サシャの投石に関しても基本は教えたので、あとは実戦で磨くべきだ。


「では、今日も迷宮に挑みましょう、お姉様。もちろん私も準備は万端ですよ」


 傍らに置いていたクロスボウを持ち上げ、フィリアが意気込みを見せる。

 サシャの方を見やると、ちょっと困ったような顔をしていた。


「えーと、ご主人様。その、武器が……」


 そう言えばそうだった。サシャの武器がまだない。

 あなたはとりあえずの間に合わせということで、腰に下げていた剣を渡した。

 そして、あなたは新しい剣を取り出して腰に下げる。


「あら、北方風の剣ね。珍しい」


 こちらでは北方風と言うらしい。エルグランドでは東方風と言うのだが。

 刀と呼ばれる種類の剣で、片手剣程度の長さと重さながら、両手で使うのが基本と言う珍しい剣だ。

 まぁ、あなたは気にせずに片手で振り回しているが。


 この剣には魔法を強化するエンチャントはないが、体力と魔力を吸収する効果がある。

 ちなみにこの場合の体力はスタミナのことで、肉体の怪我を治す効能はない。


「またすごいもの持ち出したわね。どちらか一方なら聞いたことあるけど、両方は聞いたことないわよ」


「たぶん、存在はするんだと思いますよ。でも、両方が有用な人ってあんまり……」


「あ、そうか。考えてみれば両方がついてたら魔法剣士向けの効果ね……魔法剣士が珍しいからあんまり聞かないんだわ」


 あなたはそのこちらでは珍しい魔法剣士なので有用と言うわけだ。

 まぁ、魔力が枯渇する事態などめったにないので有用かと言うと微妙だが。

 この剣はどちらかと言うと体力回復用に使っていた。正直武器として持っていた感じではない。回復アイテム感覚だ。


 ちなみにサシャに貸した剣は、山賊から奪い取ったものを整備したものだ。

 軽く研ぎ直したりはしているので並の剣くらいの働きはしてくれる。

 あまり強力な武器を使ってもよろしくないのでそうしていたわけだが。

 今回使うつもりの刀も、体力魔力吸収効果以外は並の性能しかないのだ。


「じゃ、全員準備は整ってるわね。行きましょう!」


 さぁ、出発だ!





 ソーラス大森林への再度の挑戦。

 前回と違い、情報を確認し合うこともなく、あなたたちは森林へと歩を進める。

 あなたは前を歩くサシャの姿を見やる。ぴくり、ぴくりと耳が動き、顔は忙しなく左右に動いている。

 後ろをちょっと見やると、左右を見渡しているレインの姿があった。


「なに?」


 振り向いたことに気付いたレインが、あなたに問いかけて来た。

 あなたはなんでもないと答えつつも、隣にいるフィリアに眼をやった。


「慣れるしかないですね」


 あなたは苦笑した。サシャもレインも警戒のし過ぎである。

 警戒することはいいのだが、気を張り過ぎなのだ。


 周囲を警戒する技術に関しては教えていなかったなとあなたは自分の行いを顧みる。

 周囲の探知と、周囲の警戒は、似ているようで異なる技術なのだ。

 周囲を警戒するための景色の見方と言うものがあるのだ。

 この場合、敵のいそうな場所を探すだけで事足りる。


 この森の敵対的な生物は、熊、山猫、蝶である。

 ほかにも生物はいるが、危険かつ人間を襲う生物はそのくらいだ。

 山猫は意図して刺激しない限りはわざわざ人間を襲うほど獰猛ではない。


 あまり大型の種ではないため、小動物を主な餌としているのだ。

 人間を襲っても益は少ないし、人間は群れているので危険。

 そのためこの森の山猫はあまり人を襲わない。必要なら襲うようだが。


 蝶は強力な神経毒を持つが、べつに意図して人を襲っているわけではないようだ。

 人以外も襲っているので生物なら無差別に襲っている。

 たぶん、人間の呼吸か何かに反応しているのだ。


 そして熊はもうエサとして人間を見ている。

 だから積極的に襲って来るのだ。

 割と簡単に狩れる美味しい敵だと思っている。


 これらの情報を勘案すると、明白な脅威は熊。

 つまり、熊が隠れられる木の影だけを警戒していればよいのである。

 蝶が上方から来る可能性もなくはないが、低い。

 毒撒き蝶の飛行能力は高くなく、あまり高く飛べないのだ。


 まぁ、警戒のし過ぎで疲れたら教えてやればいい。

 何事も失敗から学んだ方が成長は速いのである。


「あっ! 毒撒き蝶よ!」


 レインが叫び、指差す先はと言うと、だいぶ離れた地点だった。

 ざっと50メートルほど先にあるだろうか。小さな草地に5~6匹ほどの蝶が飛んでいる。

 位置関係で言うと、あなたたちの左手側。進行方向からは思いっ切りズレている。

 あなたはレインの手を下ろしてやり、こっちには来ないだろうから戦う必要はないと諭した。


「え、あ……そ、そう、ね」


 レインもそのことに気付いたのか、恥ずかしそうな顔をした。

 疲れで視野狭窄に陥っていたのだろう。敵だから排除と言う思考に直結してしまったのだと思われる。


 冒険者とは戦いを是とする生業だが、戦いを生業としているわけではない。

 つまり、無暗に戦う必要はないのだ。まぁ、それは戦いを生業とする者でも同じだが。

 それが儲けになるなら挑むこともあるが、避けられるリスクに自ら突っ込む意味はない。


「こほん……い、行きましょう」


 止めていた足を戻し、あなたたちは再度歩き出した。




 拍子抜けなことに、今回は全くと言っていいほどに熊に襲われなかった。

 なんでだろう? 不思議に思っていたあなたに、フィリアが笑いながら教えてくれた。


「ソーラスの大熊は倒せると見たら挑んで来るほど頭がいいんですけど、逆に言うと、強敵と見たら避けるだけの知恵もあるんですよ」


 つまりは、事前に敵の戦力に見当をつけていると言うことである。

 それは納得のいく話だ。わざわざサシャに狙いをつけて襲ったように、かなり知能が高い。

 そして、あなたは先日、3頭もの熊を葬ったことを思い出した。

 もしや、熊は同族の血の匂いにかなり敏感なのだろうか?


「はい。ですので、この森の熊を倒せるくらい強くないと、そもそも第二層までいけないんですよ」


 ある意味で、あの熊はソーラス大森林の門番だったのかもしれない。

 熊くらいは乗り越えなければ、第二層に挑むことすらもできない。

 なるほど、迷宮探索に実績が必要なのも分かる難易度と言える。


「熊って結構な強敵ですからね……特にこの森の熊は凶暴なので。『銀牙』のメンバーでもあっさりと倒せるほどではないですから」


 なるほどなぁ、とあなたは頷く。

 まことに迷宮とは自然の驚異なのであろう。

 あなたは迷宮の奥深さに感じ入った。




 ソーラス大森林の第二層とは、つまりは洞穴である。

 森の最中にぽっかりと開けた空間があり、その中に突き出た岩肌がある。

 黒く、大きな出入口は、まるで巨獣が飲み込まんと大口を広げているかのようだ。


 洞穴のようだが、ここは平地。突き出た岩肌も、そう大きくはない。

 歩いて後ろに回ってみると、奥行きはまったくと言っていいほどにない。

 にもかかわらず、入口は先を見通すことの叶わない闇が広がっている。


 これはまったくもって尋常の存在ではないとあなたは頷いた。

 エルグランドの迷宮とはまったく毛色が違う。あれは言うなれば過去から蘇って来た遺跡に過ぎない。

 とは言え、このようなあからさまな魔法的事象が絡んだ迷宮も、数は少ないが存在した。

 その迷宮に挑んだ経験があるからこそ、これが尋常ではないと納得することができたわけだ。


「ふぅ。挑む前に、少し休憩しない?」


「賛成。賛成です!」


 気疲れした様子のレインと、気を張っていたサシャは疲れを感じているようだ。

 あなたとフィリアは笑って同意すると、背の低い草に覆われた地面に腰を下ろした。

 すると、サシャがあなたの真横に寄り添うように座り込んだ。


「ご主人様、私、ちょっとお腹空いちゃいました」


 あなたはサシャの頭を撫でた。かわいい。

 なにが可愛いって、意図的に甘えて来たのだ、これは。

 あなたの愛を軽く試すジャブのような行為とも言えるし。

 このくらいの可愛い我がままなら、喜んで叶えてくれると信じている。


 我がままを言ってくれた方が嬉しいあなたは喜んでその願いを叶えた。

 あるいは、サシャは少しくらい我がままを言った方が、あなたが喜ぶと気付いたのかもしれない。

 そのいずれにせよ、とにかくサシャは可愛い。なので、それでヨシ。


 あなたはクッキーを取り出し、お茶を淹れて、ティータイムを始めた。

 甘いものは疲れに効くので、軽く食べた方がいいという理由もある。


「あ、クッキー。ご主人様のクッキー、美味しいので大好きです!」


 たくさん食べなさいとあなたはサシャの頭を撫でた。

 もちろん、レインとフィリアにもお茶とクッキーを供する。仲間外れはよくない。


「毎度思うけど、『ポケット』って本当に反則的よね。クッキーなんて砕けやすいお菓子を持ち運べるんだから」


 なんて言いながら、レインも『ポケット』からシュガーポットを取り出す。

 現地調達した食料のために調味料を持つのはよくあることだが、ティーテーブルに相応しいシュガーポットを持ち歩くのはどうなのだろう?

 紅茶にひとつふたつと砂糖を投ずるレインを見てあなたはそんなことを思った。

 『ナイン』をおもちゃとして持ち歩いているあなたには言われたくないだろうが。


「外部からの影響を受けずにものが持ち運べるって言うのは凄いことよね」


 あなたは打撃などで壊れたりはしないが、燃える、凍るなどの影響で壊れる可能性はあると伝えた。


「そっちの影響はあるのね」


 言ってみれば、自分に付随する空間に折り畳んで仕舞っているというのが『ポケット』の仕組みだ。

 そのため、眼には見えないがたしかにある。触れられないので打撃では壊せない。

 しかし、空間そのものを高熱にしたり低温にしたりするような影響は、もちろん受ける。


「なるほどね」


 砂糖を2つ投じた紅茶をレインが音も無く飲み下す。

 その辺りの所作は気品があり、レインが貴種の育ちなのだということを思わせる。


「こういう瞬間はほっとするわね」


「ですね」


 特にサシャとレインは脳に疲労があるので、安堵も一入だろう。

 あなたはサシャもレインも幾分冒険者らしくなったなと笑った。


 サシャとレインは今後、どんな冒険者になるのだろう?

 冒険者にもいろんなやり方がある。そのどれを選ぶも自由だ。


 金のために冒険をするもの。未知を知りたいがために冒険をするもの。

 もはや冒険者に身をやつすしかなかったもの。どれも違ってどれもいい。

 あなたのように、仕事ではなく生き方としてしか冒険者になれないようなバカもいる。


 本当のところ、未知を知りたければ本でも紐解いていればいいのだ。

 でも、あなたは行って見たがる。冒険をしたがる。体験主義と言うわけでもない。

 未知を知るという理由付けで冒険をしたいだけのバカなのだ。

 これはもうどうしようもない宿痾のようなものだ。


 なんたって、それを何も悪いことと思っていないのだから、本当にどうしようもない。

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