31話

「ねぇ、いい?」


 宿に戻り、意味もなく食堂でだらだらしながらお喋りに興じていたところ、唐突にレインがそんなことを言い出した。

 なにがいいのかは分からない。そのため、あなたは最大限自分にとって都合よく解釈した。

 つまり、今晩は空いてるよ、と言いながらレインの手を取った。


「違うわよ」


 いてて、とあなたは笑い混じりに痛みを訴える。手の甲を抓られたのだ。


「確認したいというか、聞きたいというか……」


 なにをだろうか?


「そんなに長い付き合いでもないから、私の気のせいかもしれないけど……サシャ、随分大人っぽくなったわよね」


 そう言われ、あなたはサシャを見やる。

 サシャは自分の顔をぺたぺたと触っていたが、あなたの視線にへにゃりと笑った。

 超可愛い。あなたはサシャが子供っぽかろうが、大人っぽかろうがどうでもいい。

 トニカクカワイイ。以上だ。


「そんなに……変わりました? たしかに身長はちょっと伸びたんですけど……」


 サシャには自覚がないらしい。あなたにしても、あまりサシャが変わったとは思っていない。

 ただ、それはあなたがサシャのことをよく見ているから、と言う線もあるだろう。


 とは言え、サシャを購入した当初から比べると、サシャの体形や体格に変化があったことは気付いている。

 毎日おなかいっぱいご飯を食べさせているので、肉付きが相当よくなった。

 以前はあばらが浮いていたが、今は脂肪に覆われて見えなくなった。

 全身の筋肉もしなやかに発達し、一回り太くなったのはたしかだ。


 健康的になったと言えばその通りだが、大人っぽくなったと言えるかは微妙だろう。

 まぁ、あなたにしてみれば健康的なエロスを得たのは間違いないのだが。

 世間一般的に大人っぽくなったと言うにはちょっと違うだろう。


「外見的な変化とは少し違うのよ。仕草と言うか、振る舞いと言うか。最近は特にね」


 そう言われてみればそうかも。あなたはそんなことを思った。

 たしかに、振舞い方が以前に比べればだいぶ淑やかになった印象はある。

 その辺りはまぁ、あなたが買い与えている衣服が汚れないようにとか、そう言う意図があるのだろうが。


「きっと、今のサシャを見たらご両親も驚くでしょうね」


「そ、そうでしょうか?」


 その点に関してはあなたも疑いようがない。まず間違いなくサシャの母、ブレウは驚くだろう。

 健康そうにふっくらと育ち、さらには見るからに強くなった。筋肉がしっかりとついている。

 ただ太くなったのとは違う、戦うための肉体を養成した結果と言うのが眼に見えて分かる。


「幼馴染の子たちにも驚かれちゃうかな……」


 期待半分と言った調子でサシャがそんなことを呟く。

 考えてみれば、サシャは町中で育った子である。

 生まれ育ったかどうかは知らないが、近所には顔見知りもいることだろう。

 幼馴染と言う、なんとも胸躍る存在もいるのかもしれない。


 しかし、もしも男の幼馴染が居たら、しっかり釘を刺す必要があるだろう。

 サシャはあなたのものだ。もう手放すことなど絶対にありえない。

 サシャに恋慕している小僧なんか居たら、脳を木っ端微塵に破壊しなくてはならない。


「スルラの町ねぇ……この町を出るまで、あと20日か……旅程のことを思うと憂鬱になるわね」


 などとレインが溜息を吐いた。まぁ、移動がめんどくさいのは分かるのだが。

 あなたもエルグランドなら町から町までわざわざ歩いて移動などしなかった。

 『引き上げ』の魔法で、びゅーんひょいっ、と言った調子である。


「集団で転移できる魔法って、最高位の魔法なんだけどね……私じゃとても手が届かないレベルの」


 それは単純な話、エルグランドの魔法の方が格段に使い易いというだけだろう。間違っても扱い易くはないが。

 この場合、使い易いと扱い易いは意味が異なり、それは『容易に発動が可能』という意味でしかない。

 扱い易いのは『安心して気軽に使える』という意味であるべきだ。エルグランドの魔法は気軽に使ったら死ぬものもいるだろう。

 というか『引き上げ』の魔法は魔力消費はそれなりにあるので、魔法使いでないものが使うと死ぬこともある。

 粉々の死体が町の出入り口あたりに落ちていたら、それは『引き上げ』の魔法の反動で死んだお馬鹿さんだ。


「……私は大丈夫よね?」


 魔力が枯渇寸前とかでなければなんら問題ないだろうとあなたは太鼓判を押した。

 魔法使いと戦士では、持ち合わせている魔力量は何倍も違うものだ。

 実際、現状戦士と言って相違ないサシャと、魔法使いであるレインでは10倍近い魔力の差がある。


「まぁ、たしかに使える魔法の回数からしてそれくらいはあるのよね。なるほどね……ちなみに、使ったら危険だ、みたいな感覚ってあるの?」


 ある。あ、これヤバいな……というのが明白に分かる。

 大体の場合、それを感じて不安がった魔法使いは数多いだろう。

 まぁ、師匠に「大丈夫大丈夫、いけるいける」と雑な太鼓判を押されるか、使用を強要されて爆散するのだが。

 かく言うあなたも父に「いけるいける、やる気の問題だから」と適当を言われて爆散した記憶がある。


「なるほどね……ねぇ、私がそのマーキングとやらを増やして行ったら、魔法で帰ってもいいわよね?」


 いいのではないだろうか。かく言うあなたも帰りは魔法で帰ってもいいかもと思い始めている。

 野外を移動する経験を積むのも大事なので、その辺りは今後も積むつもりだが。


「あ、じゃあ帰りはあなたが転移してくれるの?」


 もちろん構わない。なんならブレウを説得する手伝いをして欲しい。

 レインは見るからに貴種と言った気配があるので、説得をする側としては強い。

 やはり、社会的地位や名声を持っているというのは、交渉に際して強いものなのだ。


「そう言えば、サシャの母親を雇うとか言ってたわね。構わないけど」


 お針子をしているそうなので、屋敷専属のお針子として雇用しようと考えている。

 通常、お針子とは仕立てを行うものだが、衣服類の補修も行えるだろう。

 使用人らが各々でやっているのだろうが、ブレウにそれらの仕事をアウトプットするつもりだ。

 やはり専門の人間にやってもらう方が色々と効率的であるし、使用人らの仕事の負担を減らす姿勢を見せるのは大事なのである。

 このように、あなたは家で雇用する女を増やす言い訳を考えるのが得意だ。


 一応、この大陸ではあなたしか制作方法を知らない下着の制作技術を伝授すると言う目的もあるのだが。


「ちなみに、お給金ってどうするつもりなんですか?」


 他の使用人と同水準。つまり、一般的な貴族の屋敷の使用人の3倍程度。

 具体的な相場は知らないので、屋敷の料理人や庭師などの一定の専門技能持ちと同等額になるだろう。

 金額で言うと、月あたりの給金は金貨で5枚程度になるはずである。


「お、おお……すごいお給金ですね……」


「それだけの額があれば、それなりに余裕のある生活ができますね」


 この大陸における一般的な生活費がいくらか知らないあなたは、そんなものなのかと尋ね返した。


「そうですね……えーと、私みたいな貧しい層だと、月の生活費は銀貨3枚枚程度で済ませてるはずですね……」


「中流の市民層なら月の生活費は金貨1枚くらいだと思いますよ。持ち家と言う計算で、ですけどね」


 ちなみにこの大陸においては、あるいはこの国においては銀貨10枚で金貨1枚と等価である。

 銀相場と金相場の関係で多少変わるものの、為政者らの努力でおおむね銀貨10枚で金貨1枚と言う相場が維持されているらしい。

 つまり統治が乱れると、発行されている貨幣の価値が乱高下しがちということでもある。

 特定年代の銀貨や金貨の価値が1段下に見られる、というのは度々あることなので特に疑問でもないが。


「貴族だと月の生活費は金貨100枚分くらいは使ってると思うわよ。まぁ、貴族と言ってもピンキリだけど」


 貴族の生活費はかなり桁が違う。中流の100倍と言うことになる。

 そうすると、上流の市民は金貨何枚くらいで生活しているのだろうか?


「そうですね……一概には言えないと思いますけど、10枚くらいじゃないでしょうか。大店の店主とか、名の売れた芸術家とかなら……それくらいなのかな?」


 なるほどとあなたは頷き、そう言えばレインの実家の荘園収入が金貨300枚と言っていたことを思い出す。

 年間300枚の収入なのに、月に金貨100枚も使っていたら足らないのではないだろうか。


「荘園の収入だから。領地だってあるわよ、そりゃ」


 そう言うことかとあなたは納得した。考えてみれば荘園としか言っていない。

 直轄地と荘園経営はまた別の話なのだろう。


「うちはそんなに規模の大きい荘園は持っていなかったし、直轄地の収入の方が大きかったわね」


 そもそも荘園と直轄地がどう違うのかをあなたは知らなかった。

 まぁ、興味があるわけでもないので、その辺りはどうでもいいのだが。


「荘園って言うのは要するに農民に貸し出してる土地よ。ザーラン伯爵家は鉄鉱山の収入の方が格段に大きかったのよ」


 ふーん、とあなたは適当に頷いた。


「あとはまぁ、貴族同士の付き合いで賄賂とかなんだりとかいろいろあるのよ。全部の収入を纏めたら、年間金貨3~4万枚くらいの収入はあったと思うわ。あくまで資本の話であって、資金と言う意味では5000~6000くらいだけどね」


 なかなか貴族の生活と言うのは複雑なようだ。

 そう言う面倒臭いのはまっぴらごめんなので、貴族の地位には興味が涌かない。

 まぁ、領地を貰ったらその地の女の子食べ放題なのは素晴らしいが……。

 しかし、土地持ちの貴族になるとよその土地に気軽にいけなくなる。それでは意味がない。


「エルグランドだとどんなものなの?」


 あなたは首を傾げた。あなたは市街で暮らしたことが無い。

 そのため、町中で生活をするためのコストをよく知らないのである。

 単に生きて行くためのコストならわかるが、そこに細かな税金なりなんなりを加算した額が分からない。


 大雑把な計算であれば、下層市民が月に金貨3000枚から5000枚程度。

 中流なら10万枚程度。上流なら50万枚。貴族なら100万枚くらいではないだろうか。


「桁が違う……」


「物価が恐ろしく高いのか、金貨が恐ろしく安いのか……」


 どちらかと言うと金貨が恐ろしく安いのが正しいのだと思われる。

 ぶっちゃけた話、エルグランドで金貨が貨幣として用いられているのは『ポケット』に重量無しで入るからという都合が大きい。

 もしも『ポケット』の魔法がなければ、とうの昔に金貨は貨幣の地位から下落していたことだろう。


「あなたの羽振りが爆裂にいい理由が分かるわね」


「私くらいの層でも、月に金貨5000枚くらい使ってる……ってことですもんね。そうすると、こっちでは貴族並みの生活を50か月は送れるわけで……」


「中流なら一生遊んで暮らせますね」


 そう言う意味で言えば、この大陸に来れたのは幸運だったのかもしれない。

 まぁ、エルグランドと同程度に金貨の価値が低い大陸でも、あなたは想像を絶する金持ちなのだが。


「って言うか、そこまで金貨が安いと、他に何か取引の手段とかありそうよね。それとも『ポケット』の魔法があるから山のような金貨で取引をしていたの?」


 あなたは頷く。と言っても、極順当に物々交換のことなのだが。

 換金しやすい宝石類を取引に用いる者も、まぁいると言えばいた。

 あなたも駆け出しの頃は宝石類を拾っては小銭を稼いでいたものだ。


 あとは金貨よりも格段に価値の高いプラチナ硬貨。

 通常の金銭とはまた別枠の存在として扱われていたが、貨幣として用いられていたのは確かだ。


「ふぅん。プラチナ硬貨はそっちでも貴重なのね」


 ということはこの大陸にもプラチナ硬貨はあるらしい。


「ええ。かつてこの大陸を席巻したクヌース帝国が鋳造したものしかないのよ。1枚で金貨10枚分の価値があるわ。まぁ、それに対抗してマフルージャ大金貨って言うのもあるんだけどね」


 苦笑気味にレインが言う。


「マフルージャ大金貨って言うのは、普通の金貨の10倍の金を使った金貨よ。まぁ、滅多にお目にかかれないけどね」


 なるほど、そう言う意味で言えば、価値はプラチナ貨と同等と言うわけだ。

 鋳造数も絞ることで、そのプラチナ貨と同等の希少性を持たせようとしているのだろう。

 ハッキリ言ってお笑い種ではあるのだが、100年後、200年後になるとこれが本当に価値を持ち出すので侮れないのである。

 あなたにしても、そう言う希少性のあるものを集めるのは興味が惹かれるので、後々1枚くらい確保してもいいかもしれない。


 あなたはとりあえず希少品は確保する、という程度の物欲は持ち合わせていた。

 金銭に対する執着がないのは、あなたにとってそれはもう希少な品ではないからだった。


 さておいて、あなたは窓の外を見やる。

 外は日が暮れ出し、多くの人々が寝支度を始める頃合いである。

 その一方で、あなたは立ち上がると、出掛けて来ると告げた。


「出掛けるって、どこによ」


 娼館。あなたは笑いながらそう答えた。

 今日こそ娼館に行くのだ。なんだかんだと娼館に行っていない。

 ナンパはしたが、カイラでだいぶ懲りたので、しばらく控えようと思っている。


 だが商売女なら後腐れなくヤれる。


 そのように考えつつ、あなたは恐る恐るサシャの様子を伺う。

 ここで怒髪天を衝くと言った様子ならば対応を考えなければいけない。

 サシャはかわいいが、サシャだけで満足できるほどあなたは理性を持ち合わせていないのだ。


 そしてそのサシャはと言うと、あなたを切ない眼で見ていた。

 そして、あなたのスカートの裾を指先で摘まむと、そっと引きながら甘えた声で言う。


「ご主人様……私じゃ、ダメですか?」


 ダメじゃないが。


 反射的にそう答え、あなたはサシャに随分と自分の脳を破壊されていることに気付いた。

 サシャに対して、逆らうことができないだと……? ご主人様である、この自分が……!

 あなたはそのように戦慄しつつ、まぁいいかと適当に流した。それはそれで楽しいではないか。


 しかし、それはそれ、これはこれ。


 あなたはサシャに対し、そろそろ凄いことをしたいと伝えた。

 やっぱり凄いことをするには、サシャではまだまだ未熟なのだ。

 できないわけではないが、サシャの負担が大きい。それはあなたの本意ではない。

 そのため、あなたはサシャにもうちょっと大人になったらね、と告げて鼻をツンと突いた。


「あぅ……わかりました……でも、私がもっと大きくなったら……ね?」


 あなたはサシャが素晴らしくえっちな子に成長したことに感動を噛み締めた。

 もっとすごいことを自分からおねだりするなんて。


「ん、んん……えっちな子は、嫌いですか?」


 大好き。あなたはシークタイムゼロセコンド、脊髄反射の速度で返答した。

 えっちな女であるあなたはえっちな子が大好きで大好物なのだ。

 そして、ここにはもうひとり、えっちな子がいたのである。


「じゃあ、お姉様、私となら、すっごいことできますよね?」


 などとフィリアが誘ってきたので、あなたは食い気味に頷いた。

 フィリアとは最初に相当凄いことをしてしまった。ここで出来ないと答えることはできないだろう。

 娼館には娼館の妙味があるのだが、フィリアとも凄いことをしたいと思っていた頃合いだ。

 そのため、今日はフィリアとすることに予定を変更した。


「あぅぅ……フィリアさんずるいです……」


「うふふ、サシャちゃんも大人になったら、ですね」


 などとフィリアがお姉さんぶって言う。

 あなたはフィリアの手を引いて、さっそく凄いことをするために宿へと向かうことにした。

 宿の女将に強い酒を注文しているレインを尻目に、あなたは颯爽と宿を出た。

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