サシャ 1話

 サシャは冒険者見習いの奴隷だ。


 本人はその読み書きの技能を活かせる仕事。

 たとえば代書屋などになりたいと思っていたが。

 サシャは奴隷で、職業選択の自由はなかった。


 世間一般で言われる奴隷とは次元の違う待遇を受けているし。

 主からも溺愛されているが、それでも奴隷は奴隷。

 主の意向を受けて冒険者になることは決定事項なのだ。

 まぁ、サシャ自身、それには割と前向きなのだが。


 そして、その第一歩。

 冒険者学園卒業試験。

 その日程が直前に迫っていた。


 すでに冒険者として活躍している者たち。

 そのチームに一時的に加入させてもらい、実際に冒険をする。

 その成果をもって評価を受け、卒業の可否を決定する。

 それこそが卒業試験である。


 試験は1度きりではなく、複数回行う。

 人物的好悪による技能照査の結果改竄もあるためだ。

 サシャはその試験の第1回目を目前に控えていた。


 サシャの自室ではなく、ご主人様の部屋。

 そのベッドの上で、サシャはもぞもぞと悩んでいた。

 女たらしはそのサシャに腕を枕として貸していた。


「うぅ、試験の人、怖い人じゃないといいな……獣人風情が生意気だなんて言われたりしないかな……」


「そう言う時は「このレイシスト野郎!」って怒鳴ってから斬り殺すといいよ。不意打ちすればいけるいける」


「それをやったら私は牢屋行きなんですよね」


「大丈夫だよ、ちゃんともみ消してあげるから」


「ご主人様が、黒い……!」


 当たり前のように殺害を推奨する金髪の女たらし。

 見た目は絶世の美少女と言うほかにないが。

 その人格はまともではないし、性癖はもっとまともではない。

 本当に見た目だけなら疑いようもない美少女なのだが。


 金糸のように自然と煌めく黄金の髪。

 いたずらな光を灯す赤い瞳。

 滑らかな肌には古傷ひとつ伺えない。

 冒険者よりも、深窓の令嬢でもしている方が似合っている。

 それほどに可憐な少女なのだが。


 その実態は自宅の女使用人をすべて食い散らかし。

 在留している町の娼館に通いつめ。

 個人娼婦も、暇を持て余している未亡人をも食い。

 これからの将来ある少女までも食い。

 永遠の安息を目前に控えた老婆ですら容赦なく可愛がり。

 挙句の果てに男は女にして食うなどする。

 ハッキリと言えば、異常者だった。


「そんなに心配しなくても、サシャはすごく強くなったよ。今なら熊と戦っても苦戦すらしないよ」


「そうでしょうか……?」


「熊なんか拳ひとつで殴り倒して、そのまま頭からムシャムシャ食べれるよ」


「できるできないはべつとして、やりたくはないですね……」


「買ったばっかりの頃のサシャは、熊に張り手1発で殺されかけて、そのまま頭をムシャムシャされそうになってたのにね……」


「それは言わないでください……」


 昔を懐かしむような顔をする女たらし。

 サシャがこの女たらしに買われ、もう2年が経った。

 買われたばかりのことを思い返せば恥ずかしいばかり。


 そこらにいるような野犬にすら敗北した苦い記憶だ。

 熊には手も足も出なかったくらいで、勝つまで何日もかかった。

 なにより、ティラノサウルスとか言う飛べない亜竜種とは戦わせてすらもらえなかった。


 当時の自分では天地がひっくり返っても勝てない相手だった。

 いまになってみれば容易くわかることだが、納得できるかはべつ。

 いまなら決して負けないという自信と自負があった。


「……ほんとうに大きくなったね、サシャ」


 サシャを眺めて、そんな感慨深げな感想。

 それを受けて、サシャは照れくさそうに笑う。


「胸も大きくなりましたよ? どうですか、ご主人様。おっぱい揉む?」


「揉む」


 たわわに実った自らの乳房をそっと持ち上げ、サシャがいたずらっぽく言う。

 すると、即座に釣れるアホ。美人局に分かっていてひっかかるバカだ。反応速度が違う。

 ほっそりとして長い指で、サシャの瑞々しい果実に触れると、甘く切ない指使いで揉みしだく。


「あ、んぅ……ご主人様、触り方、えっちすぎです……」


「ふふふ……サシャがえっちなお誘いをして来たんじゃない。ほんとにえっちな子になったねぇ」


「ご主人様がそうしたんですよ?」


 しゅるしゅると女たらしの細い太ももに巻き付くサシャの尾。

 獣人が親愛の情を示す仕草として知られる行動だ。

 子供っぽい行為とも言われるが、ベッドの上であれば話は別だった。


「いっぱい触っていいんですよ? たくさん舐めて、吸ってくださいね?」


「もぉー。サシャったらほんとにえっちすぎ。お耳とかわゆい尻尾ちゃんも触っていいのかな?」


「いっぱいいっぱい触っていいんですよ?」


 そう言いながら、自分の尻尾を握らせるサシャ。

 すると瞬く間に顔が緩み、尻尾に生えるふわふわとした毛の感触を堪能し始める。


「しゅごい……ふあふあ……しゃ、しゃいこう……きもちぃ……」


 よっぽど尻尾と耳が好きらしく、理性が蕩けたかのようだ。

 獣人だからこその身体的特徴、目立つ耳と尾。

 サシャはこの一点に関しては、きっと女たらしの本妻にすら負けないと信じていた。


「たくさん触ってくださいね……? いっぱい私に溺れて……いっぱいえっちしましょうね?」


 妖美に微笑みながら、サシャが女たらしを押し倒す。

 先ほどまで可愛がられていたので、次は自分の番だ。

 未だに善がり狂わせるようなことはできていないが。

 いつかは出来ると信じて精進あるのみだ。






 サシャはある意味で気楽な立場だ。

 同時にとんでもない重責を背負っている。


 サシャは奴隷である。

 奴隷と言えば悲惨な境遇に生きる者が多い。

 だが、少数ながらも、そうでない者もいる。

 サシャは明白な後者。その中でも特別に恵まれているだろう。


 毎日お腹いっぱいにご飯が食べられる。

 ふわふわのパンに肉も卵も食べ放題だ。

 服だって擦り切れたボロなんかではない。

 新品の服をたくさん買い与えられている。

 靴だって新品のしっかりしたやつだ。

 資産だってある。金貨を何十枚も与えられている。

 かつては、その金貨10枚そこらで1年暮らしていたのだ。

 いまでは毎日どころか、1日に何度だってねだればもらえる。


 元は貴族の邸宅だった屋敷に部屋を与えられている。

 図書室の本は好きなだけ読んでいい。

 欲しければいくらでも本を買い与えてもらえる。

 挙句の果てに、自分専用の図書館まで作ってくれた。


 ハッキリ言ってそこらの貴族よりもいい生活を送っている。


 しかも、ご主人様は油ぎった男ではない。

 清潔感のある、目も覚めるほどに美しい少女なのである。


 奴隷商のところで何度も見た、脂ぎった男に買われていく同胞の姿。

 その多くがサシャよりも可愛らしかったり美人だったり豊満だったり。

 まぁ、いわゆる男好きのする女だった。

 さぞや悲惨なことになっているだろう。

 そんなだれもが暗い想像をするような主人ばかりだった。


 まぁ、その清潔感のある美少女は、脂ぎった男も目ではないレベルで女を食い散らかす悪癖を持っていたが……。


 とは言え、乱暴にされて痛いとかそう言うことは一切ない。

 奴隷商に出戻って来た者たちからは、そう言った話をよく聞いた。

 サシャが主人に与えられたのは快感だけだった。


 痛みもたしかにあった。

 だが、それは甘い痛みだ。

 快感につながる痛みだった。


 気遣われ、蕩けるように甘い行為に溺れる。

 そんな砂糖のように甘く優しい時間だった。

 まさに夢のような生活と言っても過言ではないだろう。


 世界中の人間に、サシャと同じ境遇になりたいかと言われればほとんどの人間が頷く。

 一部の誇りある者や、どうしても同性はダメだという者を除けば、嫌がる人間は少ない。

 冒険者として活動をしないといけないという制約はあるが、それにしたって信じ難いくらい恵まれている。

 装備はキチンと与えられるし、捨て駒にされるわけでもない、正式な仲間として扱ってもらえる。

 しかも、そのご主人様が超人的な強さの持ち主なので、最悪の場合は助けてもらえる。

 そんな気楽で豪奢な生活を送るサシャだが、精神的な重責はいくつかあった。



 単純な話、サシャは奴隷だ。

 所有されている物品なのである。

 つまり、主人が飽きて、もういらないとなったら……。

 奴隷商に売られてもおかしくないし、それを抑止する手立ても法もない。

 サシャにべた甘の金髪の女たらしがそうする可能性は低い。

 だが、絶対にないとは言い切れない。


 サシャはもう元の生活には戻れない。

 上流も上流の生活に慣らされてしまった。

 蕩けるように甘い夜を何度も過ごした。

 いつか結婚し、子供を産む。そんな漠然とした考えは未だもっているが……。

 夫だけというのは、無理だ。

 ご主人様とでなければ嫌だ。


 そして元の生活に戻ったのなら……。


 粗末な麦粥や混ぜ物のあるパンばかりを食べることになる。

 肉や卵は滅多に食べられないごちそうになるだろう。

 服だって擦り切れたボロを着ることになる。

 靴も裸足とかサンダル程度だろう。

 遠出をすることはなくなるから、それが全てになる。


 自由になる資産などほぼ無くなるだろう。

 読み書きの技能があれば就職は難しくない。

 だが、高収入が得られるかと言えば、話はべつだ。


 サシャは貴族顔負けの読み書きの技能がある。

 だが、貴族の家に雇われるには相応のコネや名声が必要なのだ。

 サシャにはそのいずれもない。

 望める仕事は町の湿気た代書屋が精々だろう。

 かなり余裕のある生活を送れはするだろう。

 たまに銀貨を使う贅沢ができるとか、そのくらい。

 金貨なんて夢のまた夢の生活だ。


 自由に読める本は、ごくわずか。

 各種の神の教えを説く聖書や、貴族間で出回っている娯楽本程度だろう。

 その本だって極めて高価な代物だ。

 所持できるのはせいぜいが2冊や3冊程度のものである。

 貴族の邸宅の図書室に入ることなど、一生涯で1度あるかどうかも分からないような機会である。


 その生活に耐えられるだろうか?


 無理。答えはすぐに出る。

 まぁ、貧しい生活にも慣れることはできるのかもしれないが。


 それでも、夢のように幸せだった時期を一生涯思い起こし続けるだろう。

 あの時ああしていれば、捨てられることはなかったのではないかと。

 そんな後悔を死ぬまで抱きながら、捨てられることのなかった幸せな未来の妄想を弄び続ける人生を送るのだ。

 それはもう吐き気がするほどに悲惨な人生であり、サシャは今の生活を手放したくなかった。


 食事は自分で準備する必要もなく、ご馳走を毎日食べさせてもらえる。

 服は温かくてきれいなものを好きなだけ選べて、靴はおしゃれで丈夫なものを履ける。

 本は読み放題で、遊ぶためだけの大金を与えられ、夜は溺れるほどに甘やかされる。

 この生活を維持するために、主人である金髪の女たらしの寵愛が欲しい。

 純粋な打算もあるが、もっと可愛がってもらいたい、もっと愛されたいという欲もあった。


 そんな愛し愛されたいという想い。

 相思相愛の重責だ。

 これはまぁ、可愛らしいと言えなくもないものだ。



 だが、サシャにはもう1つの重責がある。

 イカれた金髪の女たらしを暴走させてはいけない。そんな重責だ。

 町ひとつの女を食い散らかすのは……まぁ、しょうがないだろう。

 しょうがないの一言で片づけていいことではないが、しょうがないのだ。止められないし。


 暴走させてはいけないというのは、もっと直接的な危険性。

 サシャの知るご主人様は静かに、冷静に、どこまでも狂っている。


 人として大事な部分に欠陥があるとか、そう言うものではない。

 最初は別大陸の出身であると聞くから、そう言った常識が違うのかとも思った。

 だが、違う。大陸が違うからとか、それだけでは説明できないような異常さを持っている。


 大陸が違っても、基本的なことは変わらない。

 太陽は昇るし、神の恩寵は人に等しく降り注ぐ。

 当然、死人は蘇らない。帰ってこない。

 人を殺したら罪に問われる。当然のことだ。


 それでも人を殺す者はいる。

 兵士は人を殺すのも仕事だ。

 それと同じように人を殺す。


 サシャだって人を殺した。

 3人も殺した。殺していい相手だったから。

 いや、殺すべき相手だったから殺した。


 そう言うことはある。殺さなくてはいけないこともある。

 だから、殺人の経験をどうこう言うつもりはない。

 だが、伺える規模の次元が、違い過ぎるのだ。


 『ナイン』と言うとんでもない兵器を持っているのはいい。

 だが、それを複数個持っていて、しかも、使用した経験があるらしいのは、明らかにおかしい。

 つまりだが、あの金髪の女たらしは、町1つ軽く吹っ飛ばすようなことをしたことがある。


 それは疑いようのない虐殺であり、悪逆であり、外道だ。

 そして、それをこの大陸でも平気でやるつもりでいた。信じ難い悪行である。

 ご主人様は穏健な人柄で、困っている人がいれば手助けをする暖かな優しさを持つ人だ。


 だが、同時に容赦なく人を殺す。

 それを悪いことともなんとも思っていないような気軽さで、人を殺す。

 殺さなくてはいけないから殺すのではない。

 殺せるから殺すし、殺していいから殺す。


 取り返しのつかない行為を平然とやってしまう狂った精神性と価値観がある。


 なぜそんな価値観を持つことになったのかはまるでわからないが、現実に持ってしまっている。

 まさかエルグランドでは殺人が取り返しのつかない行為ではなく、日常風景に過ぎないなどとは想像の遥か外にある事実だ。


 もし、あの金髪の女たらしが暴走すれば、『ナイン』を平然と使ってしまうだろう。

 しかし、言えば止めてくれる。サシャがおねがいすればやらないでくれる可能性が高い。

 暴走しようとしたら、止めなくてはいけない。そう言う重責だ。


 そしてもうひとつ。

 自分が暴走しないように。そう言う重責。

 止めるはずのサシャがやってくれなどと言ってしまったら……。

 もうなにもかもがおしまいである。


 仮にサシャが何かしらの理由で自暴自棄になったとして。

 つい魔が差して、あの「あんな町消えちゃえばいいのに!」なんて漏らしたとして。

 翌日にその町が綺麗さっぱり更地になっている可能性は極めて高いのだ。

 自分の発言のせいで町が1つ消し飛び、住人が全て死ねば、サシャは生涯悔やむだろう。


 暴走させてもいけないし、暴走してもいけない。

 割と普通に難易度がバカ高い。


 そんな重責をこなすのにはご主人様の寵愛が必要なのだ。

 そのためにサシャは冒険者としての精進を怠ることはない。

 それが必要だと、あの女たらしが言うからには必要なのだ。


 なにより、冒険者として鍛えられるほどに激しい行為ができるようになる。

 常人なら骨の砕ける打撃も、あの女たらしには撫でたようなもの。

 縄で縛って鞭で叩いても1ミリも効かないのだ。

 業を煮やして剣を切りつけたが、やっぱり効かなかった。

 もうここまでくると頑丈とかそう言う領域を超えている気もするが。


 いつか、あの女たらしが苦痛に顔を歪ませるほどの攻撃ができるようになる……。

 戦いの強さではなく、ベッドの上での満足のためではある。

 だが、サシャにとってはバカにできない目標だった。


 そのための第一歩が冒険者になること。

 卒業試験を乗り越えることが、いつか女たらしをひぃひぃ言わせる結果につながる。

 そう信じてサシャは精進を怠らない。

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