37話

 土木工事で軽く運動をしたあなたは屋敷に戻り、各種の指示を出した。

 不在中に溜まっていた諸々の仕事、つまりは出納管理などである。

 屋敷の維持には当然ながら金がかかる。そしてそれは増えることはあっても減ることはない。


 単純な話、屋敷と言うのは古くなればなるほどに補修する箇所が必要になる。

 それらの補修を全て済ませていっても、やがてはまた補修が必要になる。

 また天災などによって臨時の補修が必要になることもあれば、不慮の事故と言うこともある。


 これらのことをちゃんと弁えておかないと、無意味な吝嗇をする無能な家主になる。

 あなたはその辺りのことはちゃんと弁えているので、本当に必要だったかは適宜調査するにしても、とりあえずの許可は出す。

 まぁ、多少の不正をしたところで、それが限度を超えない限りはある程度見逃すつもりだが。


 そう言ったお目溢しと言うのはそれなりに必要なものだ。

 なにもかも締め付けると息苦しくなるし、家内に不和が広がるものだ。

 そう言う意味では犯人捜しと言うのもやってはいけない。

 起きたミスや不正を追求し、それを防止することは必要だが、やった当人を叱責するのはよろしくない。

 まぁ、限度を超えていれば必要ではあるが、その辺りは上に立つ者の匙加減と言うやつだろうか。


 また、サボり。これに関しても寛容でなければいけない。

 人の上に立つと、利益ばかりに目が行って人に目が行かなくなりがちだ。

 10時間働かせる契約ならば10時間キッチリ働かせたくなるものだが、それではダメだ。

 人間は6~7割程度で使ってやるのが長持ちさせるコツである。

 10時間契約なら6時間真面目に働いていればよしとすべきなのだ。

 人を使うコツは6~7割。これはどんなことでも同じである。

 10時間で契約したならば、6~7時間の契約をしたと考えるべきなのである。

 無論、緊急時には10割キッチリ使うこともあるだろうが。


 こうした環境にした方がのびのびと仕事が出来て、結果的にミスや不和が減る。

 また人も色んな意味で長持ちするので、総合的な収支はプラスになりがちなのである。

 人を育成するのには金がかかるものだから、同じ人間を長く使う方がお得なのだ。


「あなた、こういう仕事やったことあるの?」


 テキパキと書類を捌き、家令と侍従長の報告を聞いて判断を下していくと、レインがそんな疑問を呈した。

 そんなレインの疑問に対し、あなたは特に隠すこともなく頷いた。


 エルグランドではあなたは立派な屋敷を持っている。

 それ以外にも複数の商店や博物館などの施設を個人で所有している。

 そうしたものを維持管理し、運営した手腕が生きているのだ。


「へぇ……これだけ立派にこなせるなら、私の手伝いは要らなさそうね」


 あなたはレインが仕事を手伝ってくれると心理的充足感が違うと熱弁した。

 年若い少女が秘書として仕事を手伝ってくれる。こんな滾る字面が他にあるか。いや、ない。


「ああ、うん、そう……まぁ、手伝うのはべつにいいけれど……」


 レインは呆れた様子だったが、手伝ってくれるのならばそれでよかった。あなたは細かいことは気にしないほうだ。





 パパッと仕事を済ませ、ソーラスに戻る前にブレウに軽く話を聞くことにした。

 屋敷の主のための執務室。つまりは元はレインの父が仕事部屋にしていた部屋だ。そこに呼び出した。

 部屋の趣味は悪くはないが、あなたの好みではないので、そのうち適当に改装する予定である。


 ブレウを呼び出したのは、まぁ、屋敷でうまくやっていけそうかとか、何か必要なものはあるかとか、そんなことが聞きたいだけだ。


「必要なものは今のところは特に……仕事をするのに十分なだけのものはあります」


 ひとまずは必要ないらしい。とは言え、今後なにか必要なものが出る可能性はある。

 そのため、特別予算枠を設け、侍従長のマーサの判断の上で購入の許可を出すことにした。


「畏まりました。判断についてはどの程度まで?」


 実際に裁縫などをする上で必要なものであれば許可する。

 つまりは針や糸という基本は当然のこと、作業をする上で必要な椅子や机。

 また、王都の流行などを把握したいというのであれば、数点の服の購入も許可する。

 それに付随して、王都で流行りの技法を行うのに助手が必要なようであれば、1人までなら雇用していいと許可を出した。

 

 そのような内容を告げつつ、特別予算枠として金貨を100枚ほど渡した。

 既にある針や糸を全て廃棄し、裁縫用の部屋を総入れ替えできるだけの額だ。

 なお、助手の給料はとりあえずは特別予算枠から出すとして、あなたの承認を得た時点で通常予算からの支給に変更する。

 そのため、最大でも40か月の雇用が限度になるが、どうせその前には帰ってくるので問題はないだろう。


「畏まりました」


 侍従長の文句もないようなので、問題はないようだ。

 そこで、あなたは金勘定の話をしていてふと浮かんで来た疑問をブレウに尋ねた。


 以前にあった、各階層における生活費の話だ。

 下層の生活費が月銀貨3枚程度。中流なら金貨1枚。上流なら10枚。貴族なら100枚。

 かなりの格差があるが、まぁ、そんなものと言えばそんなものだろう。

 しかし、下層の生活費について話したサシャは家計を握っていたわけではない。

 そのため、どこまで正確な情報なのかは疑問符がつくところである。

 ここにはその下層の生活において家計を回していたブレウがいる。

 ブレウならば正確に把握しているだろう。


「え? 生活費ですか? ええと……全部ひっくるめると……もう少し、かかっているでしょうか……? ですけど、単に生活する上でと言う意味ならそれくらいですね」


 すると、税金などを差っ引いて銀貨3枚と言うことだろうか。

 水道光熱費に食費を纏めた額と言うことなら、まぁなんとか分かる。


「そうですね。ただ生きて行くだけなら銀貨3枚でなんとか……私たちは全て纏めると金貨1枚くらいはかかってるかなと」


 であれば、中流層はもっとかかっているのだろうか。


「ええ、たぶん。具体的にどれくらいかは知りませんが」


 そんなものかとあなたは頷いた。

 よく考えれば、フィリアが中流層について語っていたが、フィリアが中流層かと言うと微妙である。

 ただ、レインの貴族の生活費についてはかなり正確なのだろう。

 レインはザーラン伯爵家の後継者としての教育を受けていたようなので、その辺りの勘定は信頼できる。

 後継者教育を受けていなかったら、娘に荘園の収入やらについて話す必要などないだろう。


 あなたは疑問が解消したことについて礼を述べると、席を立った。

 そして、マーサにこれからまたソーラスに戻ることを告げた。


「畏まりました。次のお戻りはいつ頃に?」


 7日以内には戻る。ただ、その後また長く留守にすると思うと付け加えた。

 冒険者学園の入校について詳しく調べていないので、まだ日程について明言できないのだ。


「冒険者学園ですか。それでしたら、冒険者ギルドの方に問い合わせておきましょうか?」


 言われて、あなたはちょっと固まった後、思わず笑いを零した。

 使用人がいるのだから、雑事はそちらに任せた方が賢明である。

 こちらに来てからは、いち冒険者として活動し続けていたのですっかり忘れていたのだ。


 自覚はなかったが、いち冒険者として身軽に活動するのがよっぽど快適だったのだろう。

 屋敷の維持管理は苦ではないものの、だからと言って好ましい仕事でもない。

 この大陸では商店や博物館などの物件を所有するのはやめておこうとあなたは思うのだった。


 ともあれ、マーサには冒険者ギルドに問い合わせて分かるのであれば、その通りにしてくれと頼んだ。


「はい。では、パンフレットなど頂いて参ります。郵便物と同様に、こちら……執務室にお持ち致します」


 あなたは頷くと、レインとサシャと合流するために執務室を出た。




 レインとサシャは談話室で時間を潰していたようだ。

 あなたはソーラスへと戻ると告げ、準備がいいかを訪ねた。


「ええ、問題ないわ」


「大丈夫です」


 では、よろしく頼む。そのようにレインに告げると、レインがにやりと笑った。


「ええ。任せておいてちょうだい」


 レインが精神を集中させ、『引き上げ』の魔法の構築を始めた。

 よどみのないスムーズな回路構築だ。問題なく発動するだろう。

 まぁ、ワンチャン制御に失敗してレインが木っ端微塵になる可能性もあるが。

 それは致し方のない、避けられない犠牲と言うものだ。仕方ない仕方ない。

 骨は拾うし、肉や臓物も拾おう。そのあとちゃんと蘇生するので安心して欲しい。


 そんなことを考えているうちに、空間の歪む感覚。

 そして、数秒の後、あなたたちはソーラスの町の城門前に立っていた。

 レインとサシャと見やり、特に足元を重点的に確認する。


 『引き上げ』の魔法の発動に成功しても、うまいことマーキング位置に飛べないと脚が埋まることがある。

 そうなったら埋まった個所はごっそり消えてなくなってしまうので大変なことだ。

 幸い、レインもサシャも足が埋まっているということはないようである。


「ふぅ! ああ、緊張した。でも、ちゃんと成功したわ!」


 一気に魔力を消費したためか、若干顔色の悪いレインだが、満足げな様子だ。

 レインからすると、高位の魔法である転移魔法が使えたことが嬉しいのだろう。


「7割近く使っちゃうわね。何も予定がない日にしか使えないけど、これは便利だわ」


 そう言えばと、あなたはふと思い出した。

 今となってはもはや使うこともないアレがレインには有用なのではないかと。

 まぁ、いまは手持ちがないので後々考えようと、とりあえずあなたは宿に戻ることを提案した。


「そうね。フィリアを一晩待たせちゃったし、戻りましょうか」


 あなたたちは宿へと向かった。





 宿ではフィリアが暇を持て余していた。

 ワンド作りに精を出していたようだが、根を詰め過ぎても効率がよくないとだらだらやっていたようだ。

 そのあたり、フィリアは真面目に見えてちゃんと息の抜き方を知っている。


「あ、おかえりなさ~い。泊まって来たんですね」


「ええ。サシャを一晩くらいお母さんと過ごさせてあげようって」


「なるほど。こっちは特に何もなかったですね~」


 あなたは買って来たお土産を机の上に広げた。


「これは?」


 お土産だが? あなたは首を傾げつつ答えた。


「…………? そんなこと言いましたっけ?」


 あなたはフィリアの頭にチョップをした。

 もちろん手加減をしてだ。手加減せずにしたら大惨事だ。

 フィリアの体が股下まで両断されてしまうことだろう。


「あいたっ。あはは……」


 どうも適当なことを言ったらしく、言った当人は覚えていなかったらしい。

 こんなことなら豚1頭を買って来ればよかったと、あなたの中のウケ狙いの精神が不平を表明していた。

 ともあれ、買って来たものほとんどはお菓子なので、あなたはお茶を淹れることにした。


 今日はハーブティーを淹れることにする。

 今回は精神を研ぎ澄ます効能のあるハーブ、サマンを主とする。


 エルグランドのハーブはハーブティーにするのに手間がかかる。

 というのも、エルグランドのハーブは効能が一定ではないのだ。

 そのため、用いるハーブ自体の薬効がどの程度かを見極めて調合する必要がある。

 入れる都度調合するため、非常に手間がかかって面倒臭いのだ。


 その技術と、高度な抽出技術を用いてお茶として抽出する。

 ハッキリ言ってアホのようにむずかしい。神業級の腕前を持つあなたでも割と骨が折れる。

 一応分類としては料理なのだが、最も難しいとされる料理の100倍は難しい。

 まぁ、お茶を淹れるのと、小手先の技術で勝負できる料理ではだいぶ勝手が違うのもたしかだが……。


「いい香りね。なんだか頭が冴えるような感じがするわ」


 なかなか鋭い意見である。サマンには脳に作用することで精神を研ぎ澄ます。

 これを端的に表現すると、頭が冴える、というような感覚になる。

 そのため、レインの意見はまったくもって卓見であると言わざるを得ない。


 ともあれ、あなたは全員にハーブティーを供する。

 クソほどむずかしいが、やるだけの価値はある味になったという自信があった。


 その後、あなたたちはお茶を飲みながらお土産を賞味した。

 自分で買って来たお土産を食べるというのもへんな気分だな、と思いながら。

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